高下駄-1

1974年8月、神戸より西相生まで4日間かけて、すべて野宿で高下駄を履いて歩きました。
 
本当は岡山県日生町寒河(両親の家があった)まで100キロを歩く予定でしたが、
西相生の先の赤穂の「高砂峠」を見て、もう歩けないと判断し、西相生までしか歩けませんでした。 

道中、 様々な人に出会ったり、野宿で大変な目にあったりして、
その時は「なんでこんなばかげた事を思いついたのだろう、」と後悔したものでしたしたが、
今あらためて、その当時の日記を読んでみると、なかなか面白い経験だったのがよくわかります。
道中、ABCラジオの「おはようパーソナリティー、中村鋭一です」で時々応援放送してくれました。
その記録をやはりABCラジオの「ヤングリクエスト」で読んでもらい、記念にヤンリクノートをもらいました。
そのノートで、のちの世界旅行の日記を書きました。

同行したのは中央大学世界旅行研究会の同輩の有働君でした。
その時は漫画家を目指してたので、日記の挿し絵に漫画を描いてくれました。
彼は今、郷里の熊本に帰って真面目にお茶屋さんを営んでます。

記録写真と日記を保存してますので、興味のある方はメールをください。

なお、翌年、お茶の水から八王子までの45キロを一晩かけて高下駄を履いて歩いてます。(後述:ナイトハイク)
その時に同行したのは、やはり中央大学世界旅行研究会の後輩の鈴木君でした。
彼は今、たぶんスズキ自動車の重役にでもなって(?)頑張ってると思う。

ご質問などお待ちしております。




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今後の工事予定:その他の写真,日記

     
                    
明石(子午線) 有働くん
土山
姫路城
使用後の高下駄
左右のちびりがた(減り方)がこんなに違った。

↑日記と有働くんの挿し絵

ここだけの話:
実を言うと彼には言ってなかったけど・・・・。
彼は漫画家を目指して、バロン吉本という当時の売れっ子漫画家に弟子入りしました。
何年か経ち、やっと「別冊少年サンデー」で単独デビューしました。
私は、編集部に「こんなにおもしろい漫画ははじめて見た。将来有望な漫画家だ」
とハガキを(応援の意味で)書きました。
本当は、絵はまあまあよかったけど、ストーリーが全く・・・・。
有働くん、ごめんなさい。
こんなこと毎日チェックされてるブログだと書けないけど、
ホームページだとほとんど見られてないから、自分のストレス解消で書けるもんです。
彼が見てないことを祈ります。


有働くんが学園祭のときに描いてくれた似顔絵




高下駄

ナイトハイク
第6回ナイトハイク
1977年(昭和52年)9月24日(土)午後8時駿河台校舎正門スタート。
多摩キャンパスをゴールに延々45kmを深夜に歩きました。

2,959人参加。ゴールは2,006人。午前5時前ごろにゴール。順位は100番台でした。
高下駄で参加したのは小生だけ。
後輩の鈴木くんも高下駄ではなかったが、下駄で歩いた。下駄の参加者も彼だけだった。


以下、当時の中央大学大学新聞の記事です。






上の写真の左側が私。右側が鈴木君


おまけ
1978年10月・山手線一周
<中央大学世界旅行研究会>