アバン


歴史にIFはない。
歴史とは多くの人の屍の上に敷き詰められた記録だから。
もがき、苦しみ、あがいた人の歩いた軌跡しか残らない。
しかしそれでも人は「もし」と願う。

「あのとき、アキトさんがスタンピードを起こしていなければ?」と。

誰も人の憎悪の向こう側など覗きたくなかったから・・・

ああ、一応このSSってPrincess of White とDC版The Missionの続編ですので
よろしく



ナデシコC・ブリッジ


「ブラックサレナ、被弾!!」
「アキト!!」
ユリカは悲鳴のように叫んだ。思わずルリ達も息をのむ。

『大したことはない・・・・
 が、すまない。戦線を離脱する・・・』
次の瞬間、ブラックサレナがボソンジャンプをして戦場から姿を消した。

「アキト、どうしたの!?」
『心配ないわ。ユーチャリスが収容した。
 安静にさせるから気にしないで』
エリナがすかさず回答する。
「気にしないでって・・・あ・・・」
この時点でナデシコCではユリカとルリだけがアキトの身に何が起こったか把握した。

「テンクウ少佐、アキトの抜けた穴に・・・」
『向かってます!!』
ユリカが指示する前にケンは自分のサレナカスタムをナイチンゲールの元に差し向けていた。

ユリカは臍を噛みながら戦略パネルを睨み付けていた。
事態は最悪である。

まずは敵からハッキング攻撃を受けた。
ハッキングの踏み台にされたハーリーはオペレータから外さざるを得ない。
ルリは敵のハッキングに対する防御に全精力を注がざるを得なかった。
ラピスはルリの後を受けて全艦隊の操舵を一気に引き受けて余力は残っていない。
つまりシステム掌握は事実上使えなくなった。それは同時にホワイトサレナの使用が不可能になったことも意味した。
いくらルリでもこの状態を解消するにはかなり時間がかかるだろう。

次にボソンジャンプを無力化された。
こちらのジャンプしたイメージデータをオウム返しに使われることにより、ボソンジャンプで敵を引き離すという事が事実上不可能となってしまった。

そしていましがた、最後の頼みであるアキトがナノマシーンのスタンピードが突然発生してしまい、戦線をリタイヤしてしまった。

これでナデシコのとれる作戦は敵の機動兵器ナイチンゲールを破壊することだけとなってしまったが、これはなにより難しい。
なぜならこの機動兵器はバッタ型の無人兵器を自在に操ることにより、あの北辰並の強さを発揮するのだ。
アキトの穴埋めに向かったテンクウ・ケンのサレナカスタムで勝てるかどうか不透明だ。

なにより、ここまでナデシコ艦隊の切り札がもがれてしまったことが艦隊全体の士気に悪影響を及ぼしていた。
人間、希望に満ちあふれているときには疲労などものの数ではない。
しかし、いざ絶望に支配されたとき、疲労はその何倍にもなって跳ね返ってくるのだ。
現にリョーコ達のサレナカスタムの動きに繊細さがなくなってきている。次にどうなるかは目に見えていた。

『何もこんなときに・・・』
ユリカは心の中で悪態をついた。アキトの症状は一部のものしか知らない極秘の事だ。次回のスタンピードの発生はもう十数時間あとのはずだったが、何かアキトの体調が狂ったらしい。それが今このときに起きなくても・・・
『あ!』
その瞬間、ユリカは天才的なひらめきを得た。
『ひょっとしたら上手くいくかもしれない・・・
 でもだめだわ!』
その妙案をユリカは検討してすぐさま破棄した。

実現は可能だ。
しかしそれはかなりの痛みを伴う。
敵にも、そして味方にも。
自分やアキト、それにイネスだけじゃない。
ルリもハーリーもラピスも、それにケンやリョーコ達にもどんな影響を与えるかわからない。
ましてや敵の中で廃人に追い込まれるものすら出てくるかもしれない。

とてもではないが実行など出来ようもなかった。

『テンクウ少佐が頑張ってくれるとうれしいんだけど・・・』
ユリカはさっき思いついた悪魔の方法を振り払うように目の前の戦闘に注視する事にした。



Nadesico Second Revenge

Chapter20 悪夢へようこそ



戦闘空域


テンクウ・ケンはナイチンゲールと対峙していた。
さすがに強い!
それがケンの感触だった。確かにアキトでも手こずるのはよくわかった。
だが、同時になぜ自分がこれほど敵と対等に戦えるのか不思議で仕方なかった。

