元経済企画庁長官
堺屋太一
とはなにものか
辞任(2000/12/05)
堺屋氏が辞任した。

思い出してほしい。彼が経済企画庁長官に就任した日のことを。
経済システムが崩壊寸前だったあの日のことを。
そして考えてほしい、それからわずか858日間でどれだけのことが変わったかを。

日本は幸運であった。
これほどの国難にさいして、 当代随一の歴史家でありながら、 経済学の専門家であり、 10年も前から情報革命に言及するほど物事の見とおしに明るく、 しかも、実務力企画力も抜群という人材が、この日本に住んでいたことがである。

そして、そんな人材が、自らの命を削りながら、 この危機に立ち向かってくれたことに、深く感謝しなければならない。

彼と同時代に生きれたことを誇りに思いたい。


失言(2000/11/30)
堺屋氏の失言報道があった。 田中康夫長野県知事の手腕手法に対し、あれはたんなるパフォーマンスにすぎないとの趣旨の発言したようである。

田中知事の行政手法にたいして疑問を投げかけるのは大いに結構であるが、パフォーマンスとこけおろしたのはいただけない。

これは明らか相手に対する侮辱である。 このようなことをしてしまったときには、謝罪をする。それが日本社会の常識である。


IT受講券交付断念(2000/09/25)
結局、IT受講券の交付は断念することになってしまった。

サミットでも話題になった「情報格差の是正」は、どうなったのか? マスコミも、有識者も、英語どころかローマ字やアルファベットについてすら教育を受けていない世代がいることをすっかり忘れているようである。

キーボードからのローマ字入力は、日本語入力のデファクトスタンダードである。 しかし、一方で戦前や戦時中、戦後の混乱期にローマ字教育を受けれなかった世代が相当数いる。 それらの世代の人々に対し、ローマ字教育を施すのは、国民の初等教育に責任をもつ政府の義務である。

当然無料で実施するべき事柄である。それが、今回のIT受講券による補助分6000円なのであろう。

倫理的にも正しく、経済的効果も期待される政策が実施されないのは、あまりに悲劇である。


IT受講券交付か?(2000/09/20)
堺屋氏が、IT受講券を交付しようと言い出し物議をかもしている。

ニュースによると、初歩的なパソコン技術の習得を希望する二十歳以上の国民に対し、 受講料の半額程度を国が助成しようという内容である。 3000万人の人が利用するとして、3000億円程度の予算が必要だとのことである。

このニュースをうけ、マスコミ各誌は「バラマキだ!」と騒ぎ出した。 また、もっと高度な人材を育成することや、インターネット接続料値下げに予算を使うべきだ。 という意見も紹介された。

もちろん、人材育成や接続料の値下げ、ネットワークの整備などは、いずれも重要な政策である。 しかし、それらが幾ら整備されても、消費が拡大しない限り産業としては成立しない。

かつて日本は、アメリカという無限の消費力を誇る市場へ輸出することで、 造船、鉄鋼、自動車といった基幹産業を育ててきた。 しかし、今日、この手法はつかえない。 加えて、IT産業は、異なった言語圏への輸出にかなりのハンディが存在する。

この状況下でIT産業を育てるには、内需拡大をする以外に道はない。 その方法の一つを堺屋氏は提案した。 他の方法があるのならば、それも実行するべきだ。

そもそも消費さえあれば、ネットワークの整備も、技術者の育成も、政府がなにもしなくても進む。 もしかしたら、日本政府は全く無駄なことに予算を使っているのかもしれない。

アメリカへ輸出して産業を成立させるという成功体験から、日本人と日本政府は抜けきれないのであろうか。


2000円札登場(2000/07/19)
2000円札の登場による経済効果を 「自動販売機メーカーが××億円、レジスターメーカーが○○億円」 などと試算したエコノミストがいたらしい。 そして経済効果はほとんどないだろうと論じたそうである。 本当にエコノミストなのか?と疑ってしまうほどの貧弱な議論である。

