01/11 はじめ人間ギャートルズ「ゴーストシップ」を観てくる。

 1962年、イタリアの港を旅立った豪華客船アントニア・グラーザ号は、一路アメリカを目指していた。ひとりぼっちで両親の元へ旅する少女ケイティーにとって、海の貴婦人と呼ばれるこの船にふさわしいパーティーも、その一人旅同様「つまらない」ものであったが、優しい乗務員たちによってそれなりに楽しく過ごしていた。しかし、そんなパーティーの最中、ダンスに興じる乗客たちに想像を絶する悲劇が襲いかかる。それから40年が経った2002年、ベーリング海で不審な巨大船を見つけたというフェリマンの依頼を受けたエップスたち海難救助隊が発見したものは、幽霊のように静かに、不気味に漂流するアントニア・グラーザ号の変わり果てた姿だった。そして、海の貴婦人に乗り込んだ彼女たちに40年前の悪夢が襲いかかる。

 まずは警告しておきますが、短時間とはいえかなり過激な人体破壊が写し出されます。アメリカでは、暴力・残酷・卑猥な表現でR指定(17歳未満は保護者同伴)になっている代物です。日本での制限はどうなっているのでしょうか。親子連れとはいえ、どう見ても小学校低学年とおぼしき女の子が見に来ていました。予告編の少女からして「シックス・センス」あたりを想像したのかもしれませんが、ちがう路線なので注意してください。

 ホラーらしからぬ素敵な映像と歌声で幕を開けるもののそれもつかの間、ステージは地獄へ急転直下とすっ飛ばして期待をあおりつつも、開幕早々観客を置き去りにしそうな勢いに、妙な不安とやっぱりという期待を感じてしまいます。そしてそれはどちらも的中、90分あまりとコンパクトにまとめられた上映時間めいっぱいに浅かったり深かったり、熱かったりぬるかったりのドラマとショックシーンが詰め込まれていました。ただし、ほんのちょっとでもネタをばらしちゃうと、そのネタが楽しみになるのではなく、単純につまらなくなってしまうので、どんなものかは映画館でのお楽しみ。

 とまあそんな感じの作品ですが、救助隊クルーたちの末路はそれなりにユニークですし、「幽霊船」になってゆく顛末は実に見応えあり。ケイティーの視点から見る大虐殺はとにかく圧巻、ケイティー自身の悲劇とあわせて、嫌悪感と悲壮感をこれでもかと感じさせます。しかし、ネタに関係なく途中卍を逆回転させたものを絡めたかったらしいあたりになんのフォロワーもなく、全体的に説明不足が散見されるのは残念。どうにも展開を急ぎすぎたきらいがあり、全てにおいて何かが足りない印象は隠せません。まわりは海という逃げ出したくても逃げられないというシチュエーションなのに、クルーたちは何がなんでも船から逃げようとしますが、自身が漂流してまでも逃げ出したいという恐怖と緊迫感がこの幽霊船には今一つ希薄です。

 せめて、アントニア・グラーザ号がいかに豪華で喜びに満ちていたかをもう少し丁寧に描いていれば、その悲劇にもっと深みが出たのではないかと思われます。冒頭があまりにあっさりしているため、主人公たるこの幽霊船への愛情や思い入れが薄くなってしまいました。実は、これがリアルなのか予算の都合なのかはわかりませんが、海の貴婦人のビジュアルはそれほど豪華じゃないんですけどね、パーティー会場も狭いし。何はともあれ、明暗は出来るだけ極端な方がドラマティックなのですよ。

 とにもかくにも、びっくり箱おばけ屋敷だけじゃ飽きちゃうぞ。冒頭に披露した一番の見せ場を生かす構成じゃないし、幽霊少女はちっとも謎じゃないし、金塊がまるで発泡スチロールで出来ているかのように軽く扱われているし、幽霊船を作った者の設定が安直すぎるし、本来そいつは間接的に人間を破滅に追い込むから面白いのだから直接手を下しちゃいかんのだし、ギミックの帝王ウイリアム・キャッスルの本当のギミックの意味をはき違えているようだし、といってもダークキャッスルエンターテインメントの作品じゃぁこんなもんなのか?

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