それは唯のカンだった。
彼はそのカンに従って試してみた。

ケンはナイチンゲールに対して一発ハンドカノンを放つ。そのすぐ後右に体をかわす。
案の定、バッタは自分の先程いた場所にミサイルを打ちこんできた。
二回、三回と同じことをしてみる。
彼の予想はやがて確信に変わっていった。

『自分はこの敵の体捌きを知っている。』
ケンはすぐさま自分の記憶の中を必死に探っていた。
そして一つの仮定に辿り着く。

『不破数馬?』
ケンはすぐにその仮定を元に実験を行なう。

木連式柔・霞「三連」!!

それは霞という体捌きの技にケンが数馬との訓練の中で独自にアレンジを加えた技だ。
知っているのは数馬だけのはず。
これで相手がどういう応手を返してくるか・・・

木連式柔・朧「水月」

『やっぱり』
水月はやはり朧のアレンジで三連の返し技だ。無論知っているのは数馬だけだった。

程無くして敵からのサウンドオンリーの通信が入る。
『・・・ケンか?』
「その声はやっぱり数馬なのか!?」
一組の幼なじみの再会はそんな形で突然実現された。

しかしそれは長くは続かなかった。
リョーコ達、サレナ部隊の瓦解はかなり早く進んでしまったからだ。



綻びの理由


その再会がどちらにとってより幸運に働いたかはわからない。
しかしこの瞬間両者の指揮官同士が脳死状態に陥ったのは痛かった。

たとえばテンクウ・ケンだが、相手の機動兵器にパイロットが親友の数馬かどうかに意識を集中してしまい、リョーコらサレナ部隊がどういう状態に陥っているか省みることはなかった。もしリョーコ達に適切な指示を送っていればもう少し戦線を維持できたかもしれない。
アキトが抜けた後の動揺というのは意外に大きく、隊長機からの励まし一つで精神状態が大きく変わるという事実をケンは完全に失念していたのだ。

対する西條数馬はどうだったか?
ケンなど無視して一気にサレナ部隊に対して大攻勢をかけていれば一気に勝敗は決していたのだ。それがなまじ昔の親友に出会ったばかりにそのことに気を奪われて一騎打ちに時間をかけてしまった。
そのことによりナデシコにある決断をさせる余裕を作ってしまったことになる。

こうして本来戦局を左右する二人が思考停止している間にもう一人のプレイヤーがその戦局の混迷を見抜いて次の一手を打ったのだ。



ナデシコC・ブリッジ


サレナ部隊の戦闘維持はほとんど限界だ。
どういう訳かしらないが鳥みたいな敵の機動兵器はケンが押さえてくれているが、それも長くは続かないだろう。
そうなればあとは何もできずそのまま座して滅ぶのを待つしかない。
今ここで何かをしなければ手遅れになる。
ユリカは責任者として決断を迫られていた。

一同の視線がユリカに集まる。

「・・・ユキナちゃん、アキトを呼び出して。」
しばらく熟慮した後、ユリカはそう決断した。

『どうした、ユリカ』
「あのね・・・」
少し顔色の悪いアキトがしっかりとした口調で尋ねた。
ユリカは苦渋の表情を見せていた。言いにくそうで、それはまるで悪いことをした子供が告白できないでいるようなそんな表情であった。
普段のユリカからすればかなり珍しい表情である。

『・・・やっぱり知っていたんだな?お前。』
「え?」
『正直に答えろ。もろ顔に出てるぞ』
「・・・あい」
『ったく!エリナの奴、黙っておけって言ったのに!』
「エリナさんが悪いんじゃないの。私達が押し掛けて、それで・・・」
アキトは忌々しげにつぶやくがそれもすぐに元の表情に戻った。

『何を企んでる?正直に答えろ!』
「・・・あのね・・・そのね・・・」
『・・・お前も俺と同じ事を考えてるだろう』
「わかる?」
『わかるさ。お前の尻拭いを何年してると思っているんだ』
「感謝してます」
ユリカはおどけて手を合わせて見せた。アキトはため息をつく。

『本当にいいんだな?』
「うん、わたしはナデシコの提督さんだから、責任もすべてわたしが負います。
 それよりアキトはいいの?」
『それしか方法はないんだろう?』
「・・・うん・・・」
『なら気にするな。お前がナデシコを背負うということは俺も含めてクルーの全てを引き受けるということだ。クルーの喜びも苦しみも全て引き受けるということはそういうことだ。
 それがわかっているならお前の思うままにすればいい。』
「・・・・うん!わかった!!」
アキトの言葉にユリカは力強く頷いた。
その後のユリカの行動は素早かった。