2000円札の真の目的はインフレ誘導である。 インフレという言葉が悪ければ、デフレ脱却政策とでも、あるいは、消費行動の変化を促す政策と言い換えてもよい。

かつて500円札が流通していたころは、昼食は500円以下が普通であったように思える。 480円の定食や380円のラーメンなどが普通であった。 500円より高い昼食は、少し贅沢に感じられたものである。 ところが、それも500円札が消滅すると、不思議なことに880円の定食や780円のラーメンを注文することが普通になってしまった。 最近ではやや価格が上がってきているようだが、それでも、1000円以上の定食やラーメンを注文するのは、いささか贅沢と感じる。

ところで、経済発展に不可欠な最終消費の拡大は、なにも耐久消費財や高級品の販売が伸びることによってのみもたらされるわけではない。 むしろ、市場規模の大きい日常品が、ほんの少しでも増加するほうがはるかに効果的なのである。 しかも、耐久消費財や高級品の消費が伸びても、儲かるのは一部の企業だけであ。 しかし、日常品の最終消費の増加の恩恵は、小さな商店や町の食堂にまで直接的に及ぶのである。

その大切な最終消費の増加が、「1000円札の壁」という心理的な要因によって、足踏みをしているのである。 どうしたらよいか?その答えとして2000円札が登場するのである。なかなか巧妙な経済政策である。

この2000円札を誰が考え出したかは明らかにはされていないようだが、ヒントとなる話が、堺屋氏の著書「峠の群像」の中に出てくる。


第二次森内閣で留任承諾(2000/07/02)
恐慌の危険は過去のものたなった。 金融システムは力強さを増し、不良債権の処理も既に終わっている。
ゼロ金利解禁も時間の問題であり、経済はプラス成長に転じた。
しかも、盟友の小渕氏は既に亡くなり、自身「自由になりたい」と記者会見でこぼしている…

当然、堺屋氏が第二次森内閣に留任することはない。との予想が大方の見方であった。
ところが、予想外なことに、森首相に説得され、留任を決意したとのニュースが入ってきた。

森首相が、堺屋氏の手腕と人気を欲したのは理解できる。 しかし、堺屋氏がそれを応じる義務はないようにも思える。

ではなぜ応じたのか? その答えは、三年目を迎えた彼の活動を見ていればわかるだろう。
恐慌退治の一年目、経済復興の二年目とは違うことは確かである。彼には目標と約束がある。


小渕氏死去(2000/05/14)
小渕氏を未来の人はなんと評するであろうか?残念ながらあまり目立った記述になるとはおもえない。 戦争で勝利をおさめたわけでもなければ、革命を達成したわけでもなく、 経済を大きく発展させたわけでもなければ、新幹線を建設したわけでもない。 歴史の本には、およそ平凡な宰相と記されるに違いない。

しかし、現代に生きる我々は、彼が「しなければならないこと」を成し遂げた人物であることを知っている。

冥福を祈りたい。

小渕首相倒れる(2000/04/02)
大きなニュースが飛び込んできたのは、日曜の深夜であった。戦後政治に決別を告げた偉大な政治家「小渕」氏が倒れた。 彼が首相にならなければ、堺屋氏が経済企画庁長官に任命されることも、国家経済に采配を揮うこともありえなかったであろう。 小渕氏の早期の回復を願いたい。


インターネット博覧会(インパク)=楽網楽座=
とかく、日本の情報化、ネットワーク化は、アメリカに大きく遅れをとると言われる。
かの地では、多くのベンチャー企業が覇を競い、マイクロソフト社が莫大な利益を上げている。 しかも、世界のネットワーク人口の半分以上がアメリカ国民という状況をみれば当然の意見であろう。

一方日本では、ベンチャー企業は育たず、ネットワークの整備は遅れ、ネットワーク人口はせいぜい1000万〜2000万人足らずである。 そしてアメリカとの格差は広がることはあれ縮むことはない。

