01/25 主役はどれだ?「黄泉がえり」を観てくる。

 九州は阿蘇の小村で、戦前に死んだはずの子供がすでに年老いた母のもとに現われた。厚生労働省の川田はその不思議な現象の調査のため、自分の故郷でもある阿蘇に赴く。次々に甦ってくる死者を調査するかたわら、町役場に勤める、死んだ友人のフィアンセだった葵と再会する。奇妙な三角関係に揺れ動く川田と葵、その一方で川田たち調査団は「黄泉がえり」の謎に迫ってゆく。そんなある日、山中で事故車両が発見された・・・。

 デビュー当時から思ってたんだけど、竹内結子は可愛いね。それはともかくとして、本来ならドラマティックなSFかホラー、あるいはファンタジーとしての素材を、近作邦画のようにそういった方向性で作っても失敗することを恐れたのかどうかは定かではありませんが、ちょっと良い話しにまとめ上げたことがこの作品を成功に導いています。というわけで脚本と演出は秀逸、「黄泉がえり」というゾンビ現象を下手にひねり回さず、普通 のドラマとしてうまく消化しました。しかし、惜しむらくは主要なキャスティングが凡庸だったこと。確かにがんばっている意気込みは伝わってくるのですが、深みや存在感を補うことはできず、少々腑抜けたドラマになってしまったことは否めません。こういう作品でこそ、芸能人と俳優はイコールにならないことを理解したうえでキャスティングしていただきたい。せっかく劇場作品らしい脚本と絵作り、しかも落ちついたカメラワークにしっとりと長めのカット割りなのですから、もったいないですよ。

 ただし、音響設計はひどい。本来ならば小さな生活音が耳障りなほどの音量で入れられている上に、中〜低音域が強調されすぎて男性の音声がボワボワとしています。コップや皿を置く音ががんがん響くと、実に粗暴な印象を受けますね。これは劇場の音響設定にもよりますが、全体に大音量というわけではないので、作品そのものの音響設計が悪いのだと思います。

 また、物語上不要だとまでは言い切りませんが(思ってはいますが)、クライマックスを盛り上げるために、脇役であるRUI(柴咲コウ)のコンサートをまるで主役のごとくフィルムコンサートよろしく延々と流すのはいかがなものでしょう。まるで、見せ場になると主題歌が流れるテレビの連続ドラマじゃないですか。しかも長すぎるし。この時点でヒロインは葵からRUIにすり替えられ、観客は葵の行く末よりもRUIの行く末を気にしているのではないでしょうか。意地の悪い見方をすれば、このようなイベントがないと映画としても盛り上げられなかったのではないかとも考えられますが、それにしてももう少し本編との絡ませ方があったはず。多少の伏線ははっておいたとはいえ、結構唐突にフィルムコンサートになってしまいます。根本的な間違いをつつくなら、川田が葵との待ち合わせに人ごみの激しいコンサート会場を指定するのがおかしいですし、たとえ会場で待ち合わせていなくてもRUIのコンサートを絡ませたところで不自然な展開にはなりません。まあ、エンディングにまで使われてなくてよかったけど、そんなこんなでもRUIのCDはそれなりに売れるんだろうね。

 ところで、葵が会場を歩き回るシーンでバンクフィルムを使ったでしょ? 確認はしていないけど、同じだと思われるシーンが2度あったぞ。それと、あいかわらずあまり効果のない環境映像が使われているし、冗長なカットも散見されます。それなりに面白い作品なので、もうちょっと緊張感のある編集になっていれば、気の抜けた感じは緩和されたんじゃないかな。この内容で2時間は長いよ。それから、アホな場所で待ち合わせたおまえが走れよな、歩いてきたうえに客席を歩き回って探してる娘に走れって言うなよな。それから、感情の高ぶりを絶叫でしか表現出来ない昨今の日本映像界はなんとかならんものか。ただのアホが奇声を上げているようにしか見えないぞ。

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