11月30日(月) 

  先月22日に乗って以来、超久々のレッスン。
  お馬はバンガロール。気心の知れた相手なので安心して乗れた。
  
  怒涛の11月も今日でおしまい。
  泣かずに過ごせた日は1日もなかったけれど、
  私なりにやりきったって納得している。
  父と過ごした時間が本当に楽しくて、
  楽しくて楽しくて、今とても切ない。


 11月29日(日) 

  ミンチョリンと一緒に実家へ。
  また母と言い争ってしまった。
  我慢しようと思っているのに、本当にムカつく。
  さすがに反省したのか、夜ご機嫌伺いの電話がかかってきた。
  母は変わらない。今も昔も母のままだ。
  変わってほしい。変わってくれるかもしれない。
  変わってくれたっていいじゃない。・・・って思うから腹が立つんだ。
  彼女は死ぬまで今のままだ。絶対に。
  
  夜。美味しい『トリすき』を食べた。
  牛も豚も美味しいけれど、鶏も美味しい。


 11月28日(土) 

  いきなり涙が出てぐだぐだになる時もあるけれど、
  妙にテンション上がる時もあったりで、
  不安定極まりないですな。この時期は・・・。仕方ないっしょ・・・。
  でも今朝目が覚めた時、何とも言えない『腑に落ちた感』がありました。
  

        

  昨日見た、父の病院の前に放牧されている羊さん達。
  風も強くてすごく寒かったのですが、さすが羊毛100%。
  日向で転がっている姿からは、まるで寒さは感じませんでした。


 11月27日(金) 

  父がまだ車椅子に座れた時には、各病棟にあるデイケアホールで話をしました。
  

     

  父の見た最後の風景が、こんなに気持ちのいい景色だったことを嬉しく思います。
  

     

  晴れた日は琵琶湖も空も真っ青で、本当に清々しい気持ちになれました。
  何となくどんよりした病室から、景色のいいホールに出てくると、
  ちょっとひんやりした空気が気持ちいいのか、
  ベッドを起こして座って話すよりも、ずっと気持ちがしゃんとするようでした。
  味のないゼリー状のおかゆ?が余程まずかったのか、
  『ご意見箱』を見つけた父が、鉛筆を握りしめぐりぐりと『ご意見』書いたのもココ。
  ほんの3週間ばかり前のことです。
  
  今日は緩和ケア病棟のスタッフの方に、お礼を言うために病院へ行きました。
  父は80歳の誕生日の前の日に亡くなりました。
  誕生日のお祝いにと、スタッフの皆さんが花束と寄せ書きを用意していてくださって、
  「ちゃんとお祝いしたかったのですが、受け取っていただけますか」と、
  清拭のあとで担当の方が渡してくださいました。
  父からのお返し・・・ということで、ほんの気持ちを受け取ってもらって、
  短い時間ですが父の話をして帰ってきました。
  正直言って、緩和ケア病棟のスタッフの方は、
  人の死に慣れているんじゃないかと・・・そうでなければ身体も気持ちももたないし、
  いい意味で仕事と割り切っているんじゃないかと思っていました。
  でも、父を送り出すときに、みなさん涙を流してくださって、
  本当に丁寧に親身になってくださいました。
  おいおい。そんなに泣いて大丈夫かよって、こっちが心配になるくらいでした。
  病院の処置なり体制なりに関しては、その全てに納得をしているわけではありませんが、
  少なくとも『昭和の企業戦士としての、父の尊厳』を、
  最大限守ってくださったスタッフの方達には、感謝の気持ちでいっぱいです。
  帰り、父がいなくなって、空っぽになった病室を見て、
  何となく気持ちが落ち着いたような、そんな気がします。
  
  ・・・で、実家に寄って保険金の請求手続きをした。
  生きていくって世知辛いなぁ。


 11月26日(木) 

  去年の9月14日。家族で父の余命1年の宣告を受けました。
  それまでに、担当医と父との間では話し合いがもたれていたのかもしれないけれど、
  兄や私にとっては「なにそれ?」って感じ。本当に唐突な余命宣告でした。
  父は抗がん剤治療や積極的な延命治療をしないでほしいと、
  家族にも担当医にも伝えてくれていたので、
  最後の最後に家族の気持ちがバラバラになることなく、
  (父と私に丸投げって感じもしたけど・・・)
  本当に穏やかな最期を迎えることができたと思います。
  