「さぁ、これから巻き返しをはかるよ!!
 まずはユキナちゃん、サレナ部隊に全機帰還命令を出して」
「了解」
ユキナはその命令を実行した。



戦闘空域


「帰還!?どうして!まだ戦えますよ!!」
『私の指揮が不服ですか?』
珍しくユリカに食ってかかるケン。
あの機動兵器の正体が不破数馬かもしれないと思って躍起になっており、頭に血が上っていた。承伏しがたそうにいうケンにユリカは冷たくそれだけを伝えた。

「しかし今サレナ部隊が退却してしまったら・・・」
『後ろを振り返ってみて下さい』
「え?」
そうユリカに指摘されてケンは初めて戦場を見つめ直した。

リョーコやサブロウタ、ヒカルやイズミのサレナカスタムが肩で息をしながら戦っていた。無論それは比喩であるが、実際もうこれ以上の戦線維持は無理だろう。
「あ・・・」
昔の親友のことに熱中しすぎて指揮官としての任務を忘れかけていたのだ。
『どうです?納得しましたか?』
「わかりました。帰還します」
ケンは後ろ髪を引かれる思いでナデシコBに戻った。



ナデシコC・ブリッジ


サレナ部隊を回収すると同時にユリカは次の指示を出した。
「ラピスちゃん」
『なに?』
「全艦、ボソンジャンプの準備をお願い」
『了解』

なぜボソンジャンプ?というのが一同の思いだろう。だが、この時点でユリカの指示を疑うものは誰もいなかった。過去、ナデシコのクルーが何度もみせられてきたユリカのミラクル。それがまたここでもみせられるのだ。
従うのに何の異存があろうか?

ユリカの指示はさらに続く。
「ルリちゃん、全員のコミュニケを自閉症モードに変更」
「え?」
「そちら側の指揮は任せます」
「・・・わかりました」
ルリはその一言でユリカが何をしようと考えているか理解した。ユリカとルリで例の件に関していくつかのケーススタディーを行っていたからだ。

「全クルーに告ぎます。これからコミュニケによるすべての通信を停止します。
 また、パイロットは着艦しだいIFSの使用を停止して下さい」
ルリの指示も全員目を丸くしたが、既に疑う余地もなかった。
「これからの連絡は全て艦内放送で行います。各自以降の連絡には必ず注視して下さい。」
ルリの声が全艦に行き渡る。

みな、手元のコミュニケを停止させる。
戻ってきたサレナ部隊も疑問を持ちながらその指示に従った。

「オモイカネ、全員のコミュニケの緊急回線に対しても使用停止命令を送って。」
『了解』
「パイロットのIFSに関してはすべてのコネクトラインをライトオンリーに切り替え。B級ジャンパーに対しては精神障害用抗体ワクチンを送り込んでおいて。」
『その指示は個人のパーソナル情報保護を定めた地球連合憲章に抵触します。回避には地球連合軍法の緊急避難条項により提督と全ての副提督の承認が必要です』
ルリの指示にオモイカネが答えた。
ルリはユリカ達に促した。
「テンカワ・ミスマル・ユリカ、承認します」
『テンカワ・アキト、承認』
「・・・・・アオイ・ジュン、承認します」
ジュンも遅蒔きながらどういう状態になっているか気がついたようだ。



ナデシコB・ブリッジ


『イネスさん、すみません。』
「いいわよ。いつものことだから」
『ごめんなさい・・・』
ジャンプシートに座って準備しているイネスにユリカは謝った。
「それはいいけど、私だって耐えられるかどうかわからないわよ?
 精神力だって一回ジャンプするだけ残っているかどうか怪しいし・・・」
『そのときはなんとします。』
「相変わらず調子がいいわね」
苦笑するイネスであるが、ユリカがイネスに念を押してまで謝る気持ちはよくわかる。
自分自身はともかく、ユリカはもっとも精神的ダメージを被るイネスを巻き込んでしまったことを申し訳なく思っていたのだ。大丈夫とうそぶいては見たがイネス自身、これから先のことを思うと気が触れてしまわないか不安だった。