しかし、決して悲観する状況にあるわけではない。 必要な技術はすべてあり、投資するための資金に事欠くことはなく、なにより国民の関心は高い。 あとは何かのきっかけさえあれば、アメリカに劣ることのない情報化社会を実現することであろう。

それを博覧会(=お祭り)という方法に求めたのは堺屋氏らしい政策である。 情報化が莫大な利益を生む時代であることを考えれば、堺屋氏が放つ日本復興の切り札と言っても良いだろう。

もちろん、政府がこのように大きなイベントを開くと、 「もっと効果的に情報化社会を実現できる方法がある」、 「お祭りごときにうつつを抜かすくらいならば、この分野を強化するべきだ」 と言った意見が多数出てくることだろう。
しかしそれこそが氏の狙いである。 とにかく人々の関心を集め、明日ことをみんなで考えることが、いまの日本に必要不可欠なことである。

詳しくは、http://www.inpaku.go.jp/をClick!

長官就任一周年
一年前、日本は崖っぷちにいた。日本発の世界恐慌の危険が真剣に議論され、二流国に落ちぶてていくのではないかとおののいた。 それを思えば今の明るさはなんだろう。

安定し退屈な「戦後」という時代が消えさろうとしている。そして、その横で、政治、経済、社会など多くの分野に新しい潮流が生まれてはじめている。

どうやら日本はなにかの峠を越えたらしい。単に経済が底を打ったというだけでなく、それ以上のなにかを、である。峠はまだ霧がかかっているが、これから徐々にその姿が見えてくるだろう。

もちろん、峠道の案内人が誰であったかは言うまでもない。霧が晴れたときの風景が楽しみである。

発言集
これをもって日本経済が立ち直ったと言うのは性急
6四半期ぶりのGDPプラス成長と経済企画庁が発表。しかし、堺屋氏は、記者会見の席で楽観を諌める発言。
もっとも、表情には明るさがあり、内心の嬉しさを隠しきっていない。そこが氏の良いところ。(99/06/10)
かすかに新しい胎動が感じられる
4期連続のマイナス成長を発表する記者会見の場にて、景気の底打ち感を表明。果たして!? (98/11/24)
政治は命がけ
11月6日のテレビ東京のワールド・ビジネス・サテライトで、徹夜続きの厳しい仕事に対する感想。表情にも激務を感じる。健康に注意してもらいたいと願わずにはいられない。
起業家を支援する政策を実行したい
社会の新陳代謝を促すための極めて重要な政策。期待したい。これには、役割の終わった産業の円滑な撤退システムの確立も必要だろう。
消費税引き下げには賛成できない
税収の直間比率是正という長期的課題に逆行することはできない。また、一時的な引き下げは社会の混乱を生むだけで効果は薄いのではないかと懐疑的な発言。(98/11/06 テレビ東京WBSにて)
大手金融機関の破綻は余りに危険
国内外の経済情勢を鑑みると日本長期信用銀行のような大手金融機関の破綻は、その後の社会的コストを極めて高価なものにするだろうと警告。 リスク回避のための公的支援を躊躇してはならないと明言。(98/09/24 TBS NEWS-23にて)
経済混乱は橋本内閣の失政と明言
堺屋長官が8/18の国会で、現在の経済混乱の原因を橋本内閣の失政であると明言。しかし、この事を小渕首相は否定。閣内不一致だと非難を受ける。
こんな当たり前のこと言っただけで国会が揉めるなんて、全くもう...
関連情報
生涯現役社会を提言
今年度の国民生活白書「中年――その不安と希望」において、年齢に関係なく能力に応じて働ける「生涯現役社会」の実現を唱えた。この実現のために、転職に適した制度、能力開発や職業紹介、介護サービスなどの拡充を提言(98/12/04)
「日本列島総不況」と経企庁
ちょっと古めかしさを感じなくもないが、堺屋氏らしいキャッチフレーズが地域経済動向に登場。
ちなみにこの標語、自民党の大物にケチをつけられたが、現状を正しく知らしめるのが、経済復興への正道と堺屋氏が反論。全くその通り。
月例経済報告に変化が
8/11に経済企画庁から発表された8月の 『月例経済報告』 は、堺屋長官自身が最終的な推敲を行ない発表されたものであるとマスコミが報道していた。 実際に月例経済報告を読んでみると、確かに それ以前 の月例経済報告との違いを感じる。もちろん実際に変化した個所は、そう多くはないが、難解になりがちな経済の報告書を、少しでも平易な文章にしようとした努力は評価されてよいはずである。
堺屋太一氏を経済企画庁長官に任命
参議院選での自民党の惨敗によって橋本政権は総辞職し、代わって小渕政権が成立した。組閣にあたっては、経済復興に対する切り札として堺屋太一氏を経済企画庁長官に任命。(1998/07/31)
リンク
人物寸評
堺屋太一氏の職業は、自身によれば「小説家」であり、事実、彼の作品である歴史小説『峠の群像』『豊臣秀長』などはNHK大河ドラマの原作ともなっている。

