曲目 辞典関連公演日付 |
関係項目 |
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おきな 2002.2.17 2004.12.08 |
(番外 別格) 一番目の脇能の脇は、翁の脇という意味(能楽ハンドブック)。 翁 … 祈祷の芸術的表現、演劇というより神事への奉仕。(能楽手帖) 「40年前、北陸九頭竜川の奥の白山神社のお社で、翁、父ノ尉、三番三 に会った。 その後の 能面のよしあしを見る基準となったと言える面である。 白洲正子氏は、『どんな無知のものにも、ひと目で平和な落ち着きを与えるもの、見ただけで楽しいもの、 それがお能の真の姿ではないかと、私はこの面を前にして思うのです』 と書いている。」 (本田光洋 プログラムより) |
うたうら 2001.10.28 |
(四番目物) 難クセ 曲舞(くせまい)は難解な語句で綴られており、聞いても意味が理解し難く、 また、謡うのが難しい「難クセ」で、異様な雰囲気をかもし出す。 神がかりとなる終曲まで次々と型をみせるところが見どころ。翔(かけり)。(公演パンフレット) |
うんりいん 2003.5.17 |
(四番目物) 雲林院の経過 紫野院 → 雲林亭(淳和天皇離宮) → 雲林院(仁明天皇→常康親王の出家により仏寺に) → 僧正遍照により天台宗寺院として隆盛 → 大徳寺の敷地として、 宗峯妙超(大燈国師)が花園天皇より雲林院敷地の一部を拝領、臨済宗寺院となる なぜ、雲林院なのか? 源氏物語「賢木」で、父帝の亡くなったあと、源氏は、藤壺中宮へのあてつけに、雲林院に篭る。 また、当代の寵妃、朧月夜との密通発覚。 伊勢物語では、業平が二条の后に恋したことが発端となっており、 「帝の后との恋」のイメージに、雲林院は、ぴったりだから。 風光明媚で知られた所でもある。(かんぜこむ・のうのうたより より) 是や聞く雲の林の寺なれば 花をたづぬる心休めん 西行 しほるる裾をかいとって → 忍び出ずるやまめ男 → 降るは春雨か → 落つるは涙 連歌的転換の妙の名文と名型 (能楽手帖) |
海士 あま 2003.5.17 2005.9.23 |
(五番目物) 海人 元々は、天皇の食膳に供する海産物を採る特殊技能者。志摩、丹後などの海も直轄領で、 出先官庁に、公卿が赴任していた。 唐から贈られた三つの宝とは (アイ狂言) (能樂手帖) 華原磬(かげんけい)… 一度打つと袈裟をかけるまで鳴り止まぬ楽器 泗浜石(し=涙 ひんせき)… 墨をすれば自然と水がしみだす硯 面向不背(めんこうふはい)… 玉中の釈迦の像がどこから見ても同じに見える名珠 『観音の冥護』… 志度寺の古伝を踏まえた作者の深慮 (能楽ハンドブック) ★文武天皇の妃で 聖武天皇の母の宮子が海人だという伝承がある。 海人を掌中に収めて従属させることそのものが、古代の王権の象徴のようなところあり。 また芸能の原点は海人である。 (梅原猛 「海人と天皇」 ・ HP「海人の國」 参照) ★なぜ、龍女か?… 法華経では、女人は龍(或いは男子)になると成仏できる、ので。 「変成男子」 へんじょうなんし 前シテは、正先に扇を置いて中入り。後シテが男子になり、面は悪尉、白頭、狩衣半切、の出でたちで、 鹿背杖をついて出る。経を懐中している。 おおよそは小書「懐中之舞」式で、更に重々しさが加わり、どっしりとする。 (弥左衛門芸談) 「懐中之舞」 中入前、正先に扇を置く→『さては亡母の手跡か』。後シテ、地謡の間に経を懐中。 三段の早舞が五段になり、黄鐘調で三段で静まり、子方を見て泣く型が入り、その後盤渉になる。 早舞トメで、子方に経を渡す。軽いテンポで地謡で普通に戻る。変化がつくのが面白い小書。 (弥左衛門芸談) 貴種…貴種流離譚の貴種とは元々神の子で、その流浪の姿に重ね合わせて、 子方の義経となり、房前となった。 少年の中に神を見、少年に演じさせる発想。日本武尊、桃太郎、一寸法師、義経、房前…。 (国立能楽堂プログラム「子方の発想」 近藤瑞男) |