  父にとって最大の誤算・・・想定外だったことは、
  脳梗塞になってしまったこと。
  ガンが全身に転移して、痛みのケアは受けるけれど、
  静かに死んでいければいいなぁ・・・と思っていたはず。
  お見舞いに行った初日「何回も躓いていた時に診てもろたらよかったなぁ」って言うと、
  「ぜんぜんちごた。いままでとはちごた。すごいこけた」って言ってました。
  救急車で運ばれて、脳外科の病棟に入院して、毎日リハビリがあって、
  正直「意味あんのかなぁ?」と思っていましたが、
  緩和ケア病棟に移ったその日から、全てストップ。
  父の嫌がることは何もしなくていいことになりました。
  本当に今更リハビリでもないだろうに・・・。
  
  ただ緩和ケア病棟に引っ越す時の説明で、
  担当の先生からは点滴も外していいと言われたのだけれど、
  何度か説明しましたが、父は最後まで首を縦に振りませんでした。
  浮腫みも出てきて、身体的には負担の方が大きかったと思いますが、
  父にとっては、点滴パックから伸びる1本の細い管が、
  命そのものに思えていたのだと思います。
  回復する見込みは全くなくて、どうやら自分はホスピスみたいな場所に入れられた。
  何も食べられないし、言いたいことも言えないし、
  一人きりになった時、どれだけ不安で怖かったか、
  「しんどかったら点滴とってもいいんやで」って、説明するたびに、
  急に眠ったように一切の反応をしなくなった父。
  24時間の点滴が午前中だけになった時、
  「浮腫んでしんどいからお薬変えてもらえたよ。点滴の時間が短くなるね」って説明したら、
  ちゃんと頷いてくれた父。
  本当は何もかも分かっていたんだと思います。
  怖がりだった父でしたが、良く我慢して頑張ったなぁと思います。


 11月25日(水) 

  お給料日「お金のあっちこち」に行かねば・・・。
  寒いしぃバスの定期券持ってるしぃバスで行こっ!
  って、いつものバスに乗ったら、駅まで行っちゃいました。
  丁度送迎の時間だったのか、クラブのMさんと出会って、
  そのまま送迎の車に乗せてもらって、お馬の顔を見に行きました。
  1ヶ月見ない間に、みんな冬毛がボーボー。
  あぁ冬が来たんだぁ・・・ってしみじみ感じました。
  来月はまったりとした癒し系のお馬に乗って、
  心のリハビリしたいと思います。


 11月24日(火) 

  もう病院に行くことはないんだと思うと、
  何をして一日を過ごせばいいのか分からなくなる。
  
  朝9時から夕方4時まで、病院には2時間程いるだけ。
  あとはひたすら乗り物に乗る毎日は、確かに慌ただしくてしんどかったけれど、
  生まれて初めて、父と二人でのんびりと過ごせたとても楽しい時間でもありました。
  18で家を出てから30年余り。
  これまでの30年間で交わした会話の時間より、
  ここ3週間で話した時間の方が圧倒的に長いです。圧倒的に!
  
  母も兄嫁もいるのだから、私は何も口出しせずにいようと思いました。
  腹が立つことがあっても、情けなく思うことがあっても、
  私に出来ることを精一杯すればいいと思っていました。
  亡くなる前日まで、尋ねたことには答えてくれたし、
  意思の疎通ははかれていたと思います。
  電車の中で父の興味を引くようなネタを一生懸命考えて、それをずっと話しかけていました。
  明らかに喰いついてきた話題。全然ノリが悪くて途中で寝てしまった話題。
  嬉しそうな顔も見せてくれたし、一緒に笑ってもくれました。
  この30年余り。私は父がどんなふうに暮らしていたのかを全く知りません。
  毎日何をして過ごしていたのか、何が好きだったのか、
  どんなテレビを観ていたのか、何一つ知りません。
  それでも「おはよ。きたよ。ご機嫌いかがですか?」から始まる毎日の会話は、
  決して一方通行ではなく、父も楽しんでいてくれたと思います。
  何も食べられず、想定外の脳梗塞で半身麻痺となり、オムツまでつける破目になった父が、
  私の相手を投げ出さずにしてくれたのは、私に「やることやったし!」って納得する時間を、
  ちゃんと作らせてやろうと思ってくれたからだと思うのです。
  
  ホントに楽しかった。
  ホントに本当に楽しい時間でした。


 11月23日(月) 

