06/12 デトロイト・ラップ・シティ「8 Mile」を観てくる。

 1995年、デトロイト。8マイルラインに分断されたその中心部は、スラムでもなければダウンタウンでもない労働者たちの街。恋人ジャニーンと別れたばかりのB・ラビットことジミーは、極度の緊張から何もできなかったラップバトルの痛手と共に、母と妹の暮らすトレイラーハウスに戻ってきた。しかし男にすがる暮らしを続ける母と、その相手でハイスクールの上級生でもあるグレッグとの折り合いが悪く、やり場のない苛立ちにも似た感情によって、友情や愛情にも噛みつく日々を過ごす。そんなある日、彼の働くプレス工場にやってきたアレックスと恋に落ちるのだが、夢のためならどんなことでもする彼女の裏切りにあってしまう。さらに、対立するラップ・グループとの衝突を起こしながらも、自分が今できることの証として、ラビットは再びヒップホップ・クラブ「シェルター」の、ラップ・バトルのステージに上がるのだった。

 ラビットが出社するために乗り込むバス、その行き先表示が「8 Mile」であったのが印象的。これが本当のデトロイトの姿かどうかは別として、エミネムの俺様サクセスストーリーに陥ることもなく、よくできた底辺の青春映画。惜しむらくは、ラップという現代音楽の象徴を柱にしているにもかかわらず、人間関係や彼らの生活の設定が古くさいところだろうか。とはいえ、そんな設定が、人も街も昔から何も変わっていないことを訴えかけているのかもしれないが。他にも1ラウンドまるまる入れられたセックスシーンが長過ぎるとか、おそらく分不相応ではないかという気持ちはわからなくもないが、何も言わずにジャニーンと勝手に分かれたのはいかんだろうとか、ラストのラップバトルに間がなさ過ぎるとか、気に入らないところはそこそこあるものの、ラビットに共感できたことですべて帳消しにしよう。

 人間関係といえば、男の友情ばかりが目立つ中、ラビットを取り巻く女性たち、母親ステファニーもアレックスもいかんなくビッチぶりを披露してくれ、見ているこちらまで心が病んでしまいそうだ。また、ストーリーの中でアレックスの裏切りと書いたが、彼女にしてみれば裏切りでも何でもないのである。夢のためなら平気で体を投げ出すのだから、彼女にとってラビットは、ここから連れ出してくれる男の一人であったのだろう。もちろん、ラビットにしてみれば裏切られたと思ってもしかたのないことなのだが。さらに終盤でステファニーが、おそらくひとときに過ぎないのであう生活をとりものすのだが、ばくちで得た金を握り締めて運が向いてきたと言い放つのである。これには、ラビットも複雑な表情を見せるのだ。ジャニーンはおそらくいい子なのだろうがそれはさておき、ラビットの妹リリーが唯一この作品で彼をいやしてくれる少女なのだろう。演出としては手堅い手段なのだが、いたいけな子供に安らぎを求めるのはどうかと思う。いや、少しは感情移入できる女性を用意してほしかったなと。

 さて、本作の本編であるラップ・バトルなのだが、相手を口汚く罵るばかりというのはさすがに驚きを隠せない。だが、自分がのし上がるために相手を蹴落とす。褒められたものではないが、おそらくそれが彼らのやり方であり、デトロイト8マイルラインのこちら側の姿を象徴しているのだろう。さらに、この物語が語る範囲では、ラビットがラップで大成功するサクセスストーリーでもなく、ましてや彼自身それを願っているわけでもない。いつか金を手にして街を出て行こうというありがちな落とし穴に堕ちなかったところにこそ、この作品の魅力を感じるのかもしれない。

 私自身があまりラップになじめず。劇中のバトルもあまりリズムに乗っているように感じなかったのは内緒だが、彼らと同世代でもないのに共感できてしまう私自身がなんだか変にくすぐったかったのはもっと内緒だ。さて、僕が今、自分ができることの証しってなんじゃらほい

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