「何が起こってるんですか?」
帰ってきたケンがブリッジに入って一番手近にいたジュンに尋ねた。
「君もコミュニケを落とした?」
「ええ・・・しかし機動兵器を戻して、コミュニケを閉じて、何をするつもりなんですか、提督は!」
「・・・」
ジュンはお手上げのポーズをして苦笑した。
こういうときはユリカの行動を信頼するしかない。ユリカのもっとも古い友人は自分の部下にそう諭した。

『すみません、テンクウ少佐。ハーリー君がまだです』
艦内放送でルリが警告してきた。
は!っとケンがハーリーを見やると、そこには茫然自失としたハーリーがオペレータシートの上で呆けていた。
「ハーリー君!どうしました?」
ケンが話しかけるがハーリーに反応はなかった。

『テンクウ少佐、時間がありません!急いで!!』
「わかりました」
ルリの切迫した言葉にケンは急いで行動した。

オペレータシートに飛びつき、ハーリーを無理矢理引きずりおろした。
「ハーリー君!!」
ペチペチとハーリーの頬をひっぱたくケン。
それに気づいたのか、力のない瞳でケンを見つめるハーリー
「・・・艦長?」
「ハーリー君、君のコミュニケとIFSの解除キーを教えなさい!」
「・・・わかりました・・・」
事態が飲み込めていないハーリーであったがやる気がないのか、ケンの形相に圧されたのか、素直に答えるハーリーであった。



戦闘空域


「どういうつもりだ?」
西條にはわけがわからなかった。
テンカワアキトはいきなりリタイアし、代わりに戦ったのはかつての親友『葛城ケン』であった。しかし、ケンも自分と戦ったは言えないような小競り合いがあっただけですぐさま撤兵していった。

確かにこの戦いはことごとく上手く行っていた。
システム掌握を封じ、ボソンジャンプも封じ、機動兵器部隊も蹴散らした。
敵は手も足も出ず、あとは亀のように手も足も引っ込めて小さく身を守るだけだ。

あとは取り囲んで袋叩きにすればいい。

それだけのはずなのにこの悪寒は何なのだ?

西條のそのいやな予感は単にあそこに自分のかつての親友がいる・・・それだけの事ではないはずだ。
しかし、
『全艦、ナデシコを包囲せよ!』
流れてくるヤマウチ少将の嬉々とした声を聞いて、西條はその考えを振り払うのだった。



ナデシコC・ブリッジ


『全クルー、耐ショック準備完了』
「ネットにつながるすべてのポートはライトオンリーへ」
『ハックされてるポートは防げないけど、どうするの?ルリさん』
「かまいません。逆流だけを気をつけて」
『了解』
ルリの指示にオモイカネがテキパキと準備を整えていった。

「それからラピス・・・」
『なに?姉さん』
ルリは最後にラピスに声をかける。
「あなたもオペレーションはもういいから、IFSを落として衝撃に備えなさい」
『いい、最後までやる』
「だけど・・・」
『私はアキトの目。
 どのみちリンクしてるし、それに慣れてるし。
 それより姉さんこそ私に任せて落としたら?』
「ふふふ、ラピスってば何時からこの私にそんなタメ口を聞けるようになったんですか?
 わかりました。そのかわりジャンプアウト後に気絶していたらチョコパフェおごりですよ?」
『姉さんこそ、約束!』
「わかったわ。着いてきなさい、ラピス」
二人の妖精は笑いあった。



ナイチンゲール・コックピット


『ボース粒子反応増大』
オペレータの声に西條は耳を疑った。
今さらボソンジャンプだと?
既にボソンジャンプで逃げられないのは証明済みのはずだ。それがわからないナデシコでもあるまい。
しかし、現実はナデシコはボソンジャンプにて逃げようとしている。

確かに現状では他に手がないのかもしれないが・・・

「イメージ伝達トレーサー動作開始、
 何度でも追いかけてその行為が無駄だと教えてやれ!」
西條は当たり前の指示を行なった・・・。



ナデシコC・ブリッジ


総員、準備が整ったのを確認するとルリはユリカに向かってうなずいた。
それを受けてユリカが全クルーに伝える
「皆さん、これから敵のイメージトレースに対してノイズを挿入する為に特定のイメージデータをネット上に放出します。
 その都合上、皆さんのコミュニケによりIFSが変なイメージを拾うかもしれません。その時は落ち着いて行動し、気を確かに持って下さい。
 もし隣の人が苦しんでいるようなら、周りの人が支えてあげてください。」
ユリカは心の中で詫びながらそう警告した。