  ミンチョリンは1ヶ月ぶりのゴルフ。
  別に父のせいではなく、仕事が忙しかったから・・・。
  私は1日ぼんやり過ごしました。


 11月22日(日) 

  10時から葬儀。
  14時から初七日。


 11月21日(土) 

  17時からお通夜。
  
  今日は父の80歳の誕生日です。
  先週「ミンチョリンとケーキ買って来るしな」って約束をしていたので、
  みんなで食べられるように、大きめのケーキを買って行きました。
  ホールでケーキを買うなんて久しぶり。
  通夜の後、家族揃って美味しくいただきました。


 11月20日(金) 

  昨日、部屋の臭いが気になったのですが、空気清浄機が置かれていました。
  息も荒く、私が行ったこともわからないみたいでした。
  明日21日が80回目の誕生日なので、皆でそれまで頑張りぃなって励ましてきました。
  3連休だし、私は泊まりで付き添う予定を立てているし、
  家族もそれぞれ会いに来られるだろうし、
  仕切り屋の父らしく、段取りを考えているのかも・・・と思いました。
  母が友達を連れて見舞いに。父の顔を見るでもなく、私に愚痴を垂れ流して行きました。
  兄嫁と姪っ子。父の弟のお嫁さん。
  いつになく賑やかな病室でしたが、担当の看護師さんから、
  「自動で血圧が計れなくなったので、都合がつけば泊まってもらえますか?」と打診。
  もともとそのつもりをしていたので、一旦家に帰って、
  夜にまた戻ると伝えて病院を出ました。
  
  草津線に乗っている時に、病院から電話。
  血圧が50を切ったらしく、出来るだけ早く戻ってきてほしいとのこと。
  とにかく家に戻ってチビにエサをやって、すぐにタクシーで折り返しました。
  5時33分。病院の玄関に付いた時にまた電話。
  「今着きました」と言って、病室へ向かいました。
  
  兄嫁と姪っ子。すぐに兄も来てくれました。
  母を迎えに兄嫁が出かけた後、父が本当に安らかに息を引き取りました。
  昼間は苦しそうだった息も、すっかり落ち着いていて、
  本当に苦しむことなく、あっという間に旅立って逝きました。
    呼吸が止まり、みんなで脈をとったのですがはっきりわからなくて、
  看護師さんを呼びに行きました。
  母がまだ来ていなかったので、
  「皆さん揃ってから先生に確認してもらいましょう」ということでした。
  母が到着。先生を呼び父の最期を確認してもらいました。
  6時46分。命終。
  「いらち」で仕切り屋の父らしい、あっという間の最期でした。


 11月19日(木) 

  あぁ。つらそうだ。
  私が話すことはちゃんと聞こえているみたい。
  でも今までみたいに頷いたり、首を振ったりは出来なくなりました。
  今夜は野球の試合があるので、時間が来たらTVをつけてもらえるように、
  お願いしておくことにしました。
  「TVの音。うるさいからイヤ? つけるのやめておこうか?」って、
  何度も聞いたのですが、一貫して「つけてほしい」とのことだったので、
  『試合時間が延長されたら、最後までつけておいて』と強くお願いしてきました。
  この前、サッカーの試合の時もやってみたのですが、
  サッカーはダメだ。音だけでは面白くない。自分でやってみての実感です。
  それに比べれば野球って、聞いてるだけでそこそこ場面がわかるし、
  父自身、若い頃に野球をしていたので、少しは気が紛れるかなぁと思います。
  
  昨日から熱のせいか、口での呼吸が荒くなってきて、
  舌やのどが乾燥して、唾を飲み込む時に痛みが出てきたみたいです。
  看護師さんに聞いて、口腔ジェル?なるものを試してみることにしました。
  少しは楽になるといいのになぁ・・・。
 


 11月18日(水) 

  なぜか1本早い電車に乗れてしまった。
  彦根にも30分早く着いたのですが、バスはやっぱりひこにゃん。
  ひこにゃんバスって、表から見るのはいいけど、
  乗るとひこにゃんの影になって、景色が見えない・・・って思っていたら、
  

     

