踊る麻酔科最前線

臨床麻酔の手引き

麻酔科医の、麻酔科医による、麻酔科医のための「麻酔のコツ」である。
にくたらしい外科医やいじわるな指導医にお悩みの研修医の特効薬とならんことを...
教科書ではわかりにくい「コツ」を中心にしているので基本的なことは成書から学んで欲しい。
内容に医学的な誤りがあることに気付かれた方はお知らせ頂ければ幸いです。
ありがたいことに早速、いくつかのご指摘を頂いたので、糖尿病、喘息、メセントリック・リアクション、大腿骨折の項を改訂した。

 


 

高血圧・虚血性心疾患の麻酔

本態性高血圧や虚血性心疾患では血管弾力性の低下が問題である。侵害刺激により過度の高血圧になる反面、急激な低血圧も起こりやすい。
麻酔導入は100mダッシュ以上の心肺負荷となり得るので、ラボナール+サクシンによる急速導入は特殊な状況(フルストマックなど)以外ではお勧めできない。フェンタニールやリドカインの静注は血圧上昇の予防には思ったほどの効果はない。
お勧めは、マスク(ラリンゲルマスクを含む)下での吸入麻酔による緩徐導入である。経皮気管内麻酔も非常に有効であるが、侵襲も小さくないし、喉頭反射を抑制するので適応は限られる。
硬膜外麻酔を全身麻酔に併用する場合は、予め十分な補液と昇圧薬(エフェドリンとドーパミン)を準備しておくこと。恐ろしいほど血圧が低下することが多い。頻脈に悩んだ場合、βブロッカーと(陰変時作用の強い)Caブロッカーの併用は非常に危険なので注意すること。
虚血性心疾患のフルストマックというのは、非常に悩ましい症例である。意識下挿管による心筋梗塞の危険と、緩徐導入による誤嚥性肺炎の危険を天秤にかけなければいけないのだが.....ケースバイケースとしか答えようがない(スマン)。

糖尿病の麻酔

糖尿病患者の麻酔では術前の禁食処置と低血糖の絡みが問題になる。ブドウ糖を含む術前輸液がされていなければ、血糖降下薬やインシュリンは断薬した方が無難である。
術中は少なくとも2時間おき(場合によってはより頻回に)血糖を測定すること。糖の補給はブドウ糖で行うこと。過度の糖制限は返って危険であること。高血糖にはレギュラーインシュリンを使用すること。をアドバイスしたい。外科医や内科医の中には、周術期でも長時間作用性インシュリンを使用した方がコンプライアンスがよいなどと主張する方もおられるようであるが、血糖チェックをさぼりたい怠け者か、素人のたわごととしか思えない。少なくとも手術中の血糖管理は麻酔科医の専権事項であるから、口出しは許されない。
ちなみにインシュリンはガラスやプラボトルに吸着されるので、点滴する場合はアルブミンを少量混注する必要があることを知っていて欲しい。>アルブミンは不要でないか?(インシュリンの添加量を増やせばよい)というご指摘を頂いた。科学的には全くその通りである。アルブミンは高価で貴重な血液製剤であるから、不必要な使用は慎むべきである。教科書に書いてあるからといって、盲従するのは考え物である。ただ、インシュリンの正確な吸着率は未だ不明な点がある。繰り返しボトルに混入することでいつかは飽和されるのであろうが、いつ飽和されるのかは現実には分からない。例えば血糖値300という時、普通なら4単位のレギュラーインシュリンを使うところへ10単位のインシュリンを使ったとする。手術侵襲による耐糖能低下やボトルへの吸着を考えれば医学的には問題ないと思うのだが、その症例にトラブルが発生した場合、インシュリン過量を指摘する人物が必ず出現する。その手のトラブルを解決する自信があるのなら全く問題はないのだが.....少なくとも時間の浪費になることは間違いない。
現実的にはインシュリンを点滴でなくワンショット静注すればよい。点滴が望ましいと判断される場合は、自己血5〜10mlを混注する方法がある。手術中の採血の煩わしさと、ボトルやラインが血液で汚染されるという欠点もあるので私個人は好きな方法ではないのだが。

