05/25 ロンドンの地下は宝箱「サラマンダー」を観てくる。

 ロンドンの地下鉄工事現場で一匹だけ眠りから目覚めたドラゴンが、謎の大繁殖をして人類を絶滅に追い込むんだけど、(かんじんな部分を省略して)あっという間に時は過ぎて、よくある荒野と廃墟の世界にわずかばかりの人類が生き残っている時代にうつって、ドラゴンが勝手に滅びるまでじっと堪えようという保守的な砦に、ドラゴンを滅ぼそうという積極的な退治屋がやってきて、お決まりのいざこざなんかあったりして、一匹しかいない雄を倒しちゃえばいいじゃんと無茶にまとまる話を、人間中心に描いた作品。人間中心じゃだめじゃん。

 ドラゴンの出演シーンはすべて見応えあり。でも、残念ながらそれだけ。せっかく金をかけたと思われる見事なCGIドラゴンと、それなりによくできた屋外セットを使い切ることなく、カビの生えたセリフを多発する人間ドラマと、馬鹿げたパロディーに終始してしまいました。最大の失敗は、ドラゴンが人類を破滅寸前まで追い込むという素晴らしい設定を、セリフとナレーションでちんたらと語るのみ。ここを映像化しないでどうする。おかげで、話は唐突に原始時代へトリップしてしまい、三文パラレルワールド映画になりはててしまうのです。しかも、パラレルワールドに入って早々、ドラゴンがうろうろしていて危険なんだし、狩猟生活じゃないんだから、畑は砦の中に作れよなとすべての観客の心の声が聞こえてくる始末。さらに、中途半端に宗教じみた訓示にいたっては、全くもって説得力がありません。

 せっかくなので、ネタばれも何もあったもんじゃない、どうしても許せないこの宗教パロディーにふれておきます。砦のリーダー、クインと相棒が、子供たちの前で何やらいわくありげな二人が剣で戦い、片方がもう片方の父親であることを名乗るシーンを寸劇で演じます。これに対して子供たちから「この劇はクインが書いたの」と問われるのですが、あろうことかクインは「そうだよ」と答えるのです。確かに寸劇ではスターウォーズの固有名詞を使ってはいませんが、ベイダー卿の呼吸音まで真似ているのですから、誰の目にも「ルーク対ベイダー」のパロディーであることは明らかなはず。これをクインが書いたということは、すなわち「サラマンダー」の制作者がつくり上げたことになるのですから、パロディーの度を越しているとしか思えません。この場合の子供たちへの返答としては、「その昔こういう映画というものがあったんだ」あたりが妥当でしょう。それが先達への敬意というものです。さらに悪いことに、この寸劇が物語に何の必然性もないのです。さすがにB級映画ではよくあることと許す気分にはなれませんな。

 憤慨してばかりいないで話を戻して、それでも文明の名残として活躍が期待できる「戦国自衛隊」みたいなドラゴンスレイヤー小隊が登場するのですが、劇中で一匹だけ、見事なスカイダイビングでドラゴンを葬るものの、その後はろくに活躍の場が与えられず、ドラゴンの一息であっけなく全滅。これまで200匹も倒してきたのははったりか? と疑問を抱いているうちに、主人公たちの立てこもる砦も崩壊。これほどまでに力の差があるドラゴンと人間の対決ですから、これから盛り上げなくてはならないのに、クライマックスにいたってはさらにパワーダウンする始末。このクライマックスでドラゴンスレイヤーに活躍させないでどうする。

 穴だらけの設定とシナリオには目をつぶってあげるとしても、見せ方を間違えてしまい、典型的に悪い見本のB級映画になってしまいました。素材はよかったのに、もったいないなぁ。なんで羽が穴だらけなのか皆目見当もつかないCGIドラゴンは一見の価値はありますが、迫力だけなら「ダンジョン&ドラゴン」をおすすめします。まあ、どっちもへっぽこなのですけどね。

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