4月23日
・・・昨日からの激しい腹痛で、一晩中眠れず。ついにこの朝、かおるがダウン・・・
「オベリスクの石切り場」には行けずに、アスワン空港の医務室でお尻に2本の注射を打たれてまいました
この地で砂になるのかと思った・・・
空路にて:アスワン(8:45)→(30分)→ルクソール(9:15)
- ルクソール●カルナック・アメン神殿(10:10〜)
ナイルの東岸は「太陽の昇る生者の街」と言われる
古都ルクソールはかつてはテーベと呼ばれエジプト最大の都市であった
テーベ王朝の後は、アメン神の信仰の中心地となっている
カルナック神殿は、アメン神を祀った神殿。アメン神は、テーベの市神だったが、首都となってからは太陽神・ラーと結びつき国家信仰の最高神となった
![]()
![]()
(←)カルナック神殿の聖獣は巻角を持つ牡羊
第一塔門の前には牡羊の頭の40体のスフィンクスが整列しているカルナック神殿は様々な神を祀った神殿の集合体!歴代ファラオは権力の強化と、国家の繁栄のため、競って増改築や神像・神殿を造った
![]()
高さ23mの12本の柱を中心に134本の柱が並ぶ大列柱室
(←)パピルスのつぼみを型どった小さな柱は15mある
はりの下まで「カルトゥーシュ」がびっしり!(→)カルトゥーシュ(王名枠)
カルトゥーシュの中には、ファラオ(王)の名前だけがヒエログラフで書く事を許されている
神像・神殿には、深く深くカルトゥーシュが刻まれ、石の流用や名の彫り直しを防いだ(↑)2つのオベリスク
左がハトシェプスト女王の現存する最古のオベリスク・30m。3500年もここに立っている
右はトトメス1世のもの
![]()
- ルクソール●ルクソール神殿(13:15〜)
![]()
カルナック神殿のアメン神は、祭りの際、ルクソール神殿まで神輿で移動したため、2つの神殿の間を結ぶ参道には、スフィンクスが3Kmも並んでいたという
神殿の北側の壁には、その神事の様子を描いたレリーフも見られるラムセス2世の中庭・アメンホテプ3世の中庭・アレキサンダー大王の間などがある
高さ25mのオベリスクはもとは1対であり、その片方は、現在パリのコンコルド広場に立っている
4月24日
- ルクソール●王家の谷(ツタンカーメンの墓・ラムセス6世の墓・ハトシェプスト女王葬祭殿)
ナイルの西岸は「太陽の沈む死者の街」と言われ、歴代ファラオの墓が集まっている
歴代の王墓が、次々と盗掘されたため、18王朝のトトメス1世が王家の谷に墳墓を造営した。王の墳墓は、無人の広野に奥の奥に隠された
現在までに58の墳墓が発見されている(→)ツタンカーメンの墓。内部は撮影禁止!
完全な形で発見された唯一の王墓!
2000点あまりの豪華な副葬品は、カイロ考古学博物館にあるが、18歳で没した王のミイラは現在も墳墓のなかに安置されている
TOMB OF TUT ANKH AMON
(↑)ラムセス6世の墓
入り口から玄室までが一直線に並ぶ。墓の中は陽が当たらないため美しい彩色のレリーフがあふれる。玄室の天井のヌゥト女神2体は背中合わせに描かれ昼と夜をあらわす。CMでもお馴染み♪ハトシェプスト女王葬祭殿は、女王が父・トトメス1世と自分のために建設した。女性には王位継承権がなかったため男装し政治を行った。甥のトトメス3世が幼かったため死亡するまで女王が王位についていたが、トトメス3世の不満は大きく女王の死後カルトゥーシュや像がことごとく破壊された
- ルクソール●貴族の墓
![]()
第18から26王朝の貴族の岩窟墓が多く集中している
規模は小さいが、保存状態もよく、当時の生活や狩りの様子を知る貴重な資料となっている
- ルクソール●メムノンの巨像(11:00〜)
![]()
畑の真ん中にある、1対のアメンホテプ3世の座像
かつては葬祭殿の正面を飾っていた。19王朝のファラオ・メルネプタハによってその石材は全て持ち運ばれてしまった・・紀元前27年の地震でひびが入り、怪音を発していたことがあった。人々は「エジプトで死んだと言われる伝説中の神人・メムノン」であると考えた。修復後は鳴らなくなった
空路にて:ルクソール(15:45)→カイロ(16:45)
4月25日
- カイロ●カイロの街散策
- 帰国 カイロ(14:00)→バンコク
4月26日
- 帰国 バンコク→成田(12:55) エジプト航空で20時間弱(トランジット含)
●最後に● いっぱい書いてありますが「これじゃ行く楽しみなくなっちゃうよ〜」なんていわないで!
ここに書いた事は、ほんの一部なんですから・・・
エジプトは、地球の宝箱をひっくり返したようなところ
不思議がいっぱいで興味が尽きません私たちは一夜漬け状態でエジプトに出発し、帰国してからいろいろ勉強しました
今思えば、ここに書いた事くらい知ってれば、もっともっと楽しかったのに・・と思いますナイル河沿いには、まだまだたくさんの遺跡や神殿があります
いつかナイル河を船旅しながら、エスナ・エドフ・コムオンボ・・・それから腹痛で行けなかった
「オベリスクの石切り場」「ルクソール神殿」にも行きたいと思うのでした♪
−年号・建物の大きさなどは資料によってかなり異なります。大体の目安としてください−
≪3ページ目を見ます ●4ページ● 旅日記のTOPに戻ります≫