踊る麻酔科最前線

脊椎麻酔事故に憂う

また脊椎麻酔事故が発生した。
また脊椎麻酔は危険だという誤解が一つ増えた。
脊椎麻酔に関して考えてみたい。


  なぜ脊椎麻酔で事故が起きるか。

「脊椎麻酔は手技が簡単」であり、「呼吸抑制が少ない」ので麻酔専門医は必要ないだろうという誤解がある。
麻酔専門医に言わせれば「全身麻酔は手技が煩雑なだけで、一つ一つの手技自体は脊椎麻酔より簡単である。脊椎麻酔の手技と術中管理は全身麻酔より難しいことも多い。」、また、「鎮痛薬や鎮静薬を使用すれば、呼吸抑制は少なくない。」と反論するであろう。

  脊椎麻酔が危険なのではない。

麻酔専門医あるいは全身管理のプロ(集中治療医や救急救命医)を無視した麻酔行為が危険なのである。試しに100人の麻酔専門医に「95歳の大腿骨頚部骨折の麻酔に何を選択するか?」、質問して見ればよい。30人くらいは硬膜外麻酔と答えるだろうが、残り70人の殆どは脊椎麻酔と答えるであろう。全身麻酔と答える変わり者は数人もいない筈である。

  血圧は何のために計るのか?

このことは医師や麻酔科医でも勘違いしている人が少なくない。麻酔中に麻酔科医が本当に知りたいことは何か?それはずばり「脳を始めとする主要臓器に、十分な酸素と栄養(ブドウ糖)が供給されているか?」なのである。残念ながら、今の医学で臨床的にそれを直接測定する簡便な方法はない。かろうじて代用できるのは心拍出量や混合静脈血酸素飽和度の測定くらいであろう。両者とも相当以上に侵襲的な方法でなければ測定できない上に、測定結果の信頼性や連続性、即時性などに問題が残る。
結局、血圧や心電図や尿量のモニターというのは全身や心筋や腎臓に十分な血流が保たれているかどうかを判断するためのものである。5分置きに計ればよいとか2分置きでなければいけないとかいうレベルの問題ではないのである。必要ならば30秒おきに(あるいはAラインを確保して連続的に)測定する。必要なければ15分でも30分置きでも構わない筈である。
内視鏡や血管造影、PTCDなどは、麻酔以上に危険なことも少なくない。実際に助けを求められたことも数多い。麻酔だけを悪者扱いするのは止めて貰いたい。

  キシロカイン(リドカイン)中毒

キシロカインという薬がある。胃カメラ時にのどを麻酔するのに用いられたりする局麻薬である、と同時に心室性期外収縮の第一選択薬といえる優れた抗不整脈薬でもある。
この薬を使いすぎて局麻薬中毒になったという話は珍しくない。それは知っていて欲しいことではあるが、この薬は胃酸で不活化されるので飲んでも効果は現さない、ということも知っていて欲しい。極端に神経質に「絶対飲み込むな」と注意する必然性は少ないのである。口腔や食道の粘膜からも吸収されるので、極量を越えて使用することは論外であるが。 

  安全な脊椎麻酔のために

1)まず重要なことは脊椎麻酔の適応と限界を理解すること。
 脱水や出血性ショックには禁忌に近いと考えた方がよい。年齢も危険因子のひとつであり、思春期前の小児の脊椎麻酔は麻酔専門医でも難儀することがある。あまり長時間の手術や、高度な筋弛緩を要求されたり、呼吸運動が手術の妨げになる場合には不適である。脊椎麻酔の効果が不十分なな場合や途中で効果が切れたときは、安易な鎮痛・鎮静薬の使用は好ましくない。一人で何とかしようと思わずに、助けを呼ぶこと。時にはさっさと挿管して全麻に切り替えた方が術者にも患者さんにも感謝される。
2)パルスオキシメーターを装着すること。
 カプノグラムも工夫して使えば、挿管全麻でなくても有用であるが、まだまだ高価である。パルスオキシメータは安いものなら20万円台(最新の情報では10万円台)からあるから、なければ是非購入して頂きたい。すべての脊椎麻酔症例にこのモニターが使用されるようになれば、脊椎麻酔事故は激減するはずである。
3)腕を磨くこと。それが無理なら麻酔専門医を雇うこと。
 腕というのは脊椎麻酔のテクニックのことだけではない。蘇生術を含めた緊急対処などの知識と技術を含めてのことである。「脊椎麻酔をかけると血圧が下がることがある」なんてのは知識ではない。正しい知識は「脊椎麻酔をかけると血圧は必ず下がる。下がらなかったら、その脊椎麻酔は失敗である」という認識である。この覚悟がない医師に脊椎麻酔をかける資格はない。

 

 

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