しかし全クルーはユリカの言葉を素直に受け止めた。ユリカが警告するということはよほど重大な事なのだろう。隠せるものなら全て裏でうまくやるのがユリカだからだ。
全員がそう心構えをした。
案外、このことがナデシコクルーの精神的ダメージを減らす事に繋がった。

「では、作戦を始めます。
 アキト・・・お願い」
『わかった。』

アキトの姿がウインドウに写った。
唯一生きているウインドウ通信のライン。それはルリを通じてナデシコ艦隊と敵艦隊のネットワークに繋がった状態となる。
そして、もし事情に通じているものがいたらアキトの後ろに写っている背景を見て驚いただろう。

そう、彼がいる部屋は『プリズン』ではなく『ユーチャリスのブリッジ』なのだから!!

『Welcome to the Nightmare !!』

その瞬間、アキトのナノマシーンが起こしたスタンピードが人々の意識を一つに束ねようとした。そのナノマシーンが生む悪夢をあまねく人に見せようとして・・・。



戦闘空域


スタンピードによる手加減なし、減衰なし100%のイメージデータの奔流が敵のネットワークを駆けめぐった。そしてその反応はすぐに現れた。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
「あああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「なんだ!これはぁぁぁぁ!!!!!!!」
「やめてくれぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

あちらこちらから沸き起こる悲鳴がどのチャンネルからでも響きわたった。
それは凄まじいまでの苦痛。
まるで蛇が体の中を食いちぎりながら這い回るような感覚
頭の中を味噌でもかき回すようにいじくり回される感覚
全身の穴という穴からゴキブリやウジが這い出す感覚
全身をなめ回され、裸にされて衆人の目にさらされる感覚

最初のそれで素直に気絶、あるいは発狂できる者は幸いである。
しかし、それになまじ耐えられたものには次の不幸が待っていた。
最初の苦痛は単なる肉体的な苦痛。
しかしそれを耐えきったものが待つのは精神的な苦痛

人の死のイメージ・・・
実験に耐えられなくなった被験者達の手首を切った自殺
用済みの被験者の絞殺、銃殺、爆殺、圧殺、窒息死、ガス殺
・・・そのたびに苦悶する彼等
奇形化した死体、腐乱死体、そしてバラバラ死体
恨めしそうにこちらを見つめる彼等の生首と屍体・・・

彼等の正義の向こう側を、人の憎悪の向こう側を脳味噌のレベルに直接刷り込まれるその苦痛を何人の人間が耐えられたであろうか?

この時点で火星の後継者側のB級ジャンパーは事実上使い物にならなくなったのは言うまでもなかった。



ナデシコB・格納庫


「何なんだよ、これは!!」
「おい、リョーコちゃんどうしたんだよ!?」
ウリバタケは苦しそうにしゃがみこむリョーコたちに近づいた。
「うそだろ・・・おい!」
「ねぇ、本当に、本当なの?」
「・・・テンカワ君、これで良く人間やってるわね・・・」
リョーコだけでなく、ヒカルもイズミもその流れ込むイメージに慄然としていた。
彼女達B級ジャンパーはかつてアキトが人体実験されていた頃の出来事を追体験していた。



ナデシコB・ブリッジ


「く!!こういう事は・・・ボクにも・・・言っておいて・・・欲しかったなぁ、ユリカ・・・」
「大丈夫ですか?副提督!?」
「だ、大丈夫ですよ・・・」
「しかし、顔色が・・・」
「それより、彼等を・・・」
ジュンが青い顔をして苦しみ出したのをみてフジタが取り乱しかけている。
しかしジュンはまだマシだ。ジュンはIFSしか持っていない。B級ジャンパーはもっと苦しい思いをしているはずだった。

「やだ!寄るな!!」
「ハーリー君、落ち着いて!!」
「やめて!そんなところいじらないで!!
 脳味噌をかき回さないで!!」
「大丈夫ですから!あなたがされているんじゃありませんから!!」
悪夢にうなされるハーリーをケンは抱きしめて必死に落ち着かせようとした。
そういうケン自身もかなりの苦痛を耐えているのだが、彼にはわずかながらこの件に関する免疫がある。
そういった意味ではまだマシだった。