  なんとっ!
  ひこにゃんがのぞいているんですよ!バスの中をっ!
  あぁ・・・本当に可愛いひこにゃん。
  
  今日は父方のおばさん(父の姉)がお見舞いに来てくれました。
  90歳になるのでほぼ痴呆。同じ話がエンドレスに続いて、
  ずっと自己紹介をし続けなくてはなりませんでしたが、
  一緒に来た従姉&従兄とは20年以上会っていなかったので、
  楽しい時間を過ごすことが出来ました。
  父は、昨日の元気が嘘のように、息も荒くしんどそうでした。
  熱がなかなか下がらないので、体力の消耗も激しいみたいです。
  でも、お見舞いにきてもらっているのはわかったみたい。
  綺麗なお花をいただいたので、病室が華やかになりました。


 11月17日(火) 

  また遅れてた。JR。・・・いいのか?そんなことでっ!
  バスの連絡に間に合うかどうかのビミョーな4分遅れ。
  久しぶりに真剣に走りました。ハイ。間に合いました。よかったぁ。
  
  今日は入院してから一番調子が良さそうでした。
  スポーツ新聞をちゃんとメガネをして読んだし、
  「お腹がすいた」って意思表示もしてくれたし・・・。
  だからって何も食べられないのだけれど、
  ゼリー状にした『トロ茶』を美味しいそうに飲み込んで、
  モモかリンゴかどっち?にちゃんと答えて、
  モモ味のゼリーも3匙くらい食べられたので、看護師さんがびっくりでした。
  「ちゃんと味のついたおかゆが食べたい」って、やり取りする中で解ったのですが、
  誤嚥すると命に関わるので、さすがにそれはムリ。
  「もっとごっくんの練習してから食べような」ってゼリーで誤魔化すはめになりました。
  入院以来、口からはほとんど何も食べていないので、
  今日になって食欲が出てきたのにはびっくりしました。
  私が話すことにちゃんと反応してくれて、
  とても嬉しそうに、よく笑ってくれました。
  このまましばらくの間でいいので、落ち着いた時間が過ごせればいいなぁと思います。


 11月16日(月) 

  人身事故と架線の故障?で琵琶湖線大混乱。
  新快速は全て運休。ダイヤはほぼ50分遅れ。いい加減にしてケロ。
  
  夜からまた熱が出たらしく、かなりしんどそう。
  車椅子に乗るのは勿論、ベッドを起こすのも嫌だって・・・。
  ゆるゆるソックスを買いに行くついでに、何か欲しいものはないかなって思って、
  『そうだっ!スポーツ新聞買って来たげよか?』って聞いたら、力強くうなづいてくれた。
  今日の裏1面は『イ・ボミ。2億円!』
  喰いついたねぇ。男って奴はスポーツ新聞、好きだねっ!
  

     

  どんどん成長を続ける羊さん。
  毎日会うのが楽しみ・・・。
  
  父の病室で片付けをしていると、廊下からちょっとした諍いの声が・・・。
  「だってお見舞いなんて無理やん」
  「・・・・・」
  「行ったからそのお返しって、そういうことじゃないでしょ
   お母さんのメンツで物事を考えないでっ!」
  「・・・・・」
  どこも同じだ。母親ともめる娘。
  
  ちょっと思ったんだけど、母も兄も父のことを『おじいさん』って呼ぶのね。
  兄夫婦の子供がいて、父にとっては孫になるわけで、
  それで「おじいさん」。もちろん母は「おばあさん」。
  夫婦でも「おじいさん・ばぁさん」って呼び合って・・・。
  私にとって父は父で、おじいさんはとっくに死んだおじいさんで、
  身内の呼び方が変わるなんてこと、生まれて一度も経験していないから、
  彦根の実家グループで話をされると、誰の、誰が、おじいさんなのか、
  呼び名と実態が一致しないことが度々あるんです。
  
  『おじいさん』と呼ばれる父は、そう呼ぶ人達にとっては『おじいさん』で、
  私だけがいつまでたっても、父を父として存在させているのだと・・・。
  だから、母の振る舞いに腹が立つのかなぁ・・・と。
  そういう思いを割り引いたとしても、母の態度は傲慢で許せないものがあるのです。
  ホント。ムカつく。


 11月15日(日) 

  降ったりやんだりの1日。
  夕方になってから、チビ達を散歩に出せたのはラッキーだった。


 11月14日(土) 

  父の見舞いに行ったあと、
  

     

  千成亭さんが出している『二九食や』さんでランチ。
  

        

  ローストビーフ丼とステーキ丼。
  あぁぁぁ。美味しゅうございました。
  最近、何が食べたいと聞かれると、
  迷わず『肉。肉喰いてぇ』と答える私。
  身体が欲しているのですよ。肉を。
  
