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noh-dictionary 観能予習復習辞典
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曲目
辞典関連公演日付
関係項目  
  
  
  
    

羽衣
はごろも
2003.5.17
(三番目物)
シテが幽霊でなく、また、夜ではなく、朝から昼にかけてという三番目ものはこの曲だけ。
「熊野」 は昼から夕方。 (能楽手帖)
船渡聟
ふなわたしむこ
2004.5.08
(狂言)
ろく 陸 碌   goo辞書
(1)下に打ち消しの語を伴って、
     物事の正常でないこと、まともでないこと、満足できる状態でないこと。
(2)地面などが水平なこと。平坦なこと。 「岩角をろくにならして柱立て/大句数」
(3)きちんとしていること。 「此のかけ物もろくにかけてもらひたい/狂言・乳切木」
(4)気分がくつろいでいること。 「さあ、ろくにゆるりとゐやと/浄瑠璃・重井筒(中)」

   ろくに居る…楽にしている。あぐらをかいている。
   「迚の事にゆるさせられい。ろくにゐませう/狂言・布施無経(虎寛本)」

★“ろく” は“陸” の呉音。水平なさまをいうのが原義。“碌” は当て字
文蔵
ぶんぞう
2004.5.15
(狂言)
文蔵・ぶんぞう と 温糟・うんぞう
  当時の読み物は、実際に声に出して読まれることを前提にしていた。 (狂言ハンドブック)
文蔵…石橋山の合戦物語。源平盛衰記?「真田の与一が乳人親に文蔵と答ふる」
温糟粥 うんぞうかゆ
  …釈迦が苦行を止めて沐浴し、蝋(月偏)月八日、菩提樹の下で悟りをひらいたとき、
    スジャータという村の娘がミルク粥を献上した。
  それを偲んで、禅寺で12月8日朝に煮る粥。 酒粕(かす)と味噌を加えた粥とも、
  昆布・串柿・大豆の粉などを入れた粥ともいい、異説もある。蝋八(ろうはち)粥。
 五味粥 (ごみじゅく)…小豆など5つのものを入れた粥
        (「食う寝る坐る 永平寺修行記」野々村馨 新潮文庫 『蝋八接心』より)

★なぜ、文蔵なのか…まだ、聞き取れていない。
真田与一が伴って、共に討死した郎党の文三(ぶんぞう)の名か?

治承4年(1180)8月、頼朝は、真鶴岬(まなづるみさき)付近にある石橋山に野営した。 石橋山の合戦で源頼朝の部下 佐奈田(真田)与一と郎党文三は、 平家方剛者 俣野五郎と、海が迫る断崖の上で死闘を続けた。 格闘の末、与一は五郎を組み伏せとどめを刺そうとするが、 血糊で短剣(鎧通し)が抜けず、加勢に駆けつけた平家方の武士に囲まれ、文三 ともども壮絶な戦死を遂げた。二十五歳であった。
頼朝は与一の忠烈に感じ、後に専使を遣わし、家族の行く末の安全をはかった。

 ●真田与一義忠は 岡崎四郎義実(三浦義継の四男)の嫡男で、源頼朝が石橋山で挙兵した際、 その前衛を勤め、股野五郎と組打ちとなり討死したと言われている。
一説には、与一この時痰が咽につまり討たれたことにより、喘息・痰咳の神 (眞田明神)として崇められている

 ●真田神社…平塚市真田44番地  (HP「湘南ひらつか清遊亭」 歴史探訪・真田城跡)
桓武天皇の後胤、国香十代の孫、真田与一義忠 所在の神社として崇敬厚く社殿の修復を加えた。

 ●真田与一に関するいわれ (平塚市HP 平塚図鑑)
与一はゼンソク持ちで、石橋山の合戦で相手と組討ちになったとき、 痰が絡んで声が出なかったために誤って味方に殺された。 生前、ホオズキの根を煎じて飲んでゼンソクを治そうとしていた与一を偲び、 7月9日の真田神社の祭りには、境内にホオズキ市が立つ。 また、天徳寺(真田城址)の与一堂では痰切り飴も売っている。
放下僧
ほうかそう
2002.2.17
(四番目物)

ぐるぐる…狂言「寝音曲」「 」「 」の小謡のぐるぐるの本歌  
囃子
(お)はやし
2004.5.08
『能のお囃子は、
   例外はあるが情景描写ではなく、心の中での動き、鼓動である』 (大倉正之助)     



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