01/20 それぞれの義「壬生義士伝」を観てくる。

 江戸末期、その風雲まっただ中の京都、まさにその渦中ともいえる新撰組の壬生屯所、あまねく入隊希望者の中に吉村貫一郎の姿があった。彼は貧しいながら藩校の師として慕われ、慎ましくも家族に囲まれた生活を送る南部藩の下級武士。しかし、あい続く飢饉に、口減らしのため入水しようとする身ごもった妻を救ったとき、彼は脱藩を決意したのだった。風采は冴えずとも剣の腕は並々ならぬ吉村は、新撰組隊士の中でも重用され、彼自身は家族への仕送りのため、かつ生きるために戦う日々を過ごす。しかし、時代は維新へと向けて大きく動き、吉村も、新撰組もその大きな流れの中に消えてゆこうとしていた・・・続く

 明治晩年、吉村貫一郎の上司の息子で町医者となった千秋と、彼のもとへ孫の診察に訪れた元新撰組隊士、斉藤一の回想で綴られているため、話が頻繁に前後することにやや気をそがれてしまいます。それに、佐藤浩一の老け顔メイクは、あまりに作り物じみていて笑えます。特殊メイクに原口智生の名が上がっていましたが、違う担当だったのかな。それはまあともかく、映画そのものが明治から始まることにはインパクトがあっていいのですが、合間にちまちまと明治に戻らずに、最初と最後だけにしておくべきではないかと思いますね。幕末のストーリーそのものは、スケールを大きくしすぎることなく、目的を見失わず、散漫になることなくそれなりにまとまっていますが、それでも故郷を忍ぶ環境映像が盛り込まれたりしていて、全体を通してやや冗長になってしまった感はぬぐえません。特に、吉村の最期から映画の最後まで、苛立つほどではないものの、引き延ばしすぎです。半死半生の吉村が妙に元気なところも気になって仕方ありません。そして、少なくとも彼の最期で(長すぎるとはいえ)大きく盛り上がったのですから、その後の興をそぎかねない青臭い芝居は、もはや不要でしょう。こういうところこそ、ナレーションでさらっと流していただきたいところ。たたみかけるように感動を押しつけられるため、せっかくの感動が醒めてしまいます。

 実のところ、鳥羽伏見の戦いで錦の旗に向かっていく吉村で物語が締めくくられていた方がドラマティックだったのではないでしょうか。いや、あれだけ弾丸を撃ち込まれれば誰だって・・・。とまあダラッとした部分が気になる終盤ですが、正直に申し上げまして、泣けました。吉村の間抜けと真面目のギャップもあって鳥羽伏見のラストではホロリとしましたが、三宅祐司のおにぎりには思わす涙があふれてしまいました。ギャグを期待した僕がバカだったよ、三宅祐司、いい味出し過ぎだよ。久石譲による劇伴も全編を通じて統一感があってすばらしく、かといって鳴りっぱなしというわけではなく、緩急自在に雰囲気を盛り上げています。ああ、これで冗漫な部分がなければなぁ、感動の押売にならなかったのになぁ。

 また、さわやかなイメージの強い中井貴一がどれだけ中井貴一でなくなるかが少々心配でしたが、ものの見事に東北訛りの強い盛岡は南部藩下級武士となっていました。そして私が驚いたリアリティーのひとつに、月代が伸びたり剃られたりと時間経過と生活感にこだわられていたことがあります。映画としては、実際にはたいしたことじゃないんですが、妙に嬉しいものがありますね。これに反して、佐藤浩一をはじめ、美形でそろえた有名俳優による有名隊士が時代劇になっていなかったのが惜しまれます。ただし、(実際には下ぶくれの)美剣士沖田宗司は、妙にくねくねととらえどころのなさがはまり役。実際、新撰組に入隊したのも近藤勇にくっついてきたようなところがあり、人斬りにしても自分の意志に関係なく近藤の命だから斬った、というようなところもあります。ある意味、自我を持たない殺人マシーンといえなくもない雰囲気が妙に醸し出されていました。これが普通に悲劇の英雄美剣士として描かれていたら、普通につまらない存在だったでしょうね。そして、時代劇の名脇役、塩見三省が結構実際の近藤勇に素で似ていたことには驚きましたし、もうちょっと豪放な方が良いかとは思いますが、役としてもいい味を出しています。これでがっちりした体格に仕立て上げていれば言うこと無しなのですが、特殊メイクでなんとかならなかったのかな?

 メイクといえば、女優のメイクが現代メイクだったことがあまりにも不自然でしたが、夏川結衣も中谷美紀も美人だったからまあ良いか。ただし、食うや食わずの貧しい生活をしているのに、あまりに健康美あふれる夏川結衣は不似合いすぎますね。もっとも、彼女のそんな雰囲気も含めて、吉村一家の貧困に窮する生活感がほとんど描かれておらず、口減らしどころか吉村の出奔にも説得力が不足しているのですが。そもそも、いかに禄高が少なくとも、藩校で講師を務めるならその分の手当てが出ると思うのですが、出ないのかな。民間の寺子屋みたいなところでは、謝礼として野菜などを届けてもらえたそうですけどね。それから、中谷美紀に向かって醜女は無いだろよ。斉藤一の信条に説得力がなかったのもあるけど、中谷美紀がブスだなんて言ったら誰だって怒るぞ!

 まあ、ケチをつけたいところも多々ありますが、久々に素直に感動できた作品でした。

 続き・・・そして、実は吉村貫一郎はフィクションの産物であったのもまた内緒なのだ。いや、新撰組にかかわらず、古い話の美談奇談は眉唾物が多いのだよ。

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