  ・・・で、父。
  帰り際「バイバイってミンチョリンに手ぇ振ったってよ」って言うと、
  ちゃんとしっかりと手を振ってくれました。
  父はミンチョリンのことが本当に好きなんだと思います。
  一生懸命、気を使っているのが分かります。
  ちゃんと対等に向き合いたいって気持ちが伝わってきます。


 11月13日(金) 

  父の引っ越し完了。
  
  引っ越しは朝から病院のスタッフの方が行ってくれたので、
  私が着いた時には、父は緩和ケア病棟の個室で眠っていました。
  「引っ越したんわかる? 昨日言うてたやろ?」
  ・・・。父はベッドに寝かされたまま運ばれたので、
  部屋が変わったこと以外ははっきりとわかっていないようでした。
  少し熱があったので「熱が下がったら病棟の探検に行こうな」って言って、
  部屋の整理をして帰ってきました。
  各部屋にトイレと洗面台がついていて、
  お泊りする時の為に1畳分の畳のスペースもあります。
  父の担当の看護師さんと面談。
  歳も近い人だったので、いろいろ相談出来ると思います。
  担当の先生からは点滴もやめていいと言われましたが、
  父には『緩和ケア』という単語は言えずにいます。
  「ここは嫌なことは何もしなくていいし、リハビリもやりたくなければいいよ。
   お父さんがやりたいことを出来るように、みんなで考えてもらえるよ」
  ・・・。そうとしか説明できませんでした。
  父は父なりに、いい加減に返事をしたりせずに、しっかりと考えているようだったので、
  これからは父の最期の時が、父にとって納得のいくものになるように、
  父の気持ちを最大限尊重できる様に考えていきたいと思います。


 11月12日(木) 

  玄関の扉にカマキリさんが・・・。
  今まで見たのとは大きさが違うし、ウチの庭で最後まで生き残った個体だと思います。
  

        

  産卵はこれからなのか?
  そんな孤高のカマキリさんを、無邪気に狙うウチのアホです。
  
  父が今居る病棟から「緩和ケア病棟」に移ることが決まりました。
  今の場所は脳神経外科の救急病棟なので、
  父以外のベッドは、毎日新しい患者さんが入ってきて、
  「ハーイ。頭、剃りますねぇ」みたいなことが日常で、
  混乱している患者さんが、「コレ取ってぇ。コレ抜いてぇ」って、
  私に向かってオチンコ全開で導尿管を引っ張るぅ・・・みたいな場所でした。
  「緩和ケア病棟」での生活の流れや、施設の案内をしていただいて、
  看護師の方も30代以上のベテランの方ばかりで、
  広い個室に入れることも決まり、少し安心できました。


 11月11日(水) 

  行くと、いつもより息が荒くて、37度6分の熱。
  それでも車椅子に乗ってくれたので、ホールで少し話ができた。
  帰る間際に「暑くない?寒くない?何かしてほしい?」といつものように聞いた。
  同じような口の動きと音が2回。でもはっきり聞き取れなくて、
  「もっと大きな声で言ってくれへんかったらわからへん。
   熱が下がったらまた練習しよな」って言って病院を出た。
  電車に乗ってからも、何を言っていたのか気になって、ずっと考えた。
  ずっと考えて、それは『ありがと』だったと思えるようになった。
  親が子に言う言葉は『ありがと』じゃない。
  私が父に言って欲しい言葉は、絶対に『ありがと』じゃない。
  そんな言葉じゃないんだけど、なら何て言って欲しいのか、欲しかったのか、
  もう思い出せなくなってしまった。
  泣けた。


 11月10日(火) 

  火曜日はお風呂の日だそうです。
  いつもの時間に行くと、担当の方が来られていたので、
  パジャマの替えとバスタオルを用意しました。
  「月曜日に用意しておいた方がいいですか?」と尋ねると、
  「ロッカーに入れておいていただければいいです。
   それよりシャンプーとボディソープは各自様で用意して頂きたいのですが」
  ・・・と、字面よりもうーんと厳しい口調で言われました。
  『入院の手引き』みたいなプリントをもらっていたはずで、
  そこに準備するもの、必要になるものが全て書かれていたようです。
  病院まで車なら10分ほどの所に、実家も兄の所帯もあります。
  母は戦力外としても、兄・兄嫁・姪っ子(もう社会人)、
  大人4人が近くに暮らしている環境です。
  なのに、バスタオル2枚とパジャマ1組の洗濯物を抱えて帰る私。
  誰がどうとか非難する気持ちよりも、なぜこんなことになっているのか知りたいです。
  
