踊る麻酔科最前線

医薬分業について

これでいいのか?医薬分業(6)メディカル朝日.1998.3月号.p58〜60

はじめに

 医薬分業は、薬と薬剤師をわれわれに強く印象づけさせた大きな構造改革であった。わが国の医療は古くから医師が行うものとの観念があり、薬剤師が患者の前に直接出るという考えが乏しかった。一般薬局では病人が自分の判断で薬だけを求めて出かけ、もっぱらそこで自分の苦痛を薬剤師に直接訴えて、薬剤師の勧める薬剤を購入してきた。もちろん医師による医療行為は期待していない。医薬分業は、このような薬局の利用法とはまったく異なったものであり、従来にない新しい医療形態であり、薬剤師の役割もただ単に薬を棚から下ろして、数を数えて、患者に渡すというような単純な作業ではない、いわば薬剤師としての考え方によれば薬剤師本来の医療行為である。『メディカル朝日』でも昨年10月から特集としてこれに関する記事が連載(10月号、11月号、12月号、98年1月号、2月号参照)されているように、医薬分業の制度の是非あるいはその内容に対する議論が活発化している。

医薬分業の出発

 1925(大正14)年に薬剤師法が制定された時から医薬分業は論じられており、この制度は最近考えられたものではない。当時から医薬分業が自然発生的に遂行されるものではないことは知られていた。これを実行するには法律が必要であることも、さらに法律を制定する時には低所得者層(当時は、貧民という言葉を用いている)を救済する法律も同時に考えることとしている。そして、医薬分業の結果は、経済的には負担になることも知られていた。現在、医療費抑制の観点から、とりわけ薬品費抑制策の方向から、一般には薬潰け医療から逸脱しようとのかけ声の面から活発に議論されているように、医薬分業を行えば医療費が抑制されると単純に考えられている。しかしながら、医薬分業の発想が生まれた時から、これを実行すれば医療費はかさむことが分かっていたようである。当時、これを議論しながら実施されなかった背景には、低所得者層が医者にかかれなくなる懸念と社会全体を低賃金に振え置くことにより、安価な人件費でわが同の産業を発展させようとした思惑があったものと考えられる。医薬品の薬価差益が実質的にはほとんどゼロの状態となり、医薬分業が推奨されて、院外処方を行う医療機関が増加している。現時点では、旧来の第2薬局はほとんどないと思われるが、機能的にはそこから派生したものにほぼ近く、実質的にはその医療機関と非常に緊密な関係にある調剤薬局が多いとされている。

医薬分業の中の医療機関・医師・患者

 院外処方を行わない医療機関、つまり従来からの院内処方しか行わない医療機関の医師からみれば医薬分業の話は自分の日常診療には無縁であり、この方面の知識はゼロであってもよいかもしれない。しかしながら、外来患者を他の医療機関、とくに院外処方を行っている診療所に紹介するに当たって、そこではどのようなことが行われているのかを知っておく必要があると思われる。また、勤務医を続ける限り自分が院外処方医療機関に転勤する可能性もあり、現行の医薬分業は対岸の火事と思ってはならないだろう。

患者が言う「薬が高い」は医薬分業の制度に起因

 以前に、ある外来患者をその患者の住居の近くの診療所に紹介したことがある。2〜3カ月後にその患者さんがまた私の前に現れた。不思議に思ってその訳を尋ねると、「向こうの薬は高い」と言う。患者さんは同じ薬を高い値段でもらっていると思っていた。初めのうちは、紹介先の先生が乱診乱療をやっておられるのでは、と思っていた。しかし、このようなことが数回かさなってくると、紹介先の信頼できる先生方がすべて乱診乱療をやっておられるとは考えられなくなってきた。患者の言うところの「薬が高い」原因が医薬分業の制度的なものに起因することが分かった。つまり、患者の言う「薬が高い」という意味は、医療機関と調剤薬局との両者で支払われる患者の持ち出し分が院内処方の医療機関での患者負担よりも多いということである。一般の人にとっては、薬をもらう時に再び金を払わされるから、薬代と思ってしまう。そこに薬剤師の技術科など算定されているなど、とても考えが回っていない。まして病気になった患者一個人としては非常事態であり、何かとこの異常な体調から逃れたいと必死に思っているときである。そこに、基本的調剤科が薬局によっては違っているとはまったく思わないだろう。一般には、調剤薬局と保険薬局の違いも分からず、これらが一般の薬店とどう違うのかも分からない状態である。ましてや自分の目の前にある調剤薬局の処方状態がどのようであるかとか、それによって調剤基本料に差があるなど、、とても気がつくわけがない。調剤に対する料金はどこでも同じと瞬間的に思ってしまうだろう。

