11/04 黙っていても時代は流れる「たそがれ清兵衛」を観てくる。

 激動の幕末をひかえた江戸末期、庄内海坂藩。50石取りの下級武士、井口清兵衛は、妻を労咳でなくし、老いた母と幼い二人の娘を養うために、努めが終わると同僚の誘いに乗ることもなくまっすぐに帰途についていた。同僚たちはそんな清兵衛を、親しみをこめることもなくたそがれ清兵衛とあだなする。そんなある日、友人とその妹、幼なじみで密かに想いを寄せていた朋江の危機を救ったことから、清兵衛の剣術の腕が藩士の間に広まることとなり、折しも家督相続に関る権力争いが収束しつつあった藩の後始末のため、討ち手に任命されてしまうのだった。

 貧しいながらも静かに楽しく暮らしていた下級武士が、騒動に巻き込まれながらも幸せを手にし、それでも幕末の動乱に消えてゆくというお話し。武士のほとんどを丸顔でそろえてしまったために、城内のシーンが今一つしまりにかけてみえたのが残念。同じシチュエーションの繰り返しは、一歩間違えるとコメディーになりかねません。また、家老がいかにも悪役顔だったのにもその意図がまったく見えず、もしも藩命を振りかざすだけで悪役に仕立て上げているのだとしたら、いささか強引に過ぎます。さらに、実戦形の殺陣は確かに見ごたえがあるものの、この作品が特別際だっているわけではありません。何しろ殺陣シーンは2回しかないうえに、どちらも1対1の果たし合いなのだから、緊張感はある物の迫力は控えめなのはしかたないところでしょうか。

 それでもこの作品が面白いのは、情緒を前面に押し出すことなく、しっかりと根づいた生活感と、ほどほどのリアリティーを感じるからかな。布団の綿入れなんてまず再現しないであろうカットを、「綿入れ指導」までして行っているのは、蛇足を通り越して清々しさを感じてしまいます。とまあ無駄だと感じたシーンがほとんどなかったのは好感触。いくつか不自然さを挙げつらねるとしたら、月日がたっても清兵衛の月代とひげが剃られることも伸びることもなかったことと、朋江の元亭主で清兵衛に打ち据えられる甲田の左手薬指にどう見ても指輪にしか見えないものが光っていたことかな。浜本隆志著「指輪の文化史」によると、奈良時代から明治維新までの間、指輪が身につけられることはなかったそうです。とすると、維新も間近な幕末とはいえ、武士の指輪はやっぱりおかしいですね。また、最後のエピソードが蛇足っぽいかなとも思いますが、あれはナレーションを付けるためだったのかとも思われます。ナレーションも不要だといえばまあそれまでなんですが。ただし、エンディングの井上陽水は、せっかくの雰囲気を崩しています。これも物語が近代で終わるからそうしたのかと思えなくもないのですが、せっかくいかにも時代劇といったオープニングで始まったのですから、首尾一貫してほしかったですね。

 ※指輪に関する謎。監督が甲田豊太郎は伊達者なので指輪をさせよう、ということになったそうで、衣装部は役者のはずし忘れだと思って大慌てになったということです。伊達者=指輪という短絡思考には納得がいきません。髷・着物・帯・根付小物など、気を配るべきところはたくさんあるはず。ということで、些細な思いつきが場の雰囲気とリアリティーをぶちこわしてしまい、残念な結果と相成ってしまいました。巨匠山田洋次氏には、コメディー「お江戸でござる」に学んでいただきたい。

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