  逝く者に何をどれだけしたとしても、絶対に後悔が残ります。
  そのことを嫌というほど知っているから、
  せめて少しでも後悔の思いを少なくしたくて、自分が苦しみたくなくて、
  私は私の為に、父の許に通っています。


 11月9日(月) 

  「寝てるだけでお見舞いに行ってもわからへんのやから、
   別に毎日行かんでいいやん・・・」と言っていた母が、
  急に張り切ってお見舞いに来るようになりました。
  「私は昼前後に行くから、時間をずらして行ってあげた方がいいと思うよ」と、
  何度も言ったのですが、なぜか私が居る時間に来る母。
  で、来るなり「朝5時から家のこと済ませてきた」とか、
  「お昼食べてへんし、なんかお腹空いてきた」とか・・・。
  目一杯善意で考えて、生まれて初めて一人でご飯を食べる生活が淋しいんだと、
  私にかまって欲しくて、会いたくて来るのだと・・・。
  でも、色々やりくりをして『父との時間を持つため』に出かけているのに、
  母に昼ご飯を食べさせて、愚痴と嫌味を聞かされて、
  何か言おうものなら「ハイハイわかってますぅ」って茶化されたら、
  やっぱ殺意芽生えます。
  父と私への嫉妬心。根っからの負けず嫌い。自分のことをかまって欲しい気持ち。
  何よりも圧倒的な淋しさ。
  諸々の思いを私にぶつけてもいいけれど、代わってあげることはできないから、
  自分で受け止めてくださいね。
  とにかく、この期に及んで邪魔はしないでください。
  もうさんざんしてきたでしょ。いいかげんにして。


 11月8日(日) 

  一日中雨。
  珍しくミンチョリンも家にいたので、
  石油ストーブとかペットボトルとか、まとめてエコステーションにゴミ捨て。
  
  家からバス停まで自転車で10分弱。
  バスで貴生川駅まで20分余り。
  貴生川から草津まで33分。乗り換えて彦根まで28分。
  彦根駅からひこにゃんバスで病院まで15分。
  このうち乗り物に乗っている間は、貪るようにずっと本読んでます。
  いつか読みたいって買っておいた本をサクサク消費したので、
  文庫本を調達しに、本屋さんでガッツリ時間を過ごしました。
  つくづく「筋肉は使わなくちゃ衰える」って感じています。
  本を読むのって、眼球を動かす筋肉を酷使するわけで、
  毎日一定時間、活字を追う練習をするだけで、
  驚くほど滑らかに「目玉」が動くようになりました。
  スムースな眼球運動が可能になると、集中力も増してきて、
  圧倒的に内容が頭に入ってきます。
  1日にして、確実に1時間以上の読書時間が持てるのは、ホント最高。
  どんな状況でも、ラッキーなことはあるもんだと思います。


 11月7日(土) 

  父に会いにミンチョリンと一緒に・・・。
  私は父の口から、ミンチョリンの悪口を聞いたことがありません。
  「もうちょっと早よぉ仕事は切り上げんとな・・・」せいぜいこれだけ。
  残業嫌いの父にとっては、帰宅が夜中になることは「意味不明」だったんでしょう。
  父なりにミンチョリンのことをとても尊重していました。
  自分が気に入らない、私たち夫婦の暮らしぶりについては、
  悪いのは全て私で、ミンチョリンは私に甘すぎると・・・。
  別にいいんだけどね。
  私がしてあげられた、たった一つの親孝行が、
  『昭和の企業戦士の魂』を持つミンチョリンと、結婚したことだと思います。
  企業人として、女子供にはわからない話の相手をしてくれたミンチョリンに感謝です。
  
  B&Wも一緒に連れて行ったので、のんびり紅葉狩り。
  彦根から奥琵琶湖を回って湖西へ。
  マキノのメタセコイヤ並木の紅葉を観に行ったのですが、
  まだまだ緑が生い茂っていました。
  見頃は月末、もしかしたら来月になるかも・・・です。
  マキノから湖西道路を南下して、いつものドッグランへ。
  

        

  1週間分、疲れてくれたと信じたいです。


 11月6日(金) 

