踊る麻酔科最前線

西南戦争ならぬ「平成の役」を

 

 医療を取り巻く環境から、『気概』とか『志』という言葉が、忘れられて久しい。かつてチェ・ゲバラという医者がいた。私は学生運動とは無縁の人間だが、ゲバラの哲学は尊敬している。日本のゲバラとも言える唐牛健太郎の最期の脈をとったせいかもしれない。ゲバラは、「一人の人間を治すためには、その家族、社会、ひいては国家まで治さなければならない」と、医者から革命家に転じ、キューバ革命を成功させた。

本誌の「医見異見」に触発されて

 現在、政府が進めている医療制度改革が実施されれば、多分ゲバラが革命を起こさなければならなかった時代のキューバより、医療を取り巻く環境は悪化するのではないかと思う。お年寄りからお金をふんだくるような介護保険や難病指定の特定疾患に対する補助の打ち切りなどは、その典型である。生活習慣病を悪化させ、医療費を高騰させているたばこに重税をかけてその収益を医療に活用したり、標準体重を超えている糖尿病や高血圧の人に負担金を増やすなどしたほうが、はるかに弱者救済であり、均一化の不公平を是正すると思われる。
 さらに書かせてもらえば、パチンコにもっと重税をかけ、それをボランティア基金など、世のため人のために活用すべきである。医者としての『気概』や『志』の根底に存在しなければならないのはヒューマニズムである。しかし、ヒューマニズムを発揮させるには、われわれ凡庸な医者には満たされているという感覚が必要である。その意味では、本誌97年12月号に掲載された「医療立て直しのための提案」(鈴木厚氏)は、健全な医者なら誰もが求めてやまない文章であった。私の所属する鹿児島市の中州支部会の若手医者は鈴木氏の提案に触れ、早速支部会として鈴木氏を招いての講演会を開催することになった。鹿児島県医師会に後援してもらい、すべての医師全会員、さらにマスコミ関係者にも呼びかけて医療者側からの問題点を明確にすることの第一歩にする予定である。

医師会会長は直接選挙で

 最後の国内戦争である、明治維新のあの西南戦争を率いた西郷隆盛の最大の目的は、官僚制度の改革であったと私は思っている。現在の医師会も、もう一つの意味で官僚的になっているのではないだろうか。その典型が医師会会長の選出方法である。末端の医師会会員の医師は、会長候補者の『気概』や『志』に全く、いや全然触れることなく、会長が選出されていく。このような選出方法で選ばれた会長に期待を持ち、協力しろというほうが、土台無理な話である。私は医師会会長が悪いと言っているのではない。現在のような選出方法は双方にとって不幸である、と主張したい。この関係はまさに日本の首相が国民の意思とは全くかけ離れたところで決まり、結局は派閥の党首が選出されている状況と同じである。アメリカのように大統領が代われば、行政官まですべて“総とっかえ”という制度になれば、官僚もうかうかしていられなくなり、事が起こってからでなく、将来を見据えた政策を構築するであろう。
 明治維新の最大の失敗が派閥と官僚制度であり、西郷が改革したかったのもこの点であろう。西郷が、大久保利通が選んだプロシアの方式ではなく、イギリスの制度を導入することを主張したのは、将来の日本の混迷を予想していたためかもしれない。中州支部会は医師会会長選挙を会員による直接選挙方式にするよう提案する予定である。チェ・ゲバラはベトナムを世界に3カ所つくろうと言った。すると、アメリカの国力は衰えるであろうと。私は、中川支部会に続く支部が鹿児島県内にでてくれば、定款の変更も可能となり、全国に先駆けて県の医師会会長を直接選挙で選出することが実現すると思う。すると、必ず追随する県があり、日本医師会会長をも会員が直接選出する時代がやってくるであろう。それを実現するために、私は中州支部会の全面的バックアップを得て、鹿児島市の理事選に立候補した。
 かつてないほど、中傷、誹謗、裏切り、だましが横行している現在、ヒューマニズムあふれる医者は世の中から最も渇望され、最も影響力を持つ。医師会会長を直接選挙で選ぶ方式が実現すれば、日本の首相を選出する方法も変えられるかもしれない。その可能性を、明治維新の思想のバックボーンに当時の蘭学医が深く寄与した事実が物語っている。素晴らしい未来はいきなりやってくるのではない。『志』を抱き、『気概』を持ってやり抜くほかない。次の世代のためにも、素晴らしい未来の準備に、まず医者から取り組もうではないか。

