09/13 自画自賛「シモーヌ」を観てくる。

 かつての栄光を失ってしまった映画監督タランスキーは、再起をかけた新作の作成中に、主演女優ニコラに降板されてしまった。元妻でプロデューサーのエレインは制作を中止し、タランスキーを解雇せざるを得なくなってしまう。そんなタランスキーの前に、彼のファンでデジタルアクトレスの研究者ハンクが現れ、CGを駆使して完璧な女優を作り出すことが出来ると言う。古典的な作風にこだわるタランスキーは、ハンクの熱弁に興味を示すことはなかった。しかしハンクの死後、彼の遺言によって送られてきたデジタルアクトレス創造ソフトシミュレーション1によって、理想とする女優シモーヌを創り、映画の成功と共に世界中に一大センセーションを巻き起こす。だが、シモーヌがCGであることを公表するきっかけを失ったタランスキーは、自分の中に潜むシモーヌによって狂わされていくのだった。

 前衛的というかフランスイマジネーションというか、フィルムノワールの亡霊のようなタランスキーの作品がユニーク。さらに、この作品自体落ち着いた色に仕上げ、オールド・カーをはじめとして道具立てがすべてクラシカルなために、一瞬時代を錯覚してしまいそう。そのため、デジタルアクトレスを生み出すごく普通のコンピューターが、まるで玉手箱のように見えてしまうのが実にお見事。まあ、ごく普通とはいえ8インチのフロッピードライブが付いていたりするんですが、これはオールドスタイルに淘汰されるといった皮肉か、なにかの狙いでしょう。そういうちょっと変わった舞台に生み出されるシモーヌなのですが、個性がありそうでなさそう、豊かな表情のようでいて感情が込められていないといった、微妙に実態感がない独特の存在感があります。これはあらかじめCGの産物であると刷り込まれていることもありますが、シモーヌを演じたレイチェル・ロバーツの演技による部分が大きいのでしょう。しかし、ひとつユニークなのがシモーヌのコンサート。ホログラムやモニターに映し出される彼女の実態感のなさとはうってかわって、ホログラムという設定ではあるものの本人が立つステージでは実に存在感が強いのです。さすがに歌うシーンだけは作り物である雰囲気を出せなかったようですね。

 物語は、自身の理想とする女優シモーヌを自身の中から外に解き放ったタランスキーの悲喜劇を中心に、彼とやり直したいと思いつつなかなかうまく行かない元妻エレイン、クールな振りをしていてもそんな両親を気にかけている娘レイニー、素性のまったくわからないシモーヌを追い回すマスコミにファンたちの人間模様を描いたもの。シモーヌがCGでなくても成り立つストーリーなのですが、映画という虚構の世界に、今では当たり前になりつつあるCGアクトレスという虚構の俳優を絡ませ、何もかも実態のないものに振り回されていると皮肉めかしているのでしょう。もっとも、この作品ではCGアクトレスをおかしな意味で肯定していると思われる節があります。何しろ、さんざん振り回されて懲りたはずのシモーヌを、騒動のあとには・・・というわけですから。勘の良い方にはばれてしまったことでしょうが、この結末には正直言ってがっかりでした。私自身CGアクターを否定しませんし、古典的な作風が必ずしもいいとは思っていません。ですが、シモーヌを否定することによって本物の人間の心を再発見する、ストレートではありますが、これが家族愛に結びつくと思っていたんですよ。そうでなくても、シモーヌはタランスキーの理想とする女優の実体化ということで彼のマスターベーションの産物みたいなもの、シモーヌとタランスキーはイコールなのですから、シモーヌに感情移入すること自体、私には無理なのです。そんな存在を肯定された日には、これから先CGアクトレスを見るたびにその背後にある男(とはかぎらないが)の影がちらついてしまって仕方ありません。せめて、そう思わせることがこの作品のテーマであると好意的に解釈するようにつとめましょう。そうでないと、せっかくユニークだったパーツが音を立てて崩れ落ちてしまいますから。

 というわけで、ラストには首をひねってしまいましたが、シモーヌに翻弄されるタランスキーが実にユニークなのでした。冒頭、ニコラに翻弄されるタランスキーがユニークであったようにね。シモーヌ役のレイチェル・ロバーツは確かに美人だけど、僕の好みじゃないからどう設定しても感情移入は難しかったかも。ところで、ブタのシーンは実際に演じたのかな。だったらこの女優は凄いよ。でも、エンドロールの彼女の名前の横にはスペシャル・サンクスとあったけど、シモーヌ役として名前が出なかったのはちょっとかわいそう。ちなみに、I(アイ)とO(オー)を1(いち)と0(ぜろ)に置き換えたテロップはユニークではあるけど、ちょっとうっとうしかった。SIMULATION ONEをSIMONEに変える文字遊びは面白かったけどね。また、エンドロールの後におまけがあるので、ネタにしたい向きは席を立たないように。これ、タランスキーがシモーヌに支配されてしまったことを暗示しているのかな。

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