  昨日、父の所から帰る時にスマホを見たら、母からの着信履歴が・・・。
  「どうしたん?」と、努めて冷静に。
  「あんな。今日3時過ぎに先生とこれからのことを話す約束をしてあるんやけど」と母。
  違うやろ。それ。
  昨日兄貴に聞いた話では、会えたら話し聞こうか・・・くらいの感じやったで。
  だから「ちゃんと時間をとってもらえる日が決まったら、前の日に連絡して」って言ったんよ。私。
  「そら、先生やから時間はちゃんと決めてもらえへんけど、今日会うんやで」って、
  そういうのを世の中では『約束』とか『予定』とか言うんと違うん?
  「お母さん。もし約束してたんやったら、なんで昨日の夜に教えてくれへんかったん?
   それならその時間に居られるように、ちゃんと準備してくるやん」
  でもさすが私の母。折れへんわぁ。
  「電話しようか思ったんやけど、あんた忙しいかなぁと思って・・・」
  電話をしていたのが駐車場でよかった。思いっきり吠えたよ。私。
  まるで私のことを気遣っているかのような物言い。
  それは違うって反論すると「そんなことわからへんやん」って逆切れ。
  
  「先生は今日、お母さんと話しをするつもりでいてはんの?」
  「そうや」
  「それって約束したってことやろ?」
  「そうや」
  「なら、なんでそれを教えてくれへんかったん」
  「そんなん3時丁度に会えるかわからへんし、あんた忙しいし」
  ・・・って、あたしの予定、あんたが知ってんのかい?あぁ?
  中途半端に心配するふりはやめてください。
  気を使う方向。全く間違ってます。


 11月5日(木) 

  結局昨日、草津で途中下車してパジャマを買いに行きました。
  パジャマ2枚とモコモコの暖かそうなベスト。
  ちょっとした荷物になりましたが、母に言って用意してもらっても、
  いつになるかわからないので、もう文句を言う気力もありません。
  ついでに言うなら、何度言っても「メガネ」「髭剃り」持ってきてもらえません。
  
  何でなんだろ?
  「ずっと寝てはるから、毎日行っても仕方ないと思った」
  「言うてること分かってはるの?」
  母の一言一言に神経が逆撫でされます。
  ベッドから車椅子に移動させてもらう父を見て、
  高らかにケタケタと明るく笑うわけではなく、
  何て言うか「イヤやわぁ。みっともないわぁ(笑)」みたいに笑う母。
  「お父さん、聞こえてるよ。わかってるよ」って、何度注意しても、
  ゴニョゴニョと内緒話をしてくる母。
  自分やったら嫌やろ。そんなことされたら・・・。
  
  頼むから、もうすぐ死ぬ人のプライドを傷つけることはやめてくれ。
  好きで一緒になった人やん。
  お願いですから、私の父親を蔑むのはやめてください。


 11月4日(水) 

  毎日乗ってます。
  

     

  今日父が、胸ポケットに『B5』と書かれたパジャマを着ていた。
  綺麗なのなかったん?
  別にいい格好するわけじゃないけど、50年近く働いてもらったのに、
  最後に毛玉だらけの汚ったないパジャマ着せるってどうよ?
  タオルも一度も洗ってない、全然水吸わないやつしかなくて、
  ティッシュの箱にも『B5から貸出し』の札が着けられていた。
  
  この状況を見て、兄夫婦がいるから口出しをしないでおこう・・・と、
  思えなくなった私は出しゃばりな小姑ですか?
  私は好き嫌い関係なく、恨みつらみはこの際忘れて、
  誰も自分の言うことなんかを聞かず、好き放題に生きた家族の為に、
  文句も言わずに毎日働いた、昭和の企業戦士の尊厳を守ります。


 11月3日(火) 

  土日・祭日は兄夫婦にお任せ・・・しても大丈夫かかなり不安。
  でも荒れ放題の家を片付けて、思いっきりチビを遊ばせてやらねば・・・。
  毎日ほぼ7時間のお留守番。
  今までになかったことですが、2匹とも本当にお利口にしていてくれます。
  ただ、タップが使いもしないトイレシーツを木っ端微塵に破壊するのは、
  淋しさ故の当てつけなのか、キャンピーと二人っきりのストレスなのか、
  ばばスコの考えていることは分かりかねます。
  
