06/22 後ろ向きな惑星「ソラリス」を観てくる。

 心理学者クリスのもとに、宇宙ステーション・プロメテウスにいる友人から、惑星ソラリスの影響による不思議な現象の調査依頼が届いた。しかし、クリスを待ちうけていたものは、通路に延々と続く血痕と、友人ジバリアンの死。生き残っていた二人のクルー、スノーとヘレンに何が起こっているのかを尋ねても、“あれ”が現れるまでは何も信じないだろうと言われてしまう。しかしその日、今は亡き妻の夢から覚めたクリスの前に現れたのは、存在するはずのないその妻、レイアだった。

 というわけで一人の男がソラリスで過去におぼれる話なのですが、これってソラリスである必然性が全くないと思うんですが。だいたい舞台が宇宙ステーションだし、肝心な“海”がないんじゃダメじゃん。といいつつ、毎度ながら映画と原作は別物という視点で見ていきましょう。

 決定的な落ち度は、主人公クリスが精神科医であることがまるで活かされていないこと。ソラリスに現れる存在しない人々との邂逅への苦悩は、彼が精神科医であるがゆえにもっと深くなければならないはず。にもかかわらず、あっさりと受け入れて過去の失敗をやり直すんだと決意してしまってはダメでしょう。いやまあ、宇宙へ放り出すというお約束は守っているのですが、クリスの回想シーンが多くて、そればかりが印象に残ってしまうのです。それに対して、ソラリスが生み出した彼の妻レイアがクリスの代わりに苦悩するのです。このコンセプトは面白いのですが、レイア一人の中で完結してしまっているのが惜しい。現実を見ようとしないクリスと、虚実に気づいてしまったレイアが激しく衝突してくれなければ、どちらも一人芝居で終わっちゃいます。他のクルーのエピソードのほとんどをカットしているのですから、この二人の内側をより深く描き、お互いの存在意義をより浮き立たせないとダメだよ。さらに、ここでソラリスの存在と意志に言及しておかないと、物語の鍵となるソラリスそのものがただの添え物になってしまいます。

 シナリオの方向を後ろ向きの恋愛に向けたのはいいとしても、ソラリスそのものの存在と設定に説得力がなく、クリスのためのお膳立てがほとんど活かされていないのが残念でした。終盤の構成はちょっと先が読めなくて面白かったけどね。これなら他のクルーのエピソードにもっと時間を割いても、バチはあたらなかったと思うよ。それから、セックスシーンが長すぎ、クリスも裸のシーンが多すぎなのは、せっかくの美しい映像と、クールでシュールな雰囲気にそぐわない。おまけに存在しないはずの者が蘇るシーンがあるんだけど、ゾンビかと思ったぞ。こりゃなかろう。完全に物質化しているのはわかるけど、これだとどこへ捨てても戻ってくるという説得力に欠けるんじゃないかな。

 これだけでは原作者スタニスワフ・レムがあまりにかわいそうなので、見所を少し。「2001年宇宙の旅」を意識したような宇宙ステーションの(一部の)映像と、アジアンテイストあふれる音楽は、雰囲気たっぷりでなかなか素晴らしい。映像は総じてよかったけどね、裸以外は。ストーリーから意識が離れてしまっても、環境映像としてリラックスできるんじゃないかな。しっかり眠くなるし。

 確かに楽しかった過去に戻りたいと思うことはあるし、それが現実となって戻ってしまうことは架空の話、映画ならではなので、異論はないけどね。それに、この映画化も決して駄作ではありませんし、むしろ原作の静かで不気味な雰囲気を大切にしていると思います。だからこそ、たとえ過去の幻影に未来を求めるにしても、もっと苦悩と葛藤があっていいはず。あっさりしすぎているのはどうかと思うよ。映画館だとどうも睡魔に負けそうなので、自宅でじっくりゆっくり見直してみたい作品ですね。

戻る