2/16 なっちゃいねぇなぁ「ゼブラーマン」を観てくる。

 2010年の横浜市八千代区では、通り魔や誘拐などの犯罪が多発していた。そんな町の小学校の教師、市川新市は、暗くて冴えない性格のために生徒に相手にされず、家庭も崩壊寸前。彼の唯一の楽しみは、かつてあまりの人気のなさに7話で打ち切られた特撮ヒーロー、「ゼブラーマン」のコスプレだった。そんなある日、彼の学校に車いすの少年、浅野晋平が転校してくる。彼がゼブラーマンのファンであることを知った市川は、コスチュームに身を包んで彼の家を訪れようとするのだが、ちまたを騒がす通り魔「カニ男」と遭遇してしまった。カニ男の投げつけるはさみに危機に陥った市川だったが、突然本物のゼブラーマンと同じ超人的なパワーを発揮してカニ男を倒してしまう。ゼブラーマンの力を身につけはじめた市川は、犯罪の数々が異星人の仕業と知るのだが、強大な敵を倒すためにはひとつの能力に欠けていることに愕然とするのだった。

 哀川翔の主演100作記念となる作品ですが、映像に注ぎ込まれた予算が少なすぎたのか、脚本、監督、演出、構成に力がなかったのか、なんとも中途半端にトホホな仕上がりとなってしまいました。特撮ヒーローとなれば対象年齢は自ずと絞られてくるはずなのに、まったくもって子供向けではなく、かといって子供すらだませないほど説得力のない、というよりも矛盾が多い設定だらけの脚本と、リアリティーのかけらもないCGで作られた異星人には首をかしげざるを得ません。だいたい、ヒーローが人を殺してどうする。それに対してなんの罪の意識も持たないのはどういうことだ。おまけに死体がグロテスクホラーというのもいただけない。いや、最初から寄生されたら元に戻れないとわかっていたのならともかく、子供たちの暴動をどう処理するのかと冷や冷やしていたらなんのことはない落ちになっていたりして、ホッとすると同時にそりゃおかしいだろうとなってしまうのです。設定の核心となる部分でさえこうですから、ギャグの部分も含めてやらない方がいい、やってはいけないことを平気でやらかしているのは、作り手が特撮ヒーローのポイントをまったく理解していないとしか思えません。面白けりゃいいというのはナンセンスコメディーであって、この作品が目指すべきジャンルではとんちきなことでも大真面目に、アンリアルなものでもリアリティーを持たせてやらなければいけないのですよ。だいたい、ラストの決めポーズには水木一郎の「ゼブラーマン」をかぶせて、そこからエンドロールにするべきだろうが。曲が短いというのなら、適当にフェードさせて「日曜日からの使者」にすればよろしい。作る側がヒーローを愛し、信じなくてどうする。それでも、市川がゼブラーマンとなってゆく課程を描いた前半は、怪人がまんま人間ということもあって実にユニークだったのですが、異星人が姿をあらわにする後半はリアリティーのかけらもない、なし崩しになってしまいました。何よりも、ちんけなCG相手のアクションの冴えないこと。これならば無駄に使われた夢のシーンをクライマックスに持ってきたほうが面白かったかもしれないぞ。鈴木京香のゼブラナースも、サービスカット以外の何ものでもないし、僕にはサービスにもなっていなかったし。

 まあ、いい話も盛り込んでいますし、それをやっちゃいかんだろうと思いつつも笑えますし、全体をとおして面白いことは面白いんですが、気になりはじめると粗を楽しめなくなってしまうのですよ。そんな情けない作品ではありますが、さすがは哀川翔というべきか。なんの後押しもない映像とシナリオの中にあって、彼のリアリズムはきらりと光っていました。間合いの取り方や詰め方、重さ軽さの出し方、特にドラマのパートの力の抜き加減は絶妙です。というわけで、彼の計り知れない力量を観るだけの価値はある作品といっておきましょう。まあ、友情出演以外は、このトンチキな作品であってもなかなかの好演でした。彼らのおかげで、かろうじておもしろバカ映画としての器におさまっているのが救いです。

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