しかし堺屋太一氏は単なる歴史小説家ではない。『油断』『風と炎と』といった著書において、現代日本を鳥瞰し、警告を発し、将来の方向を見定めることに多大な労力を払い続けている。

無論、それらの指摘は、同時代のいかなる評論家よりも正確であり、その正確さは、彼が歴史を作っているのではないかと思わせるほどである。

さらには、『新都建設』で記されているように、日本の将来に対する明確なビジョンを有し、それを勇気と説得力をもって表現できる数少ない貴重な人物である。

そんな彼の、この混乱した時勢に対する手腕を見ることができることに、同時代を生きる人間として興味を持たずにはいられない。

著書紹介

団塊の世代(文春文庫)
「団塊の世代」と言う言葉の語源は、もちろんこの小説である。
1970年代に出版されたこの本は、もはや今日読む価値はないくなってしまった。 なぜなら、この本で危惧されたことは全て起こってしまったからである。
とても暗い内容であるが、それが現実であったとはあまりに無情である。

巨いなる企て(文春文庫)
石田三成側の視点から描かれた関ヶ原の合戦。
関ヶ原の合戦を、巨大プロジェクトと見立てた歴史観が繰り広げられる。

峠の群像(文春文庫)
絶対的な悪者が登場しない不思議な『忠臣蔵』。
時として過激な主張をする彼の、ある意味で自戒の書にも思えてならない。
彼の作品群の中でも最高傑作。

豊臣秀長(PHP文庫)
豊臣秀吉の実弟の生涯を描いた小説。
調整役であった人物を伝記にした話。組織の維持拡大の困難さを教えている。
経済企画庁のなかで彼をサポートする人物はいるのだろうか。心配だ。

油断(文春文庫)
オイルショック前に書かれた、オイルショックに対する警告の書。
そして今なお、日本のエネルギー構造は変わらない。
しかし、そのことを熟知している彼が、最近の著書での原発問題に対する歯切れの悪さは頂けない。

風と炎と(新潮文庫)
工業社会の終焉ののちに情報社会が来ることを予言したはおろか、Netscape Navigatorの登場よりも前に、次の世紀を情報社会となることを高らかに予想している。
その後の社会の変化は見ての通り。

新都建設(文藝春秋)
近年の遷都論の教典。
題名から推測する限りでは、彼を、公共投資による景気浮上を狙うケインズ学派と分類することになる。
しかし、遷都論の最大の目的は、知価革命(彼は情報社会の登場をこの言葉で表現した)の推進であり、それによる社会の変革である。
この本を読む限り、新都建設は十分に挑戦するに価値のあることに思えてならない。彼の手腕に期待したい。
なお、新都建設論の具体的な内容については、財団法人・社会経済生産本部の『新都建設への提言』が詳しい。
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