BEFORE GET IN SLEEP

9.17
昨夜は頭痛薬を飲んで眠った。
僕は滅多に薬を飲まない。医者にかかって薬をもらっても半分は捨ててしまう。自分で薬を飲むなどというのは、一年に一度以下の出来事だ。頭痛薬の効き目はてきめんで、あの事件以来、初めてぐっすり眠り、午前10時くらいに目覚めた。気分は随分、良くなっていた。が、自分が薬に頼ったということを思い出して、ちょっとショックを受けもした。
でも、いろんな人の話を聞いたり、メールを読んだりすると、あの事件以来、鬱に陥った日本人はかなり多いようだ。数日が過ぎて、あらためて無力感が襲ってくる頃あいでもある。ユダヤとアラブの、あるいはキリスト教とイスラム教の千年単位の争い。石油と武器をめぐるどす黒い権益。これから起こるであろう戦争の背後にはそれらが分かち難く、複雑に交差している。テロリストは解決不能の問題に、あらためて火をつけてみせただけにも見える。
事態が進む方向はもはや動かし難く、これから何カ月間、いや、何年間も僕達は戦争のニュースを見続けることになるだろう。だんだん、それにも慣れていってしまうのかもしれない。
僕は僕の仕事に戻らねばならない。自分が良いと信じられる音楽に最大限の貢献をすること。僕がこの人生においてできることは、それだけだ。ただし、僕は六十年代のロック幻想、音楽でも革命ができるというような幻想をたっぷり刷りこまれているアナクロ野郎でもある。そのアナクロぶりを大事にすべき時であるような気はする。
午後は原稿仕事の準備もあって、ずっとレコードを聞いていた。ボブ・ディランの新作が僕にカツを入れてくれた。忘れていた何かを思い出した気がした。チャーミングなエディットに心踊らせる時代は過ぎ去り、ギターを手に取ったり、ペンを手に取ったりする初期衝動の質が再び問われる時なのではないか? そんなことを思いながら、次にジム・オルークの新作を聞いたら、なんだか叫び出したくなってしまった。これこそロックそのもの。そして、僕の聞きたい音楽そのもの。
ジムは近年、僕が最も注目してきたミュージシャンだった(また、驚くべきことに、僕の仕事を世界で一番評価してくれたリスナーでもあった)。でも、このアルバムの彼は、想像をはるかに越えて素晴らしい。音楽家としてはもちろん、歌い手としても。
まだ白盤のCD-Rを繰り返し繰り返し聞いている。頭痛薬はもう必要なさそうだ。音楽から貰うエネルギー以上のものはない。そのことをあらためて実感することができて、涙が出るくらい嬉しかった。よし、僕も続かねば。

9.18
「SEA OF MEMORY」のサンプル盤が上がってきた。家のふたつのステレオセットで、それからラジカセで計三回聞いて、とても満足する。何より満足したのは自分でやったマスタリング。高音質のために贅を尽くしたプロ・スタジオでのマスタリングと単純比較はできないけれども、自分でやった分、細部の痒いところまで手が届くマスタリングができた。1年前にはここまで絶対に出来なかった。確実に自分の耳がより正確になり、補正技術が精密になったのが分かる。
急いで媒体向け資料作り。レーベルとしても久しぶりのフル・アルバムのリリースなので気分も高揚する。一方でPHATの11月に出るミニ・アルバムとそのリリース日近辺で行うライヴ・スケジュールに関してもいろいろ動く。東京ではある外タレのオープニングでクアトロでやる。さらに仙台と大阪をツアーもする。音が完成するより先に、こないだ興が乗って、僕が勝手にジャケット・デザインをしてしまったのだが、ダイスケも気に入ってくれて、GOサイン。物事はやっぱり形から入る方がさくさく進むのかも。