気管支喘息の麻酔

麻酔科医は喘息治療のプロでなければいけない。呼吸器内科の医師が、どうしようもなくなった重積発作患者を前に、最後に頼ってくるのが麻酔科医だからである。
喘息発作を誘発するあるいは悪化させる薬物、喘息の治療薬などに関し、広範な知識が要求される。ちなみに喘息発作を誘発するあるいは悪化させる薬物は、
アスピリンなどの消炎鎮痛薬、ワゴスチグミン、ラボナール、サクシン、βブロッカーなど副交感神経系を刺激する薬物、モルヒネ、フェンタニール、ヨード剤などヒスタミン遊離作用がある薬物、などである。
一番の元凶は浅い麻酔であるとおもう。また、フェンタニ−ルは大丈夫ではないでしょうか?
いやー、全くその通りである。私もフェンタニールで喘息が誘発されたとか増悪したという経験はない。教科書に書いてあるだけである。「私はフェンタニールで喘息が誘発された症例の経験がある」という方がいらしたら発言をお待ちしている。

脳外科の麻酔

脳外科麻酔で悩むのは、利尿剤(マンニトールなど)使用などによる脳浮腫の予防・治療と脱水のかね合いであろう。アドバイスは「始めチョロチョロ、中パッパ、クリップ終わればジャージャージャー」である。もちろん輸液のことですよ。
脳外科医にはよく手術終了時に「麻酔醒めますかねえ?」と聞かれるのだが、私はいつも「麻酔科的には覚醒する筈です」と答えることにしている。醒めなかったら手術の影響です、という意味である。

消化器外科の麻酔

消化器外科の手術で意外と知られていないのは、メセントリック・リアクションという現象である。下部消化管や大動脈周囲の手術操作で、血管作動性物質が放出され、急激にショックになるというものである。顔面紅潮(フラッシュ)が見られたら、まずこれを疑って欲しい。治療は手術操作の中断と昇圧剤投与、輸液負荷、ステロイドなどである。
MTSでのステロイドは有効でないと思う。
昔の文献にはステロイドが有効であると書いてあるものが多かったが、最近の文献では有効性に疑問ありとするものが多いようである。少なくとも即効性はないので、確かに積極的に使用する必要はないであろう。最近ステロイドはすっかり悪者にされてしまった感がある。私もあまり好きな薬ではない。効果も副作用も非常にゆっくり出現するから、気が短い麻酔科医には向いていないと思う。高価な薬なので、「おかず」と称してステロイドやミラクリッドをルーチンで点滴する施設もあると聞くが.....言語道断である。

イレウスの麻酔

腸内には膨大な数の細菌が生息している。にもかかわらず、普通の人が敗血症にならないのは、腸には細菌の進入を妨害するバリヤーが存在するからである。イレウスによる腸管拡張はこのバリヤーを破壊する。しかし、腸管が拡張している間は血行が阻害されるので細菌が血中に流入することは稀である。
問題は手術により腸管の拡張がとれた瞬間にやってくる。腸管への血流再分配による有効循環血液量の低下とエンドトキシンショックのダブルパンチである。十分な補液と昇圧薬の準備を怠るなかれ。

呼吸器外科の麻酔

呼吸器外科の麻酔において、絶対に知っておかなければならないのは、分離肺換気とHPV(低酸素による肺血管収縮)の知識である。HPVは生体に有利な現象であることを知っていれば、成書にあるが如き「30分置きに肺を膨らませる」ことが本当に良いことかどうか、疑問に思うはずである。 

腎移植の麻酔

腎不全患者では血小板機能の低下や免疫能低下が予想されるので、侵襲的操作(硬膜外麻酔や観血的動脈圧モニター)は最小限にする。という意見があるが賛成できない。頻回な採血や急激な血圧変動が予想されるからAラインは必須だと考える。術後疼痛抑制に消炎鎮痛薬は使いにくい(PG合成阻害作用があるため)ので、麻薬か硬膜外麻酔が必要になることが多い。麻薬の副作用と疼痛ストレスの悪影響(血管収縮など)を考えると硬膜外麻酔も捨てがたいのである。

