踊る麻酔科最前線

患者よ、癌と闘うな?

「患者よ、癌と闘うな」というベストセラーがある。
慶応義塾大学医学部放射線科講師の近藤誠医師の著書である。
あまりに刺激的な題名と、ハードカバーの高価さゆえに読んだことはなかったが、講談社から同じ著者の「がんほどつき合いやすい病気はない」という文庫本が出ていたので拝見した。その感想である。

 


内容には考えさせられる点も多く、医療従事者にもそれ以外の方にも是非読んで頂きたいと思える本である。著者の主張は、現在の医療や医学教育の問題点を鋭く指摘しており、耳の痛い提言も数多い。著者の主張を要約すると、

  1. 癌を必要以上に恐れるな。
  2. 癌の治療には、効果の確実性や副作用の強さの異なる多くの方法が存在する。
  3. 一人の医師の進める治療法がベストであるとは限らない。
     セカンド・オピニオンやインフォームド・コンセントが重要である。
     病気になる前から、知識を持つことが重要である。
  4. 癌は100%告知するべきである。
  5. 癌の苦痛の殆どは、手術や抗癌剤の副作用(すなわち治療)によるものである。
  6. 抗癌剤の効く癌は極少数であり、患者は無駄な苦痛を味わっている。
  7. 癌の手術の多くは無駄な手術である。
  8. 癌を早期発見しようという検診は無駄である。
  9. 手術で治る「早期癌」は、放置しても転移するような「進行癌」にはならない。
  10. 末期癌に点滴や蘇生術を施行するべきでない。などであろう。

    1)〜3)についてはどこからも異論のでない正論である。
    4)の告知問題については、専門外ながら「そうできればそうした方がよい」と確かに思う。「嘘をついて治療することが、医師と患者、患者と家族の信頼関係を壊し、本人の理想とする治療を受ける機会を奪っている」という意見には賛成である。著者は「癌告知にはそれなりの準備と、告知後の特別な対応(精神的ケアなど)が必要だという考えは、医師を臆病にさせるだけで意味がない。日本人は宗教的背景がないから告知に耐えられないだろうという考えは誤りである。患者が自殺するのではないかと恐れる必要はない」と主張する。この意見には説得力があるし、そう信じたい気がする。
     ただ残念なことに、この主張の根拠は著者個人の経験に基づくものでしかない。告知後の患者アンケートで癌告知に否定的な回答は0であった、自殺は1例もないというのが根拠なのであるが.....裏付けとなる証拠はない。しかも、著者の専門は放射線科である。普通の教養がある患者さんなら「放射線治療しましょう」といわれれば、自分の病気が癌だと気付く。その上、相手は「患者よ、癌と闘うな」の著者である。著者のところへ紹介されてくる(あるいは自分から受診する)患者さんは、すでに相当以上に選別された「意志の強い」あるいは「自分が癌であることを確信している」方であると言って過言ではあるまい。これをもって、普遍的とするには少々心許ないのである。
    5)に関しては、私の限られたペインクリニックの経験からいっても、疑問である。抗癌剤や手術が苦痛や後遺症・副作用が多い治療であることは認めるが、癌末期の苦痛はやはり癌それ自身によるものであることも少なくない。
    6)に関しては専門外なのでコメントできない。
    7)については著者は外科医のことを知らなすぎる。一般病院の外科医の多くは、朝早くから出勤し、外来前に回診し、午前中は外来診療、午後から場合によっては深夜まで手術である。人生および生活の殆どを手術に捧げている外科医に「米国ではこのような拡大手術はしない」と言っても「奴等は手先が不器用だからな」「胃癌の研究と治療は日本が一番進んでいる」と鼻で笑われるのが関の山である。著者は「欧米(特に米国)ではこうしている」とやたら言いたがるが、米国の医療にも問題は少なくない。経済効率至上主義、保険制度の不備、殆ど「言いがかり」とも思える訴訟の多さ、などは多くの日本人医師が軽蔑している問題である。米国の麻酔科医が救急医療や集中治療に不熱心なのは「金にならない」からだし、個人差を無視したあまりに画一的な教科書的医療も目に余る。子宮摘出術の多さは、ちょうど日本のアッペや乳癌手術の裏返しである。
     「患者よ、癌と闘うな」という本の題名もそうであるが、著者は日本の医療の問題点を改善しようと焦るあまり、多くの医師を敵に回してしまっている。臨床現場で働く外科医や病理医を敵に回してしまっては、日本の医療問題を解決するのは困難であろう。本を売りたいのか、医療問題を解決したいのか、著者にとってどちらが重要なのだろうか。
    8)および9)であるが、この意見の根拠は、「癌検診(それによる早期癌手術)をしてもしなくても、癌による死亡率は変わらない」という統計によるらしい。私の勉強不足もあるだろうが、統計の出典は不明である。しかし、この意見は明らかに統計というものを誤解した考え方である。「Aという現象とBという現象の間に有意差があるかどうか」を調べるためには、そのために計画された実験と処理が必要である。その結果、AとBの間に有意差がなかったとしても、それはAとBの同一性を証明したことにはならない。AとBの同一性を証明するためには、そのための計画と処理が必要なのである。麻酔科領域で有名な統計に「揮発性麻酔ガスに長時間暴露される麻酔科医や手術室看護婦に癌や不妊・奇形の発生が増えるか?」という検討がある。結果は「手術室勤務の女性では不妊・奇形の発生が多い傾向はあるが、有意差はでなかった」という。これは麻酔ガスの有害性を否定する根拠になるであろうか?
     統計は人を騙すためにも利用される。「大都市ほど警官の数が多い。大都市ほど犯罪の発生が多い。従って、警官の数を減らせば、犯罪は少なくなる」とか「車を運転している時間が長いほど事故は起きやすい。目的地に着くまでスピードを出すほど運転時間は短くなる。従って、車を運転するときはスピードを出すほど安全だ」という理論のおかしさにはすぐ気がつくであろう。ある事象に相関があることと因果関係があることは別の問題である。同様に、相関がないから因果関係もないとは言いきれないのである。少なくとも「胃癌の早期検診と早期手術のおかげで、胃癌の死亡率は低下(5年生存率は上昇)している」ことは間違いないはずであるが?麻酔科領域に悪性高熱という疾患がある。この疾患は、昔60%以上の死亡率をもつ恐るべきものであったが、最近では死亡率20%以下にまで低下している。しかし、あまりに稀な疾患であるから日本人全体の平均寿命などには当然影響がない。これをもって「悪性高熱の治療はしてもしなくても日本人の寿命に影響はない」(真)から「治療しなくても良い」(?)という結論は導けないであろう。

 

 


当ホームページ訪問者の方、数名から以下のようなご意見を頂いた。
「患者から見ると近藤誠氏の意見は、正論も多いと思います。」
「近藤誠氏の本は愛が感じられるのは私だけでしょうか?患者のために書かれていて愛情があります。」
全くもって、その通りである。彼の意見には正論も多い(それは決して否定しない)。また、患者さんへの深い愛情が感じられる。これも事実である。

内容に一部、科学的に証明されていない(あるいは証明することが難しい)主張が含まれているという反論をしただけである。彼の人格などを攻撃した覚えもない。「本を売りたいのか、医療問題を解決したいのか、著者にとってどちらが重要なのだろうか。」などの部分は誤解を受けかねないが、「勿論、後者であろう?」という言外の意を汲んで欲しい。
しかし、最近少し考えが変わってきた。「患者よ、癌と闘うな」は「癌末期をどう生きるか」という哲学書であろうと想像していたが、今や著者の意図しない、あるいは望む所と異なる「癌と闘わない教」という宗教の教典になってしまってはいないだろうか?

思い出して欲しい。はるかな古代、医療(医術)とは完全な「まじない」「呪術」であった。ヒポクラテスの時代、何とか「哲学」や「宗教」にまで進化した医術が、やっと「科学」と呼べるようなものになってきたのは、ごく最近のことである。
現代の医師にとって「医学」とは「科学」である。これを「哲学」ならいざしらず、「宗教」や「呪術」に退化させようとする動きには、断固として戦う必要がある。多くの医師が「患者よ、癌と闘うな」(少なくともその題名)に危険な臭いを感じるのは、そのためではなかろうか?

すべての医師は、病人を愛情を持って扱うべき「医療サービスの提供者」であると同時に、病気を研究する「医学者」でもなければならない。この態度は往々にして「医者は患者に冷たい」と受け取られるようである。
想像して欲しい。患者さんやその家族が、「痛い」「辛い」と泣き叫び、「夜も眠れない」「食事も喉を通らない」という訴えを、医者がどんな思いで聞いているかを。「ふーん、どうせ自分の痛みではないからな」と心底から思うような人間が(絶無ではないとしても)そんなに大勢いると思いますか?(おや?文体が変わったぞ。そうです、ここから先はあなたへの問いかけなのです)
近藤誠氏が患者さんに深い愛情を持っているのは、疑う余地もありませんが、それは他の殆どの医者も同じです。おそらく他のどんな職業よりも、患者さんの苦しみを見聞きし、何とかしたいと思う機会が多いのは(患者さん本人と家族を除けば)「臨床系医療職」でしょうが、彼らが患者さんや家族と一緒になって、泣き叫び、夜も眠れない、食事も喉を通らない状態になってしまったら仕事になると思いますか?そんな医者や看護婦に自分や家族を診て貰いたいですか?しかも彼らは、それが半永久的に続くのです.....
もちろん、慣れによる感覚麻痺や、自分の都合による手抜きは許されることではありません。しかし、極端に患者さんに同情的な医療人は長続きしない(燃え尽きてしまう)のも事実なのです。