ところで、スターバックスで「SEVEN」の創刊号が売っていたので買ってみた。朝日新聞社が作った週間の新聞。スターバックスの他はツタヤでも売るそうだ。全ページカラーで100円てのは凄いな。しかし、創刊時にとんでもない大事件が起きてしまったのは、不幸だったかもしれない。新聞なのだからカヴァーストーリーにしないわけにはいかないが、「WAR その理由を知りたい」なんて表紙のコピーとは裏腹に、内容はどんなスポーツ新聞よりも薄い。こんな誌面だったら何一つ取材しなくたって作れる、というレベル。多くの有名人に人生の3大ニュースは?とアンケートしているのだが、つんくだけが「アメリカ同時多発テロ」と答えているのも苦笑を誘う。彼以外は事件の前にアンケートを返していたに違いなく、しかし、ひとり遅れて事件後に出したつんく(さすがミュージシャン!)のが入っているので、奇妙な並びになってしまっている。
まあ、それは仕方ないとしても、どうも読んでいるうちに腹立たしくなってきたのは、結局のところ、新聞なんて読まない女子供に一生懸命、レベルを合わせてるんですよ、みたいな意識がちらつく誌面作りだからだろう。「イスラム原理主義者はなぜアメリカが嫌いなの?」という記事は、「イスラエルを支持することが許せない」「サウンジアラビアに駐留していることが許せない」で終わっちゃう子供騙し。アメリカが過去、アラブあるいはイスラム世界に対して、どれだけの憎しみを買うことをしてきたのか、書いている記者だって知らないはずがなかろう。支持、駐留だけじゃなく、何かというとミサイルを打ちこみ、民間人を殺戮してきたから嫌いなのだ。
あるいは、カヴァーストーリーを締めくくるのは「イチロー、ヒッキー、A・猪木も大混乱」という見出し。在NYの芸能人の安否を記事にすること自体を不謹慎とか言うつもりはない。ツタヤで売るんだし。だが、「炎上するビル街を前に、この日ばかりは "燃える" 闘魂も洒落にならなかった」なんて書き方を、数千人が炎と瓦礫の下に取り残されている中でする記者というのは、一体、どういう神経をしているのだろう? あげく、「もちろん、芸能人が無事だったからと言って、万事OK!ではない。15日現在、24人の日本人がいまだ行方不明・・・」で記事は終わる。狂っているとしか思えない。しかし、これが朝日新聞の作った "NEWSPAPER OF SEVEN DAYS" なのだ。
しかも、胸クソが悪くなるのは、書いている記者はそもそも芸能人にも興味がないことがミエミエなことだ。猪木に取材して、彼らしい一言でも引き出そうというような、芸能番記者の気概みたいなものとも無縁。ただ、芸能人の名前を出せば、女子供(度々失礼。女性と若年者を差別するつもりでは使っていません)もニュースを読むんじゃないか? なるべく、文体も軽くしてやろう、シャレでも入れとこうか、みたいな意識だけで書いている。こんな子供騙し、今時、小学生だって騙されるどころか、ムカつくだろう。
ちなみに、HPも見てやろう(批判が集まっているかも?)と思い、http://www.a-seven.com/に行ってみたら、FILE NOT FOUND。どうなっているのやら。

今回の事件で、多くの人にハッキリ認識されたことのひとつは、テレビや新聞がいかに信頼できないメディアに成り下がっていたかということだったかもしれない。僕も新聞の仕事をしているひとりだから、あまり、そういうことは言いたくない気持ちもある。だが、恐ろしく低レベルの情報操作や意識操作があからさまに試みられるのをこの一週間で多くの人々が感知したはずだ。犯人捜査が至上の目的ならば、もっと情報が厳しくシャットアウトされていても、それはそれで人々は納得したことだろう。ところが、奇妙な情報だけがリークされ、しかし、ピッツバーグの墜落現場のように映っていいはずのものが映らない。にもかかわらず、既成のメディアは無自覚にアメリカから提供される映像や情報をたれ流すだけだった。
その一方で、ネット上にははるかに多くの情報があり、資料がある。テレビのニュースではなかなか伝えられないこと、例えば、NATO同盟国でもイタリアは多国籍軍に参加する意志がないことを示したり、ドイツやフランスも慎重な姿勢であったりすること、数カ月前にサウジアラビアの王族がタリバンに対し、ラディンをサウジアラビアに返すよう交渉していたこと、韓国の米大使館に大学生が平和を求めるデモをしたこと・・・などなどを僕はネット上で知った。昨今の中東情勢に関する自分の無知も短時間の検索でたくさん補うことができた。
あるいは、僕達は様々な土地にいる様々な個人の心のこもった文章を読むこともできる。例えば、在アフガニスタンの日本人国連職員のレポートを読んでみて欲しい。湾岸戦争の時と明らかに違うことは、今はインターネットがあるということだ。人々が繋がる、かつてない方法がここにはある。インターネットを介して、戦火の向こう側にも人がいることを人々はより身近に感じとるだろう。それでもミサイルの雨を降らすのか? NO!と思うならば、http://www.thepetitionsite.com/takeaction/224622495でアメリカ大統領に向けた嘆願書に署名することもできる。あらゆる国籍の人々の署名がそこには集まっている。
テロリスト達が予知されずに今回の計画を遂行できたのもインターネットを利用した新しいネットワークがあればこそだったという。いずれにしても、僕達はインターネットによって、かつてない時代に放りこまれたということだろう。ならば、それを平和のための武器にするしかないではないか。たぶん、たくさんの人が今、そう考えつつあるはずだ。
たくさんのどうでもいい情報で溢れ返っているのもインターネットではある。僕も毎日、一体、誰が読みに来ているのだろう?という中で、自分自身にとってしか意味のないようなことを厭きもせずに書き連ねているひとりだ。でも、そのことにだって、ちょっとは意味があったかもしれない。読みに来てくれて、本当にありがとう。今日はちょっと人が読みに来ることを考えて書いた。

9.19
早起きして原稿。が、終わらないうちに外出の時間。某レコード会社でミーティング。さらに都心でミーティングふたつ。たぶん、今月はこれから物凄い数のミーティングをこなすことになるだろう。
表参道でyamauchiのヴィデオ・クリップのコピーを大量に受け取って、それから渋谷までