01/13 ココロって何だ?「玩具修理者」を観てくる。

 今日も今日とて心のすき間を埋める“何か”を探し求め、おもちゃ修理に勤しむ玩具修理者。とある暑い夏の昼下がり、立ち眩みをおこした少女は幼い弟を乗せた乳母車と共に急坂を転げ落ちる。死んでしまった弟を抱えあれこれと思索する少女は、その足をなんでも直す玩具修理者のもとへ向けた。やがて両親の死を境に姉弟は生き別れになるが、少女の気がかりは玩具修理者に「心」を願い忘れたことだった。というわけで、生き返った弟と自身も不思議な体験をした少女の物語。

 ストーリーはほぼ原作にそったものなのでそちらを読んでいただくとして、語り手の二人に兄弟愛を求め、さらに原作では描かれていなかった玩具修理者「ようぐそうとほうとふ」の目的を明確にすることにより、怪奇話よりもハートウォーミングなおとぎ話となりました。

 設定変更といえば、玩具修理者の家が何かの貯蔵タンクみたいな秘密基地にされてしまいましたが、不思議なノスタルジーを感じますね。これは古い家屋よりも秘密基地のほうが「子供の内緒の場所」が強調されているからでしょう。

 そして何よりも「少女」役の子役があまりにも自然な演技をしているのがすばらしかったよ。ようぐそうとほうとふに一生懸命修理内容を考え、お願いするシーン、これはもう演技じゃないですね、胸が痛みました。

 唯一残念というか、制作者の意図と私の感覚が合わなかったのが、姿月あさと演じるようぐそうとほうとふが、踊るぼろきれにしかみえなかったことかな。顔を見せないのも演出なんでしょうし、この誰がやってもいい役を元宝塚に演じさせるのはある意味凄いことなんですが。

 ただし、ようぐそうとほうとふの声を美輪明宏で統一したのはすばらしく効果的でした。さほど存在感のなかったおもちゃ博物館の玩具修理者「岩井」なんですが、ラストのセリフのみ美輪明宏の声をあてることで異常なほどのインパクトを与えています。

 よけいな情報をいっさい排除したこの映画は、元々が二人の会話と回想によってのみ語られる物語を見事に映像化しています。もっとも、このあたりは短編映画ならではですし、この好意的なレビューも短編小品ながら光るものがあるからなんですが。まあ、無駄なカットの多い日本映画の作り手にはぜひ見習ってほしいものですね。

 あ、モーフィングを多用したCGIとSFXはまあこんなもんでしょうのレベルです。映像化しにくい部分を子供が描いたようなクレヨン画に置き換えているのにはちょっとびっくりでしたが、まあこれもありでしょう。けっして環境がいいとはいえないイベント会場単館で2週間の上映だったので、早めのビデオ化を望むところです。

 さてさて、クトゥルー神話としてこの映画を見た場合、残念ながらその色合いはすっかり影を潜めてしまいました。これはホラー色を薄めた演出だけではなく、玩具修理者の得体の知れなさが原作ほどには不気味ではなかったからでしょう。

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