  ミンチョリンは夕方から一人お楽しみに出かけて行きました。
  私の精神状態にはお構いなしに、自分の楽しみを追求できる彼は、
  本当に良いオットだと思います。
  いい大人が『目の前のことだけ』に集中出来るって、
  わかりやすくて感動的ですらあります。
  ささくれ立っている私としては、本当に感謝です。


 11月2日(月) 

  病室に行ったら父の姿がありませんでした。
  検査にでも出ているのだと思い、パジャマを片付けたりしていました。
  父が戻ってくるまで、お茶でも飲んでいようかと思って、
  多目的ホールの方へ行く時、何気なくナースステーション(以下詰め所)を見ると、
  父とよく似たジジ様が・・・。
  最初は『違う』と認識したのですが、なんだか不安になって、
  再度様子を伺っていると「お父さんですよ」って声をかけられました。
  「あちゃぁ〜っ」です。
  父の顔をちゃんと見たのは、20年余り昔のことなので、
  私にとっては、今でもうるさくて怖い存在のままの父なのです。
  小ちゃく頼りなくなってしまった今、父だと言われてもすぐには分からないです。
  
  時々眠ってしまうものの、意識ははっきりとしていたので、
  不便はないか・・・とか色々話をしていると、
  母が親戚6人を引き連れてやって来たのに出くわしました。
  「あんた。来ててくれるん!?」
  げーっ。見つかっちまったぜ。
  これからややこしくなるとげっそりしました。
  「お父さん。車椅子に乗れるんやなぁ。寝たきりやと思ったは。」
  何だか一言一言に心がざわつくのですが・・・大人になれ私。
  とにかくホールへ移動して、父のお披露目をして、
  久しぶり(20年ぶりくらいか?)に会った従妹や叔母と話をして、
  父がウトウトし出したので、帰っていただくことになりました。
  
  母は、父が意識もなく寝たきりだと思っていたはずで、
  その父に、自分の身内を6人も引き連れてきて会わせる神経、どうよ。
  父は、母にとっては夫だろうけど、
  私にとっては父親なわけで、なぜにオムツをしてはっきりモノも言えない状態を、
  身内とは言え、他人に見せなくてはいけないのか、父の尊厳ってもの、
  考えてみたことがあるのか、その無神経さに心がささくれ立つ次第です。
  
  ハゲが出来るか、血を吐くか、
  そんな毎日が始まる予感がしています。


 11月1日(日) 

  今月21日は、父の80回目の誕生日です。
  
  時系列で整理。
   ・27日 転んで(脳梗塞だった)救急搬送。そのまま入院。
   ・29日 母から入院したことの連絡のTel。
        『2週間もたないかも・・・』とのこと。
        要領を得なかったので兄に確認。
        積極的な治療は出来ないので、これ以上良くなることはない・・・と。
   ・30日 父に会いに病院へ。
        嚥下に問題があるらしく、担当の方が昼食の介助。
        意思の疎通ははかれているけれど、横になったまま。   
  週末は母なり兄夫婦なり、誰かが行ってくれるだろうから、
  とりあえず平日の昼間に様子を見に行くことを決めました。
  往復5時間ですわ・・・。
  1時間余りのお見舞いに、5時間・・・。アホやで。
  「お父さんのことが心配やから」「お父さんのことが好きやから」
  照れたりせずに素直にそう言えばいい・・・って言われても、
  もうそんな簡単なことではなくなっていて、
  ただ一つはっきりと言えることは、後悔の無いように、
  それは悪態をつくことであるかもしれないし、
  死にゆく人に鞭打つ行為になってしまうかもしれないけれど、
  でも、生きていく者が前向きになるためなら何でもありで、
  父に対して、私は最後まで私が納得するために、
  父が私にしたこと、しなかったこと、
  それで実際、私がのたうちまわって苦しんでいることを伝えて、
  ・・・何が悪いのさ!
  
  30年ほど前、心理テストをされて、私が持つ母に対する憎悪。父に対する渇望。
  その時はその結果に納得できないと言い張ったのですが、
  結局はその通りだったな・・・と、その結果を認めたくなくて、
  でもそうかもしれない・・・と、いつも心のどこかに疑問を持っていたその答えが、
  今になって、はっきりと見えてきたのだと思います。
  一緒に暮らしていたら、私は母を殺すかもしれません。
  ホントムカつく。
  心がささくれだつ。
  同じ血が流れているかと思うと、頸動脈掻っ切って死にたくなる。
  父が安らかに旅立つまでは、私も大人になったので我慢することにします。