不評の第2薬局の存在

 調剤基本料、調剤料、調剤料に対する加算、指導加算と算定も複雑になっていることは、ある程度仕方ないことであろう。調剤報酬の改定経過をみると、厚生省の努力の跡がうかがえる。いろんな状況を考慮しながらの改定を加えた結果である。必然的に「建て増し建て増しを重ねた温泉旅館」と悪口を言われる状況となろう。これは誰がやっても同じことになる。院外処方箋報酬の算定は、薬剤の数とそれらの薬剤料の違いもあって非常に複雑であり、一口に言えるようなものではないが、ここではあえて触れない(前述の本誌を参照)。利用者側、つまり患者からみれば少しでも負担が軽いほうがよい。処方に対する算定の細かいことはどうでもよい。調剤基本料が、第2薬局に近い機能の状態の薬局、つまり特定の医療機関からの割合が70%を超えている場合で、1カ月当たりの処方箋受け付け回数が4000枚以上のような調剤薬局では20点とされているので、薬局にとっては不満が残るだろうが患者にとっては助かっていると思われる。同時に、このような医療形態が、大半の現在の医薬分業形式が世間であまり不満に思われることなく行われていることにつながっているためだと思われる。同時に、いまだかなりの割合を保険者側が負担し、患者の自己負担割合が少ないために、問題点があまり表面化していないのだろう。薬剤師会や厚生省が目指している面薬局がもっと普及し、患者の自己負担の割合が増せば問題点をもっと真剣に議論しなければならなくなるはずである。患者の自己負担額が少ない以外に、第2薬局的な薬局のメリットもないわけでもない。医療機関と薬局の“結びつき”を患者はよく知っているので、信頼する医師と結びついている薬局の薬剤師なら信頼できるだろうと判断して、薬剤を受け取っている。たとえ薬剤師が問題を起こしてもかかりつけの医師に文句を言えばよいと考えている。患者は薬剤師を予め知っているわけではない。しかし、医師と関連した人間とみなして信頼するわけである。この点で、第2薬局的な今の多くの薬局の薬剤師は患者とのかかわりの上で無形の恩恵を被っていると言わなければならない。面薬局へ移行するまでの過渡的な形態と考えれば、あながち否定的な要素ばかりでもない。

医薬分業への優遇措置は面薬局の普及次第で横並び?

 今の調剤料算定法は、もちろん過渡期的な設定であり、面薬局が広くわが国に普及した時にはこの差がほとんどなくなるだろう。いまのところ、患者(利用者)側からみて、自分が利用する調剤薬局がどのような機能形態のものか皆目分からない。知ろうとしても知るすべがない。処方箋枚数などというものは時とともに変化する指標であり、特定の医療機関からの処方箋受け付け枚数の割合もまったくの変動要素である。実際に、院外処方をされている方々にお会いしてみると、自分の処方箋を受け付けている調剤薬局がいくらの調剤基本料を患者から徴収しているかを知っている人はほとんどいない。いったん、処方箋を書いてしまえば少なくとも料金のことは後は知らないということでよいのだろうか。前述したように、現在のところ院外処方箋は第2薬局的な薬局でほとんどが処理されているので、いまのところ調剤基本科は20点であり、問題はないかもしれない。ただ、実際に医薬分業されている医師側が、調剤薬局で行われている現状に関心がないのも事実である。薬剤師そのものに関心が薄いのかもしれない。手許から処方箋が離れてしまえば、それから後のことは自分の自由にならない範囲であることには違いないのだが…。医療機関が院外処方箋を出すことによって、処方箋料が算定できることも患者側には納得がいかないものかもしれない。患者側からみれば医師が処方をする場合、出される薬が医療機関からのものであろうと調剤薬局からのものであろうと、同じ価値であるはずである。当然、同じ負担であると思う。院外処方箋を発行することによって医療機関側にも利益が上がる仕組みが、どの程度了解できるかである。もちろん、患者の希望する調剤薬局へのファクス送信などのサービスに、ある程度の経費が医療機関にも必要なことは了解できようが。

