ビデオタイトル |
不思議惑星キン・ザ・ザ |
ジャンル |
SF |
原題 |
Кцнーgзаーgза! |
制作国 |
ロシア |
制作年 |
1986年 |
出演 |
スタニスラフ・リュブシン |
制作社 |
モス・フィルム |
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監督 |
ゲオルギー・ダネリヤ |
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制作・総指揮 |
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原作・原案 |
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脚本 |
レヴァス・カブリアゼ |
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映像情報 |
カラー/135分 |
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DVD情報 |
キング・レコード/予告編収録 |
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どんよりとした冬に包まれたモスクワ。妻に買い物を頼まれたマシコフは、街角で音楽学校に通うゲデバンに声をかけられた。自分は異星人だという裸足の男の相手をするうち、マシコフは彼の持つ空間移動装置のボタンを押してしまう。次の瞬間、マシコフとゲデバンは砂漠のど真ん中にたたずんでいた。唖然としながらも方角を決めて歩き出した二人の前に奇妙な飛行装置が現れ、中からさらに奇妙な二人の男が現れた。リズムをとりながら手を広げて「ク〜」としか言わないこの二人と行動を共にしたマシコフたちは、この星がキン・ザ・ザ星雲のとある惑星ブリュクであることを知る。このブリュクはPJと呼ばれる支配者の下、人々は厳しい階級制度に縛られて暮らしていた。そして慢性的な資源不足?の中、なぜかマッチが異常なほどの貴重品でとされ、マッチを持つ者が支配階級であるばかりでなく、マッチ数本で宇宙船すら買えてしまうのだった。マッチを駆使し、バイオリンを弾き歌を歌い、この不思議な星で地球へ帰るべく悪戦苦闘するマシコフとゲデバン、しかし何となくこの異文化になじんでしまった二人の運命やいかに! 普段の会話はすべて「ク〜」、身分を表すのが鼻鈴やらステテコの色、ハイテクなんだかローテクなんだかわからないかつてのモニュメント的映画をさらにややこしくした世界、そしてあきれるほどに牧歌的なBGMにサウンドエフェクト。これらのユニークさが爆笑を誘うのですが、その実コメディーではありません。痛烈な社会批判とまでは行かなくとも、物不足と身分の差に悩まされ続けた社会主義への皮肉が込められたメッセージ性の高い作品です。海水がエネルギーとして使われたために海は干上がってしまい、ほとんどの住人は地下に住んでいるという世界自体が、空虚で退廃した世界、理想の果ての一つのデス・トピアであることを表しています。 そもそも、マッチが貴重品だというのにそれよりも便利な火打ち石型ライターが日常的に使われているという矛盾した設定は、基本的な部分が不足しているけどまあなんとかなっているという日常そのものなのではなかろうか。たとえば、ウォッカは手に入らないけど代用にアルコールが成分の一つである化粧品を飲んじゃうぞとか・・・、というのは極端な話。 しかし、かなりシュール表現ながら友情ものとして展開していくストーリーは、決してブラックになることはありません。さらに、支配者階級はもとより、すべての階級が徹底的に茶化されたためにどこか憎めないキャラクターとなったことも、悲観的な雰囲気をうち消しています。もっとも、これらが意図的なのかどうかわからないところがまた、旧ソ連らしい面白さといえるでしょう。 そしてこの異文化を支える、ローテクに包まれたSFXは奇妙なほど実在感たっぷりで、60〜70年代SF映画の懐かしさを色濃く残しというよりもそのまんま。おまけに巨大なものがほとんどなく、宇宙船が潜水ベルみたいなどう見てもせまっくるしい乗り物だったり、星間航行用の加速装置が握り拳大のカプセルだったりと、広い世界のわりにはすべてがコンパクト。そしてすべてがまるで廃材の山から生まれてきたようなアイテムなのに、チープさを越えて変な説得力があります。 まあ、この作品におけるSFXの醍醐味は2次的なもの、SFというジャンルが失いかけている異文化や異世界に触れるということに重きをなす逸品でしょう。腹を抱えて笑うもよし、深読みして感慨に浸るもよし、パッツ人の習慣を取り入れるもよし、押しつけがましくない押しの強さの楽しみ方は広いでしょう。 |