DVDタイトル |
8 Mile |
ジャンル |
ドラマ・音楽 |
制作年 |
2002年 |
制作国 |
アメリカ |
制作社 |
ユニヴァーサル |
出演 |
エミネム |
監督 |
カーティス・ハンソン |
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制作・総指揮 |
グレゴリー・グッドマン他 |
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原作・原案 |
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脚本 |
スコット/シルバー |
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映像情報 |
カラー/111分 |
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DVD情報 |
UNIVERSAL/リージョンコード1/メイキング、ミュージック・シーン、ミュージック・ビデオ、予告編など収録 |
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1995年、デトロイト。8マイルラインに分断されたその中心部は、スラムでもなければダウンタウンでもない労働者たちの街。恋人ジャニーンと別れたばかりのB・ラビットことジミーは、極度の緊張から何もできなかったラップバトルの痛手と共に、母と妹の暮らすトレイラーハウスに戻ってきた。しかし男にすがる暮らしを続ける母と、その相手でハイスクールの上級生でもあるグレッグとの折り合いが悪く、やり場のない苛立ちにも似た感情によって、友情や愛情にも噛みつく日々を過ごす。そんなある日、彼の働くプレス工場にやってきたアレックスと恋に落ちるのだが、夢のためならどんなことでもする彼女の裏切りにあってしまう。さらに、対立するラップ・グループとの衝突を起こしながらも、自分が今できることの証として、ラビットは再びヒップホップ・クラブ「シェルター」の、ラップ・バトルのステージに上がるのだった。 ラビットが出社するために乗り込むバス、その行き先表示が「8 Mile」であったのが印象的。これが本当のデトロイトの姿かどうかは別として、エミネムの俺様サクセスストーリーに陥ることもなく、よくできた底辺の青春映画。惜しむらくは、ラップという現代音楽の象徴を柱にしているにもかかわらず、人間関係や彼らの生活の設定が古くさいところだろうか。とはいえ、そんな設定が、人も街も昔から何も変わっていないことを訴えかけているのかもしれないが。他にも1ラウンドまるまる入れられたセックスシーンが長過ぎるとか、おそらく分不相応ではないかという気持ちはわからなくもないが、何も言わずにジャニーンと勝手に分かれたのはいかんだろうとか、ラストのラップバトルに間がなさ過ぎるとか、気に入らないところはそこそこあるものの、ラビットに共感できたことですべて帳消しにしよう。 人間関係といえば、男の友情ばかりが目立つ中、ラビットを取り巻く女性たち、母親ステファニーもアレックスもいかんなくビッチぶりを披露してくれ、見ているこちらまで心が病んでしまいそうだ。また、ストーリーの中でアレックスの裏切りと書いたが、彼女にしてみれば裏切りでも何でもないのである。夢のためなら平気で体を投げ出すのだから、彼女にとってラビットは、ここから連れ出してくれる男の一人であったのだろう。もちろん、ラビットにしてみれば裏切られたと思われてもし方のないことなのだが。さらに終盤でステファニーが、おそらくひとときに過ぎないのであう生活をとりものすのだが、ばくちで得た金を握り締めて運が向いてきたと言い放つのである。これには、ラビットも複雑な表情を見せるのだ。ジャニーンはおそらくいい子なのだろうがそれはさておき、ラビットの妹リリーが唯一この作品で彼をいやしてくれる少女なのだろう。演出としては手堅い手段なのだが、いたいけな子供に安らぎを求めるのはどうかと思う。いや、少しは感情移入できる女性を用意してほしかったなと。 さて、本作の本編であるラップ・バトルなのだが、相手を口汚く罵るばかりというのはさすがに驚きを隠せない。だが、自分がのし上がるために相手を蹴落とす。褒められたものではないが、おそらくそれが彼らのやり方であり、デトロイト8マイルラインのこちら側の姿を象徴しているのだろう。さらに、この物語が語る範囲では、ラビットがラップで大成功するサクセスストーリーでもなく、ましてや彼自身それを願っているわけでもない。いつか金を手にして街を出て行こうというありがちな落とし穴に堕ちなかったところにこそ、この作品の魅力を感じるのかもしれない。実際にはエミネムはこの後大成するのだが、約束どおり仕事に戻り、おそらくリリーのために家に戻るのだろう。やりたいこととなすべきこと、シェルターを立ち去るラビットの背中に漂う哀愁にはその答えが出ているのである。もちろん、その先にある未来と希望共々。これを若さととらえるかどうかは、人それぞれである。 余談になるのだろうが、この物語で最も重要な位置を占め、もっともその存在を陰に隠しているのが、メキー・ファイファー演じるフューチャーなのである。彼としてはおそらくその居場所に甘んじているわけではないのだろうが、消え去ってゆく多くの夢と、かなえられるほんのわずかな夢を、第三者として、だからこそもっとも身近な存在として感じているのであろう。移ろいゆく流れの中では忘れ去られてゆくのかもしれないが、実は彼なくしてはこの物語は成り立たないのである。ラップバトルを仕切る彼こそが、ラップバトルの本質なのかもしれない。まあ、フューチャーのDJがもっともリズミカルだと思うのでした。 |