「か、艦長、だ、大丈夫ですか〜〜?」
通信士のコトネは仕事そっちのけでオロオロするばかりで何も出来なかった。彼等に何が起っているのかすらわからなかったのだ。

「あ、あたしは誰も心配してくれないのね・・・」
この中で一番ひどいダメージを受けているはずなのに、イネスだけは一人で悶絶しながら耐えていた。



ナデシコC・ブリッジ


「ユキナ、ちょっとどうしたの!?
 ユキナ!!」
「・・・ミナトさん・・・・
 アキトさん、可哀想だよ・・・
 可哀想すぎるよ・・・」
一応C級ジャンパーのユキナもかなり減衰した情報であるがスタンピードの影響を受けていた。
そしてボロボロ涙を流しながらミナトに抱きつく。
ただ、アキトの身の上に起きた境遇に涙していた。

「サブロウタさん、大丈夫ですか?」
「ええ、何とか。」
サブロウタは強がってみせた。まだ16の少女、それも自分よりももっと酷い苦痛を味わっているであろう上司が泣き言一つ言わずに耐えているのだ。自分が音をあげるわけは行かない。
「それより艦長こそネットに直接繋がってるから・・・」
「平気ですよ。それよりユリカさんの方が・・・」
サブロウタの気遣いに感謝しながらもルリはユリカの方を見やる。

そう、一番苦しい思いをしているのはユリカやイネスといったA級ジャンパーである。彼女達は遺跡へのイメージ伝達システムを通じて直接リンクしている状態であり、どんなに予防策や障壁をつくっておいても効果がなく、アキトの味わう苦痛を100%ダイレクトに味わっていたのだ。
でもユリカはそれを当たり前のように受け止めていた。
決して悲鳴も泣き言も言わない。
すべての人にこの苦しみを味わせたのは自分なのだから、その一番の苦しみもやはり自分が引き受けなければならないと心に誓っていたのだ。

その悪夢を見たものは思い知らされる。
テンカワ・アキトがなぜ火星の後継者に復讐を誓ったのか。
火星の後継者達の正義がどういう犠牲の上に立脚しているのか。
それは殴ったものには絶対わからない
殴られたものにしか絶対にわからない、痛み、口惜しさ、憎悪というものを。
このときテンカワ・アキトの背負った苦悩が他者に初めて伝わったのかもしれなかった・・・。



ユーチャリス・ブリッジ


数分後・・・

「アキト君、ご苦労さん」
ようやくスタンピードが治まったアキトはぐったりとシートに腰かけていた。
気がつくとエリナが塗れたタオルをアキトの額にかけていた。
「俺はいい。それよりラピスは?」
「大丈夫よ。あの子のほうが元気なくらい」
「そうか・・・」
アキトは少し安心した顔をしたが、すぐに厳しい顔をした。

「やはり俺は忌むべき存在か・・・」
「んなバカなことを言っている暇があったらジャンパーシートに座りなさい!
 もう一仕事残ってるのよ!!」
エリナはアキトのつぶやきをあえて無視して彼の尻を叩いた。
彼女自身そんなことを信じたくはなかったからだ。



戦闘空域


その後、ナデシコ艦隊はボソンジャンプをして逃げた。
その時点でナイチンゲールによるハッキングも途切れてはいたが、ナデシコ側も既に戦闘をするだけの余力は残ってなかった。

ナデシコ艦隊がボソンジャンプするのを西條はなす術もなく見守るしかなかった。
彼自身、スタンピードの影響により精神的にはボロボロであったし、何よりB級ジュンパーが軒並み壊滅状態であったからだ。精神汚染を逃れられていれば幸いで、廃人に追い込まれたものも何人かいる。
既にジャンプのイメージングを行なうどころの話ではなかった。

しかし、西條自身もまだ気がついていなかった。
この戦闘の結末が単にナデシコ艦隊を取り逃がしたというだけではなく、もっと重大なうねりとなって彼にのしかかってくる事を。
それは彼の中の何かを狂わせることになるとは今の時点で知りようもなかった・・・。

See you next chapter...



ポストスプリクト


ってことで以上激闘編第2弾でしたがどんな感じでしたでしょうか?
目指すは手に汗握る展開ですよね。

さて今回のプロットはアキトのスタンピードの設定が出来た時から考えていました。何時か使ってやろうと思ってずっと温めていたのですが、上手に表現できているか不安です(苦笑)

取り敢えずやっと折り返し地点です。
アキトが徐々にではありますが、ナデシコに復帰する事を願ってもう少し応援していただけると助かります。

では!

Special Thanks!!
・みゅとす様
・ふぇるみおん様