さらに問題を複雑にしているのは、「患者さんに愛情や同情を感じている=素直にそれを表現できる=当然、豊富な医学知識と卓越した技術を持っている」 という方程式が成り立たないことです。
あなた(患者さん)に、すごく親切で優しい医療人(うん?誰のことだ?)が、全身麻酔がかかったとたん、あなたの悪口を言い始めたり、逆に、あなたに「つっけんどん」な、あの先生やこの看護婦さんが、実はあなたを「食べちゃいたい」と思っているかも知れませんよ.....(^^)

 


あるアメリカ開業麻酔科医から次の内容のメールを頂いた。

近藤誠先生は私もあまり良い印象はうけていませんが(本は読んでいません)、あなたの本の感想の「7」で述べている意味の理解にくるしみました。日本の外科医もアメリカの外科医もよく働くのはもっともですが、それと行っている手術が適当かどうかという問題は別なのではないでしょうか。もちろん、米国の不器用な外科医(もちろん日本にはいない)がどんな手術をしているかなど日本の医師にとってはどうでもいいことでしょう。またおっしゃるとうり、米国の医療には(日本のユートピアに比べれば)問題があり、それを軽蔑するのもけっこうでしょう。しかし、それらの問題と癌手術の適当さとなんの関係があるのでしょう。さらに踊る麻酔科先生はアメリカの麻酔科医/医療の現実をいつどこで体験し、または情報をえているのかわかりませんが、救急/集中に「不熱心」な理由、「個人差を無視したあまりに画一的な...」などと言うのはかなりはずれているのではないでしょうか。
アメリカ・バッシングも大いに結構ですが、インターネットという世界をベースにした場では少しだけ気をつけたほうがいいのではないでしょうか(けっこう私みたいなへんな奴がネット・サーフしていますからね)。あなたの(私も)嫌いな「差別」もこのような一般論てきな発言がもとになっているのが多いのではないでしょうか。これからもこのサイトでおもしろい話題にふれてゆくのを楽しみにしております。では、踊りすぎないように。

以下は、私の返信です。
私はアメリカ・バッシングなどする積もりはありません。多くの日本人と同じく「日本の医療」に絶望しかかっている一人の医師に過ぎません。私自身(および後輩たち)が絶望したくないから、虚勢を張っているのです。アメリカに比べれば、日本は全ての意味でまだまだ子供です。アメリカに頼り切っている人たちにガツンとやりたかっただけなのです。アメリカから親離れするための「苦しみ(反抗期?)」を、ご理解頂ければ幸せです。「米国の麻酔科医が集中治療や救急医療に不熱心なのは金にならないからだ。」「余りに画一的な医療」という非難は、米国の医学者の意見(反省)を、利用させていただいたのです。私の信念(個人的意見)というわけではありません。あなたが、そういう部分を不快だと思われるのは理解できますが、日本語による日本人向けのHPですから.....米国人医師が読むかも知れないという可能性は考慮しませんでした。その点はお詫びいたしますし、このメールの返信を掲載することでご容赦願えますでしょうか?
最後になりますが、私がアメリカ嫌いの振り?をする理由は、せっかく(実質的に)日本を占領していながら、「何故、日本をアメリカの州にしてしまわなかったんだ」という恨み?からです。英語、英語と強制される英語嫌いの世迷い事ですが.....

註:以下はメールには記載しなかった、私の本音です。
現代の日本において、アメリカに憧れを持たない人は(私を含め)殆どおりません。特に今は「日本中」の人が、日本社会に絶望し、自信を失っています。そのような状況で、「アメリカは、こんなに素晴らしいんだ」と強調して、無い物ねだりをすることが本当によいことなのか....
「アメリカ(や欧州)は、こんなに素晴らしいんだ」というのは「世界中」の人が知っています。しかし、アメリカ人(や欧州人)になれない、多くの日本人にとって、「それを言っちゃあ、お終めえよ」なのです.....

