1/24 優・駿「シービスケット」を観てくる。

 大恐慌がアメリカを静かに深く覆い尽くしていった時代。自動車産業で成功を収めていたチャールズ・ハワードは、一人息子を事故で失い、悲しみに耐えられなかった妻にも去られてしまった。不況で全てを失ったポラード家の長男ジョニー=レッドは一人家族と離れ、乗馬の才能を活かして競馬騎手となるのだが、寂しさに荒んでしまった心はいい成績を残せないことからさらに荒んでしまった。競走馬として優秀な血筋を持つシービスケットは、おとなしく優しい性格が仇となってレースに勝つことができず、ついには投げ売りされるほどのひどい扱いを受け続け、すっかり気性が荒くなってしまっていた。馬を愛する調教師トム・スミスは、走れなくなった馬の命を奪ってしまう調教師たちとは離れ、一人荒野に暮らしていた。禁酒法によって気晴らしの酒を飲むこともできず、ギャンブルさえも禁じられてしまった時代、アメリカとメキシコの国境は歓楽街と化し、全てが集まってきていた。心に傷を負った彼らもまた、見えない力に引き寄せられるかのようにこの地に集い、顔を合わせ、仲間となる。ハワードはオーナーとして、レッドは騎手として、スミスは調教師として、そしてシービスケットはたぐいまれな駿馬として。やがてアメリカ西部では連戦連勝となったチームは、東部で最速を誇る競争馬ウォー・アドミラルへの挑戦をアピールし、それは現実のものとなるのだが…。

 長いあらすじだな、ほんとはここからの物語がさらに長いんだけど。それはさておき、大恐慌の恐怖と悲しみをあまり深く掘り下げず、登場人物の背景もできる限り切りつめているため、序盤のドラマがまるでカットバックだけで構成されたダイジェストのようになってしまいました。さらに時間も前後してしまうために少々わかりにくくなってしまい、彼らの悲劇や絶望が今ひとつ深く伝わってきません。恐慌のカットをドキュメンタリーっぽく仕上げてあったり、ハワードが自転車屋から自動車屋に転身するくだりなんか、なかなか面白かったんですけどね。しかし、シービスケットが競走馬としてデビューしてからが本当の栄光と挫折、そして復活の物語なのです。話そのものはありがちなサクセスストーリーなのですが、夢や希望とは異なる、人々と馬の強い想い、激しい情熱といったもので満たされています。それも、とても土臭くて親近感のあるもので。また、メインの3人と1頭だけでなく、脇を固める人々と馬たちも良い味を出しています。特に、レッドのライバルであり友人である、アイスマンの異名を持つ冷静な騎手ジョージ・ウルフと、名前を忘れてしまいましたがシービスケットの友人(?)の見るからに優しそうな馬が。そして何よりも、物言わぬシービスケットの心が、その表情や一挙手一投足から言葉とはまた別の形でスクリーンからひしひしと伝わってくるのです。これは私の貧弱な語彙ではちょっと伝えられませんが、競馬にはまったく興味のない私でも夢中にさせられる、まさにムービーマジックでしょう。

 そしてこのマジックを実現させているのが、美しい映像と迫力のある音響。風や草の匂いがしてきそうなほどの大自然の景観には吸い込まれそうですし、躍動する馬の筋肉や毛並み、激しい息づかいが間近に感じられるほど。レースシーンは迫力を出すためにアップを多用してはいるのですが、引くところは引いてくれますし、映画ならではのカメラアングルでも視点が安定していて、実にうまい見せ方をしています。意地の悪い言い方をすれば、序盤でいそぎすぎ、中盤で盛り上がってしまうため、終盤がちょっと冗長気味に感じられる構成の弱さを、映像によって救われているとも言えるでしょう。しかし、2時間20分という長尺にもかかわらずもうちょっと観ていたいと思わせるほど、バランスがとれています。際だった悲しみや感動があるわけではありませんが、ジーンと心に染み入るものがあり、その時にこぼれる涙はとても暖かいものでした。ゼロからの出発ではないのでできない事をやれといっているわけではありませんし、やればできるとか、あきらめちゃいけないとかいった激励でもなく、優しく励ましてくれる作品です。「気晴らしのない人生、生活だったかな? には耐えられない」、「足が潰れる前に心が潰れてしまう」、残りました。

 でも、大恐慌の始まりはわりとていねいだったのに、終焉がまったくといっていいほど描かれていなかったのはもったいなかったかな。基礎知識として、大恐慌は1933年に一応の終わりを迎え、本編はそこから始まっていることを覚えておくといいかもしれません。また、1920年に発行された禁酒法も1933年の暮れには廃止されています。シービスケットの物語は、明かりの見え始めたそんな時代の明るい光だったんだね。

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