医薬分業反対論

 医薬分業に反対する声の中には、薬は基本的に医師が患者に渡すものという考えがある。本来は医師が治療法を懸命に考え、診察したその刹那に服用させればよいと思う薬剤とその量を決める。この熱の状態で、この体重で、この苦しみの程度だから、この薬をこの量と決める。それが、患者が帰宅の途中でどこかの薬局で薬をもらい、いつ服用するかも分からず、また実際に服用するときの患者の健康状態がどんなものか分からない。医師とすれば、考えれば考えるほど、不安である。小児科医である塚田次郎先生(本誌97年10〜12月号、98年1月号の筆者)が院外処方箋を出される時点で、何度もこのような経験をされたことであろう。このような考えに立てば、「薬」は単なる品物ではない。言わば医師の思いが乗り移った「秘薬」とでも言うべきか。薬を葉剤師に渡すことは、薬に対する医師の心を奪い去るものであろう。医薬分業に絶対反対の先生方がおられることも事実である。

医薬分業の今後の課題

 今までの医薬分業は、外国からの圧力があったにせよ行政側が推し進めてきたものであった。患者側からの要望からスタートしたものではない。ならば患者側からの意見を加えて国民に納得いくものとすべきだろう。同時に、後世の批判に耐え得るものであってほしい。あるシステムが一度動きだすと、もはや元に戻れない。世の動きは元の状態に戻るのではなくて、違った方向に進み、違った状態に達するものだろう。反対論者がいかに多くても、もはや今後、医薬分業の普及していなかった状態には決して戻らないだろう。世の中はいまや、ほとんどのシステムが簡素化の方向に進みつつある。医薬分業を行うに当たっても簡素化を念頭におくべきだろう。今や診療所の医師がやたらに多剤を処方することは少ないであろう。問題は大病院で診療されている重症患者にどのように適用するかであり、現行の制度をそのまま適用するかぎり、院外処方では長期間にわたって多剤服用せねばならない患者の自己負担額はかなり大きなものとなる。患者に薬剤を提供するに当たり、ある程度の差が生じるのはしかたがないが、整合性も同時に考えなければならない。すでに幾度も論じられているように、院内処方と院外処方との間に今のような格差があっていいものであろうか。ただし、調剤薬局の経営のことも考えなければならないので、難しい問題である。薬剤肺の技術料をどのように評価するかである。調剤薬局間にみられる格差も含めて、患者側にも納得できる値にすべきであろう。わが国でも技術料が評価されるようになってきた。高齢化社会を迎えて介護の領域にやや強調されているが医師、検査技師・放射線技師、看護婦に加えて、今や薬剤師の技術料をどのように考えるかを真剣に検討すべき時がきているのだろう。医療費抑制と矛盾するところもあるが避けて通れないものと思われる。それにはまず、現行の調剤料請求算定がどうなっているのかを知らねばならない。面薬局が広く普及した暁には、調剤料も均一化されているだろう。医療機関と患者は自由に面薬局を利用できるだろう。ただし、この時には面薬局のほうが多種類の在庫を持つものと、そうでないものとに分かれているだろう。(大田典也 広島赤十字・原爆病院副院長)

 

 

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