提案・フロックコート基金設立を

 次に、私個人としての計画を述べる。それは、「フロックコート」基金を設立するという構想である。一昨年11月に、緩和ケア施設を有する有床診療所をオープンし、昨年53人の方を看取った。6割は在宅である。最近私は、「一人の病患者の治療は、妻、夫、子供、親、社会まで、見据えたうえでなされなければいけない」と、思うようになってきた。働き盛りの父親が癌で亡くなり、進学を断念しなければならない遺児たち。その無念を抱きながら亡くなっていく父親の気持ちはいかなる思いであろうか。幼子が癌になり、地方から中央の病院へ移り長期間治療を受けなければならない時、両親は宿泊施設に困ってしまう。ホテルはお金が続かないし、親戚の家では気が引けてしまう。また、遠くで仕事をしている家族はお見舞いに帰りたくても、当座のお金に困ってしまう。最期を個室で迎えさせてあげたいと思っても、同じような悩みにぶつかる。銀行へ行くと、保証人と担保を必ず要求されてしまう。私たちが一生懸命働いた結果としての社会は、決して今の姿ではないと皆が思っているのに、その思いが実現できないでいる。このままではいけない、何とかしなければ。
 ゲバラが最終的に目指した社会は、「競争原理ではない、友愛に満ちた態度を生み出す意識の変化が人間の内部で起こる社会」であった。行政に、政治に、望んでもそのような社会の実現は不可能なことは、誰でもみなが知っている。しかし、癌遺児が進学できるような社会をつくりたい。親が安心してわが子の看病をできるような友愛の輪を広げたい。担保がなくても当座のお金を借りられるような金融システムを構築したい。医者として当然の思いである。このような社会を実現するために、基金を設立したいと思うようになった。「北風の中、背中を丸めて旅行をしている旅人にそっとフロックコートを掛けてあげよう(フロックコート・スピリット)」の理念に基づき、「フロックコート基金」と名付けた。

未来に向け数少ない同志とスタート

 マザーテレサは来日された時、「日本人はインドのことより、日本の貧しい人々ヘの配慮を優先すべきです」と話されていた。貧しい人とは、単にお金がない人をさしているのではない。マザーは言っている。「人々が互いに求め合わず、愛し合わず、互いに心配し合わない、最も重い病気に西欧は、当然日本もかかっている」と。寄付をして下さった方には直接利益はないかもしれないが、その思いは社会に友愛に満ちた風を吹かせ、日本の病を癒してくれるであろう。そして、次の時代には必ずや天国のマザーテレサやチェ・ゲバラに誇れる社会が実現するであろう。具体的には、病院の窓口に病気遺児のための募金箱を置く(当院ではすでに実施している)。癌で治療後5年過ぎた記念に、寄付を募る。亡くなられた方の遺志を尊重し香典の一部を寄付していただく。各医療施設が10万円ほど出資し、病気に関係することのみに貸し付けをする。患者さんやその家族のための病気専門金融機関をつくる、などである。
 自由とは自己選択と解釈してもいいかもしれない。人生は自己選択の積み重ねである。ただし、自己選択には自己責任が必ずついて回る。現在の日本の不幸は、自己選択したという意識をもてない点である。だから、自己責任感がないのである。ゲバラはカストロと共に、わずか82人でメキシコからヨット「グランマ号」でキューバに潜入、シェラ・マエスト山に潜伏して革命を成功させた。私も日本の“僻地”鹿児島で、数少ない同志と共に、明日の日本のために今年から準備に入ることを決心した。(堂園晴彦 堂園メディカルハウス院長;メディカル朝日.1998.3月号p64〜)


 文章が読みにくい、ゲバラにかぶれてる、西郷隆盛を持ち上げすぎているなど、批判はあるでしょうが「その意気やよし」と感服しました(^^)。陰ながら応援したいと存じます。ただ、一番心配なのは、こういう理想に燃えた人物の周りには、それを利用して一儲けしようとする胡散臭い連中が絡んでくることがあるという点です。今しばらくは、静観したいと思います。

 

 

 

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