駅長室               


   <駅長のプロフィール>

学生時代はひたすらバンド活動に励み(こちらもいまだに現役)、写真や海外には全く興味がなかった。
社会人になったある日、突然ヨーロッパ型の鉄道模型に目覚め、これまたある日突然思い立ってヨーロッパに 本物の鉄道車両を見に行くことにした。


こちらがきっかけとなった模型


こちらがその実車

せっかく行くのだからなにかいいコンパクトカメラでも買って持っていこうと思い、カメラに詳しい友人に相談した ところ、せっかく行くんだったら俺のAF一眼レフ貸すからそれ持ってけと言われ、それを持って渡欧し本当に撮りまくった。
鉄な旅なので当然車両の写真ばかりを撮りまくったのだが現像上がりを観ても何か面白くなかった。
そんな中、この写真いいな、と思ったのはパリのオステルリッツ駅で撮った1枚だった。今になって思い返せば、この写真をきっかけに駅でのスナップショットという自分なりの表現方法が見つかったように思う。 それからは写真とヨーロッパにのめり込み、そっち方面の新しい人との出会いもあり、結構人生が変わった。

私の写真には特別なテーマのようなものはないので、観てくれた方が自分の好きなように思いを重ねてくれたり、解釈してくれたりしてもらえればそれに勝る喜びはないし、そしてそんな写真を提示していければいいなと思っている。しいて大事なものがあるとするならばとても漠然とした言い方になってしまうが、場の空気といったものだろうか。

日本国内でももちろん写真は撮るのだが、どうも侘び寂びの世界になってしまう。やっぱり空気感が違うからか。でもせっかく撮影したものなのでこちらもおいおい公開していこうと思っている。

私の写真は今のところすべてフィルムカメラで撮影している。デジカメに比べるとシャープネスが不足するという難点はあるが、フィルムの粒子の感じが好きだと言うのが一番大きな理由だ。
まあ、あと好きで使ってるレンズが大変古いもので今のデジカメには使えないという理由もあるにはある。 デジカメにした方が余計な出費や手間が省けるというメリットは十分に自覚しているのであるが、まだ当分の間はデジカメには移行できそうもない。

 <私の愛機>
 最初に友人に借りたカメラはミノルタのα7000。自分で買った最初の一眼レフはニコンだった。
しかし、当時出入りしていた鉄道模型屋の悪いオトナたちに「君の写真にはニコンやキャノンは合わない。コンタックスを使いなさい。」と言われ、素直な私はそれに従い、ニコンは売り払ってコンタックスに乗り換えた。玉も指定されてプラナーの85mm/F1.4、同じくプラナーの50mm/F1.7を購入。
その後、なんとなく古いカメラの表現に惹かれ、コンタックスIIaという1950年頃のカメラを買った(ニコンSがモデルにしたカメラ)。もちろんこれは前述のコンタックスと同一ブランドだ。前者はヤシカ(京セラ)との共同開発だが、後者は完全にドイツ製である。
それ以降はそのIIaについていたゾナー50mm/F1.5を浮気することなく使い続けている。気に入っているのは夜、丸いランプを撮影した時の何とも言えないぽわ〜んとした光の滲み方である。比較的夜の写真が多いのはそのせいもあるかもしれない。

 
愛機Contax IIa

 <エピソード0 はじめての> 
 最初にも書いたとおり、私の初渡欧は突然思い立ったものだったので初めてづくしだった。
実はそれまで飛行機に乗ったことさえなかったのである。初めての飛行機、初めての海外、しかも一人旅。われながらよくやったもんだと思う。
今でこそ語学堪能と思われている私であるが、この時は旅行会話集を片手にしどろもどろになりながらホテルの予約をしたりしていた。必要とあればなんとかしてしまう典型だ。
しかしそんな状態だったからこそひとつひとつの出来事が大変なインパクトを持って今も私の心に残っている。
行きの機内音楽サービスで聴いた10ccの"I'm Not In Love"。このゆったりとした曲調が何故か余計に私の高揚感を更にアップさせてくれた。
パリ市内に電車で乗り込みメトロの改札を通る時に出会った改札口を飛び越えていくアフリカ系の男性。10時になっても明るい空。英語さえ通じないイタリアの片田舎の小さなホテルで食べたラビオリと、やたらに愛想のいいホテルの主人。「明日の朝は駅まで車で送ってやる」なんて言っていたが結局送ってはもらえなかったなぁ。

 <エピソード1 場末の酒場>
 件の鉄道模型屋の店主にあるとき旅行プランの話をしていると「君にはリスボンの場末の酒場が似合ってる。だから肺病のような中欧なんかには行かないでリスボンに直行しろ」と厳命され、またしても素直に従ってしまった。
それがきっかけなのか、それとも元々そういう素地があったのかは不明だが、実際のところ現在の私は欧州では圧倒的にラテン系の国が好きである。場末の酒場云々はともかくとして、その店主が慧眼だったのか?いまだに謎である。

 <エピソード2 カール・ツァイス・イエナ>
 (ご存知の方にはいまさら説明の必要もないが)コンタックスというのはカメラのブランド名で製造会社はカール・ツァイスという。第2次大戦前はライカを擁するエルンスト・ライツとともにドイツが世界に誇るカメラメーカーだった。戦前、本拠地は旧東独のイエナにあった。
実は去年(2006年)、ドイツにワールドカップを見に行ってきたのだが、ライプチヒでの試合観戦の日のこと、スタジアムでドイツ人の4人組と出会った。4人は揃いのTシャツを着ていてフロントにはW杯のチケットの柄、そして後ろにはそれぞれ"J","E","N","A"の文字が。
私はもちろん、これはあのイエナに違いないと思ったのだが念のため「それ街の名前ですか?」と尋ねてみたところ、「そうだ。カール・ツァイス・イエナ」というこちらの期待以上の答えが返ってきた。
ドイツにはゾナー50mm/F1.5をマウントしたベッサのカメラとコンタックスT2(コンパクト)を持っていったのだが、遠征中にベッサの巻き上げレバーが動かなくなり、この日はホテルに置いてきて、手元にはT2しかなかったのだ。ゾナーがあれば「ほら見て。カール・ツァイス・イエナ!」と言えたのに本当に残念なことをした。
かろうじてT2もレンズはカール・ツァイスだったので当然それは彼らに見せたのだが、やはり与えるインパクトはぜんぜん違ったはずだ。


 
ライプチヒで出会った4人組


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