 


がんと向き合う精神/「患者よ、がんと闘うな」を読む.丸山雅一著(四谷ラウンド刊)という書籍が発行されました。近藤誠氏の著書および理論に真っ向から真剣に反論した書物です。内容は医学的・論理的に非常に高度で信頼がおけると感じました。ただ相当に、近藤誠氏の人格や科学者としての態度やマスコミの姿勢を攻撃した内容になっておりますので、近藤誠氏の反論が楽しみです。
この本の主な内容は以下の通りです。近藤誠氏が逃げることなく、キチンと反論しない限り、この著者の主張は真実であると判断せざるを得ません。

  1. 「患者よ、がんと闘うな」には癌検診の放射線被曝量などについて明らかな誤りがある。著者は間接撮影のことを理解していない。近藤誠氏の専門(放射線科)を考慮すると、ゴーストライターの存在すら疑わせるものである。
  2. 「患者よ、がんと闘うな」中に引用された文献の図表には、原作者の了解を得ていない意図的な改竄がある。
  3. 癌検診の放射線被曝による悪性腫瘍の発生は、現在では白血病以外はありえない。白血病の発生頻度ですら、早期胃癌の発見率からすれば、無視できるほどの低さである(自然発生率が若干増加する程度)。
  4. 近藤誠氏はそれを多くの医学者や放射線技師に指摘されながら、無視している、あるいは詭弁を使ってごまかそうとしている。全ての病理医と放射線科医、臨床放射線技師の努力を踏みにじる行為である。
  5. 「患者よ、がんと闘うな」中の「がんもどき」説には科学的根拠が「全く」ない。
  6. 特に「早期癌は放置しても進行癌にならない」という説は、仮説と言うにも値しない妄言である。決定的証拠として、家族性大腸ポリポージスという疾患がある。
  7. 「リンパ節転移は転移ではない」と言う説も、同じ妄言である。それを覆す多くの証拠がある。
  8. 癌の病理の基本中の基本である「臓器や発生部位による差異」や「転移(血行性、リンパ行性、直接浸潤など)の機序」、「治療への反応性の差」などを理解していない。
  9.  特に「胃癌の悪性サイクル」は、「なぜ胃癌は肉眼的には小さくても進行癌である場合があるか」を理解するために医学生でも知っていなければならない最低限の知識であるが、近藤誠氏はこれを全く理解していない。
  10. 「検診無用」論は、少なくとも胃癌と大腸癌では当てはまらない(有益性があるという報告の方が多い)。多くの放射線科(および内科)診断医と臨床放射線技師の努力を踏みにじる暴論である。
  11. 「抗癌剤無用論」は、一考の価値はあるものの、例外を無視してしまえば非科学的な主張である。多くの「化学療法」専門医の努力を踏みにじる行為である。
  12. 「治験無用論」は、現実を無視した机上の空論である。多くの内科医の努力を踏みにじる行為である。
  13. 「くじ引き試験(無作為化比較試験)以外の統計は信頼できない」という主張も、「統計学」や「臨床医学」を無視した机上の空論である。すべての「統計学者」と「臨床医」の努力を踏みにじる行為である。
  14. 「拡大手術無用論」は、胃癌の研究(診断・治療を含む)では遅れている北米の一部の勉強不足な医学者の意見の受け売りである。乳癌などでは一考の価値がある主張も含まれるが、「放射線療法万能論」は暴論である。国内の全ての外科医の努力を踏みにじる行為である。
  15. がんの苦痛はほとんど全てが「無駄な治療(抗癌剤や手術)」に基づくものであるという説は誤りである。全てのペインクリニック専門医とホスピス関係者の努力を踏みにじる行為である。
  16. がんは全例告知すべきであるというのは暴論である。癌の治療に関わる多くの医療従事者の努力を無視している。
  17. 精神的なフォローを無視したがんの告知や除痛は、むしろ危険である(欧米でも全例に告知がされるわけではない)。
  18. 以上の事実から判断すると、近藤誠氏は(少なくとも最近は)癌の治療に関する臨床経験が不足している。
  19. これほど敵が多い状況の中では「チーム医療」を前提とする現代医療は不可能である。近藤誠氏が、自分の患者をどのように扱っているのか不安である。
  20. 近藤誠氏の理論は「手術と抗癌剤は絶対悪」ということを証明しようとする、教条主義的な無理のある理論である。
  21. その無理を隠すため、多くの良心的医学者を個人攻撃し、片寄った(誤った)情報に基づく「洗脳」をインフォームド・コンセントであると強弁している。患者への愛があれば、全てが許されるとでも思っているのだろうか?それは悪しきパターナリズムの典型である。
  22. これらを討論する目的で招待された学会への出席を、正当な理由なく(「あの学会は失礼だから」という感情論で)断った。>これが事実なら、学者(大学講師)としては恥じるべき行為です。

 

<ホームへ戻る>