10/05 豪華絢爛学芸会「陰陽師II」を観てくる。

 京の空を突然襲った日食。怪異の前触れではないかと怖れる人々の不安は的中し、夜の都に鬼が跳梁し始めた。時を同じくして、右大臣藤原安麻呂の娘、日美子が、夢遊病のように夜ごと屋敷内を徘徊するようになる。安麻呂の依頼を受けた源博雅と安倍晴明は日美子の元を訪れるが、博雅は日美子に想いを抱き、晴明は案ずることはないという始末。そんなある日、源博雅は琵琶を奏でる須佐と、安倍晴明は不思議な術を使う幻角と出会い、鬼を中心にした運命の歯車がかみ合い、回り始める・・・。

 舞台や衣装といったビジュアルは、まさしく明と暗の入り乱れる平安の世。それが史実どおりであるかどうかはわかりませんが、この世界観は非の打ち所がないほどに素晴らしい。これはあっという間にパラレルワールド平安京へ引きずり込んでしまうプロローグからして、実にリアリティーあふれる雰囲気が醸し出されています。しかし、役者のほとんどがまんま現代人という違和感はどうしようもないものか。特に、メインとなるキャストの言葉遣いや言い回しに統一感がなく、終始気になって仕方がない。さらに、台本棒読みではないかと思われる部分もあり、すべて台本どおりなのか、演出と言語指導が行き届いていないのか、気になるところ。どうせアフレコなら、録音し直すべきではないのか。それにも増して鼻につくのが過剰な演出と、うるさいほどの説明過多、タイミングの悪い編集。ことあるごとに使われる効果音は、まるで魔女っ子もの。やりすぎとやらなさすぎの平安貴族らしさの演出に加え、コメディーをいかにもコメディーらしく演出しようとしているらしく、かえって無様な結果を生み出している。ビジュアルで十分伝わることにナレーションをかぶせ、追い打ちをかけるようにセリフで状況を説明するのはうっとうしい。これは終盤で目立つのだが、劇判を入れるタイミング、絵の動き出すタイミング、セリフの始まるタイミングが、はっきりと判るほどにずれていたぞ。舞を舞う晴明におかしなあえぎ声を入れたのにも納得がいかない。他にも、幻角は白髪になったのならそのままであるべきだろうとか、日美子の大蛇の印は晴明が消したのではないかとか、天に昇ったその印はどこへ消えたのかとか、御所の警備が異常に少ないとか、京の都と出雲の村が近すぎないかとか、その出雲の村は早良親王の塚と同じロケ地だろうとか、ちぐはぐなところが多々目立ちます。博雅と晴明の関係もさらに同性愛の色を強くして、どうにも薄気味悪いしね。夢枕獏氏も加わったはずの脚本、これでいいのか?

 実は、物語そのものに関しては、神を実在のものとして担ぎ出してしまったために、人の心の闇がまったくといっていいほど意味をなさなくなってしまい、安倍晴明の存在感をも薄くしてしまいました。いや、神頼みで神懸かりの力を得ようとするのはいっこうに構いませんが、それを望んだ人間から責任を取り除いてしまってはいかんでしょう。トンチキな恋愛物であった前作の方が、人間味があふれていて面白かったぞ。鬼が鬼たるゆえんはいいとして、あまりにもはやくその正体を明かしてしまった上に、鬼の所業にいまいち迫力がないのも残念。これは、役者がメイクに頼らずとも鬼を表現できる力量がないことにも原因がある。これじゃ鬼になることの恐怖と悲しみを描ききっているとはいえないでしょう。鬼の最終形態も、とりあえず全身メイクしてみましたってな代物。動きがほとんどなく、御所でも天岩戸でもぼけっと突っ立っているだけに近い演技でどうする。そういえば、取っ組み合いぐらいで、アクションらしいアクションがほとんどなかったな。相変わらず存在しないもののリアリティーがないのはまあいいとしても、天岩戸が巨大なアーモンドにしか見えなかったのはがっかり。普通に岩の祠でいいじゃん。

 とまあ結構酷評してしまったわけですが、秀逸なビジュアルと、今回は不自然になりすぎなかった視覚効果が功を奏して、娯楽作品としてはそれなりに楽しめる作りになっていますのでご安心を。特に、(ボディーダブルかもしれないが)セミヌードに近い姿を披露する深田恭子と、決して綺麗じゃないけど妙な迫力がある女形の舞を披露する野村萬斎は一見の価値があるかな。中井貴一もさすがという他はなく、リアリティーの崩れ落ちそうな物語の中で、実にリアルな幻角を演じきっています。それにしても野村萬斎、すべてのキャスティングの弱さを一人でカバーしているように思えてなりませんが、圧倒的な存在感ですね。そうそう、眼を喰らわれる巫女さん、とっても素敵な女優さんでした。蜜虫と配役を変えたらどうだ? ※エンドロールで深田恭子の吹き替えを見つけたんだけど、これがスタントなのか声なのかセミヌードなのかは確認できませんでした。

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