レイト”D”の研究 第1回
今回は、スカイダイビングのレイト研究です。
「レイト」とは何ぞや?と、思う方も知れないが、いわゆる「ライセンス」の事です。
「え?スチューデントを卒業したら、ライセンスがもらえるんじゃないの?」
と、思うかも知れませんが、卒業(いわゆるスチューデント・オフ)の認定を受けても、
それで一人前と認めてもらえません。
エクスペリエンス(経験者)の方々と一緒に飛んで、回数をこなし、ウオータートレーニング、ナイト(夜間)ジャンプなどの経験を経て、
そしてそれに伴って自分の技量を証明するライセンスを発行してもらって、ようやく周りに認められる、っと言った、なかなか奥の深い世界なのです。
ま、気球も選手権に出るために50時間飛ばなきゃいけないんで、同じ事なんですが。
ちなみに、Aライセンスは20回以上のジャンプ回数、Bは50回、Cは100回、Dは200回以上と制限があり、Dが一番上になります。(もっと別の規定もありますが)
Dライセンスは8人以上のジャンプで2ポイント以上のフォーメーションを作れる事、ナイトジャンプを2回以上経験している事、などの制限があります。
さて、僕の場合ですが、条件的には全てD以上を満たしているのですが、あまり必要性を感じなかったのでBライセンスをとった後、そのままにしていた。
その後、スカイダイビング協会の分裂などでジャンプへの熱も冷め、「もう、日本でジャンプする事もあるまい」と思い、特に上のライセンスを取る気も無かった。
ところが、5年ほど前に「あの男」が僕の目の前に現れ、僕の運命が変わってしまった。
「あの男」とは…そう、人呼んで「コマンドー磯谷」。
泣く子も黙る、自衛隊空挺部隊レインジャーの元隊員。
彼が、自衛隊を退役し、故郷の美幌に戻ってきたのである。
生まれついてのコマンドーである彼は、退役したにも拘わらず空への血が騒ぐのか、
止せばいいのに「北海道スカイダイビングクラブ」を作って、北海道内のジャンパーを集め始めたのである。
空挺部隊出身でアキュラシー(精密着地)競技の彼と、
スポーツパラシュート出身で一人でバルーンジャンプで遊んでいた僕の、普通なら出会わないであろう二人が出会ってしまった。
ここから、僕の『レイト”D”への道』が始まったのである。
続く…(そんなに大げさな話か?)
←泣く子も黙る”コマンドー”
(命名者 神森隆幸)
でも、最近すっかり普通のおじさん