4/25 ワイルドワイルドカスカベ「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ! 夕陽のカスカベボーイズ」を観てくる。

 いつものように、リアルおにごっこに興じるしんのすけたちかすかべ防衛隊は、勢いあまって裏通りに入ってしまった。表通りの明るさと喧噪と対をなすように、暗く静まりかえった小さな広場には、誰からも忘れ去られた映画館「カスカベ座」が。おもしろがってトイレの窓から入り込むと、無人の映画館にはどういうわけか映画の一コマが映写され続けている。何とはなしにスクリーンを眺めていたかすかべ防衛隊だったが、トイレに立ったしんのすけが戻ると、他のメンバーは帰ってしまっていた。しかし、帰宅したしんのすけを待っていたのはみさえの雷だけではなく、風間くんのお母さんからの電話。「カスカベ座」から帰ってきたのがしんのすけ一人であることを知った野原一家は、他の子供たちを探すべくカスカベ座に向かったのだが、シーンの変わらないスクリーンを眺めているうちに西部劇の世界に入り込んでしまった。しんのすけの友達を見つけ出し、春日部に帰ろうと奔走する野原一家であったが、次第に春日部にいた頃の記憶が薄れ始め、この不思議な西部劇の街の一員になりかけてしまう。

 というプロット、あるいは導入部だけならお見事という他はないのですが、スタッフが心血を注いだのは西部劇映画のパロディーというパーツのみ。そのため、肝心な話の展開が西部劇になってないばかりか、ある意味重要なポイントではあるものの老人へのリンチを延々繰り返すという、作り手の神経を疑わざるを得ないような代物に成り下がってしまいました。おまけに、ゲストキャラも無駄と邪魔な使い方ばかり。マイクが水野晴郎であることは明白なのですが、いくら映画の中が舞台だからといって解説者を持ち出してどうする。こういう謎解きは、本来ならば野原一家の仕事でしょう。それに、中途半端にパロディーするぐらいだったら本人に声をあてさせるべきじゃないのか。こんなことに時間を割くぐらいなら、ラストで活躍する「荒野の7人」の面々を集めることにフィルムをつかえよな。いや、しんのすけの反骨精神に呼応して旗揚げするぐらいのドラマがあるべきじゃないのか。それぐらい、この作品はドラマが空っぽになってしまい、シチュエーションだけのパロディーになってしまっているのです。いや、もちろんそれはそれでおもしろい仕上がりなのですが、せっかく劇場映画を作るのですからもう少し脚本に心血を注いだってバチは当たらないと思うぞ。クライマックスの巨大ロボット対超人かすかべ防衛隊もどうかとは思いますが、西部劇というよりも「ワイルド・ワイルド・ウエスト」をやりたかっただけなんだろうなということでよしとしましょう。本来なら、非力なしんのすけたちが非力なまま頑張るからおもしろいってところを、ひっくり返しちゃってるんですけどね。しかしまあ、映画が終わればパラレルワールドも終わるなんてオチがあれじゃあどうでもいいや。いわくありげな「カスカベ座」も、単なる入れ物に過ぎなかったしね。映画ではなく映画館が助けを求めて人を呼んでいるってほうが、よっぽどこの物語が引き立ったはずだよ。なんにせよ、子供騙しの大人のマスターベーションでは、子供も大人もだませない、いやいや楽しめません。おもしろいギャグだけなら、テレビシリーズで十分じゃないの?

戻る