『心臓を貫かれて』上・下 マイケル・ギルモア 文春文庫
村上春樹訳の長編ノンフィクションです。
あっという間に上下巻を読み終えました。
マイケル・ギルモアの兄達、両親について書かれた本で、
彼はローリングストーン誌のライターをしている人です。
マイケル・ギルモアの二番目の兄、ゲイリー・ギルモアは、
ユタ州で死刑再開の切っ掛けとなった死刑囚でした。
三番目の兄ゲイレンも道を踏み外したまま薬漬けになって死に至ります。
ゲイリーについては、既にラリー・シラーが独占出版権を本人から買い取り
『死刑執行人の歌』という小説になっていましたが、
実弟のマイケル・ギルモアが別の形で本にしたわけです。
「これはすごい本ですから、あなたが訳すべきだ。」
そう村上春樹に初めに勧めたのは奥さんだったと後書に書いてありました。
「これはすごい本だ。訳してもらってよかった。」
そうわたしは思いました。
マイケル・ギルモアという人がどうしてこれを書かなければならなかったのか。
なんとなく、わたしにはわかるような気がしました。
いいえ、それはあまりにも僭越な言葉です。
「ほんのすこししかわからなかった。」と言うのがやっとです。
けれども、書くこと、それを自分に強いることによって真実を見ようとする姿勢。
この世に産まれる前から負ってきた家族の歴史を紐解き、
自分と直面しようとする誠実な態度。
これには心打たれます。
彼の勇気によって淡々と書かれたある家族の物語は、
行ったこともない異国の、異文化での出来事ではありますが、
すべての現代人の心の内に巣食う悪魔の仕業として、
ギリギリのところで共感し得るものだと思いました。
暗闇にギリギリに近よりすぎて怖いですけれども、
恐らく人間が落ちていくところはきっとこんなところなのかもしれません。
長男フランクについての記述が唯一、救いのあるエピソードでした。
そんな人生があっていいのかと、何度も疑いたくなる物語の中で、
唯一人間の良心を信じさせてくれるのがこのお兄さんでした。
訳者村上春樹は長編『ねじまき鳥クロニクル』を書きながら、
合間にこの翻訳をしたそうです。
『ねじまき鳥クロニクル』には人間の悪というものが描かれています。
このノンフィクションが村上春樹の脳味噌を掘り下げたことに疑いないとわたしは思いました。
もちろん、こちらはフィクション、あちらはノンフィクションで、
互いにまったく違う世界の話です。
でもだからこそ、両者に描かれた共通の「悪」に、真実の恐れを感じるわたくしであります。
山下月子
1999/11/08