TURの麻酔

TUR症候群(低Na血症と水中毒)の予防や治療については成書を参照されたい。
問題にしたいのはTURには硬膜外麻酔という考えである。TURを受ける患者は高齢であるから、急激な血圧変動をきたす脊椎麻酔は避けるべきだという意見がある。そういうことを主張する医師が、年寄りには極力脊椎麻酔はかけないなんてことは決してないはずだ。
硬膜外麻酔は比較的大量の局所麻酔薬が必要になる。局麻薬中毒とTUR症候群は臨床症状(不隠、嘔気嘔吐、血圧低下など)が酷似する。鑑別が難しくなるのであまりお勧めできない。

大腿骨骨折の麻酔

脂肪塞栓は必発と考えて良い。骨髄操作中に急激な血圧低下を見たら、まずそれを疑って欲しい。治療は酸素投与と昇圧薬(徐脈ならアトロピンも併用する)で十分なことが多い。骨髄刺激による副交感神経反射や骨セメントの副作用という可能性もあるが、治療は同様であるから問題ない。
全身麻酔でなくてもパルスオキシメータは必須だと考える。
大腿骨折、特に高齢者では、Hypovolemiaが原因が多いと思うが。
ご指摘の通りである。大腿骨の骨髄操作中は出血も多いので、術野の観察、出血量の把握などを怠らないで頂きたい。超高齢者(かつ低体重)では、300〜400mlくらいの出血でも輸血が必要になることがある。呼吸困難やSpO2、ETCO2低下を伴わない頻脈と血圧低下をみたら、まず出血性ショックを疑うのは麻酔科医の基本姿勢である。前の文章は、脂肪塞栓の可能性も忘れるなという意味である。

人工授精のための採卵の麻酔

排卵誘発剤(特にhCG)の副作用に胸水や腹水の貯留がある。脱水や呼吸不全の原因にもなるので、知らずに麻酔をかけると大変なことになる。当日の胸腹部レントゲン写真を必ずチェックすること。撮っていなければ撮って貰った方がよい。

あなたの意見だと、末期癌の疼痛管理はどうしますか?

まず、正論からいけば、WHOの勧告に従った除痛療法に従うべきでしょう。非ステロイド系消炎鎮痛薬から段階的に強い薬を使用していくこと。モルヒネの使用を躊躇しないこと。鎮痛薬は痛みが出現する前に、定期的(あるいは持続的)に投与すべきであること。鎮痛薬(特にモルヒネ)の副作用には積極的に予防処置をとること。などに反論の余地はない。
持続硬膜外ブロックやくも膜下ブロックには否定的な意見を持っている。合併症が少なくないこと。硬膜外カテーテルを留置したままの入浴や退院を(麻酔科医が許可しても)主治医や看護婦や患者本人および家族が嫌がること。手技に熟練を要すること。などが理由である。
全国に1万以上ある病院で、麻酔科医が常勤しているところは1割にも満たない。末期癌の管理は疼痛だけでなく全人的医療が必要であるし、主治医や看護婦、患者本人や家族に余計な負担をかけるものであれば決して受け入れられないであろう。疼痛除去効果をうんぬんする以前に、その治療法が全ての病院で、誰にでも行えるものでない限り、一般化することはあり得ないと考える。
モルヒネの定期的(持続的)投与は、誰にでも簡単に行えるところに最大のメリットがある。職人芸は要らないのである。最大の欠点は、呼吸困難、腹部膨満感などの苦痛には効果が薄いことである。
呼吸困難を例に取れば、胸水貯留があれば胸腔穿刺、癌の肺転移自身が問題であるなら鎮静薬の使用が対応策ということになるであろうが.....「死期を早める」ということで嫌がる方(主治医や家族)も少なくない。私個人は癌末期の苦痛をとるためには「死期を早める」治療法でも積極的に利用すべきであると考えるが、一般的ではないであろう。「苦しくても、できるだけ長くもたせて欲しい」という(本人や家族の)意見も理解できるし、決して無視できないのである。

 

<戻る>
<ホーム>