06/13 狂気と正気の狭間「ハンテッド」を観てくる。

 1999年、コソボ紛争のまっただ中。アメリカ特殊部隊の一員ハラムは、セルビア軍に占領された村に入り敵司令官を暗殺する命令受ける。それは確かに成功したのだが、彼がそこで見たものは、虐殺された市民たち、母を失い泣き叫ぶ子供たち、それらに追い打ちをかけるように放たれる銃弾の雨だった。そんな紛争も忘れ去られた現在、カナダのブリティッシュ・コロンビアの山奥。野生動物保護管として暮らす老人L.T.のもとに、昔なじみのFBI捜査官がオレゴンで起こっている猟奇殺人事件の手助けを求めてやってくる。渋々承知したL.T.が現場で見たものは、かつて彼が教官として叩き込んだ、サバイバルと殺人技術の痕跡。そして、シルバー・フォールズの森に一人分け入った彼が出会ったのは、想像通り彼の教え子、ハラムだった。すがるように戦いを挑むハラムはL.T.を追いつめるのだが、FBIの放った麻酔弾により取り押さえられる。しかし、秘密隠匿のために軍に引き渡されたハラムは機を見て逃亡してしまい、オレゴン州ポートランドは、狂気に追いつめられたハラムと、彼を追うL.T.の追跡劇の舞台となるのだった。

 戦争で心に傷を負った兵士のトラブルを描いた作品なのですが、さすがウイリアム・フリードキン監督と言うべきかどうか、ハラムどころかL.T.の背景のほとんどをばっさりと切り捨て、ひたすらサバイバルと逃亡追跡劇に的を絞っています。とはいえ、背景がまったくわからないわけではありません。厳しい訓練により心を捨てて軍事マシンとなったはずのハラムがコソボで見たものは、彼に心を取り戻させると同時に狂気へと導く引き金となったのは想像に難くありません。さらに、そんな彼がL.T.に何通も書いていた手紙、その内容は明らかではありませんがこちらも想像が付くはず。それにもかかわらずL.T.は彼に何も手をさしのべていないのです。それ以前に、もしかしたら届いた手紙すら読んでいないのであれば・・・。ハラムはL.T.に叫んでいるのです、手紙は読んでくれたか、もう限界だ、正気が失われていく、あんたは父親だった、と。これは見ていて実に辛いシーン。

 とはいえ、戦争というものを遠いどこかの国の話であるとか、即物的に口先だけの戦争は悲劇だ反対だと唱えるだけでは、この作品に描かれた情報量だけでは深く読みとることができないでしょう。そういう意味では、ただの決闘アクションと見るか、少しでも背景に思いをはせるか、フリードキン監督の挑戦ではないかと思われます。何しろ、日本という国は自国の悲劇ばかり嘆いていて、アジアに何を残してきたのかを振り返らない・・・、おっとこれは余談ですね。

 そんな深い勘ぐりはさておき、ハラムを演じるベニチオ・デル・トロの悩みと狂気に満ちた表情は秀逸。古谷一行の若い頃に似ているなぁというのはともかく、これが狙いかどうか、アクション中やふとしたはずみで見せる素顔とのギャップが激しくて、正気と狂気を行き来する、まさに狂気の淵にたたされた心情がうかがえるというものです。また、L.T.を演じるトミー・リー・ジョーンズが、こちらが体の心配をしてしまうぐらいによく走りよく戦っています。ハラムとL.T.とは親子ほども年が離れているのですから、普通に考えれば体力的にもどちらが優勢か見えているのですからね。その結末は、病んだ心と癒された心の差にあった、とでもいっておきましょうか。

 1時間30分はあまりに尺を詰めすぎだろうとは思いますが、この説明不足をどう受け取るかで見方が変わってしまうでしょう。まあ、リアルな設定のわりには、どう考えても炎の温度が上がらないのに短時間で鋼のナイフを作るのは無茶だとか、その短時間のうちにブービートラップ(わな)を仕掛けるのはさらに無理だとか、ハラムが足跡を残しすぎだとか、ハラムを引き取りにきたのがおそらく特殊部隊員のわりには間抜けだとか、話を急ぎすぎたツケが回っているのも確かなのです。そんなこんなでひたすら緊張しっぱなしなのですが、本作でもかろうじて、ハラムの娘と、ひたすらに無邪気な彼女によって心がときほぐされるハラムの奥さんが、心癒される役回りを担っているのですよ。これがなかったらほんとに救われないままに結末を迎えていたでしょう。

 ちなみに、あまり語る必要はないのですが、聖書を引き合いに出す必要はなかったんじゃないかな。エンディングの「すべては神がばらまいたチェスのコマ」みたいな、投げやりな歌詞は面白かったけどね。もしかして、これも「エクソシスト」のフリードキンだからなのかな。

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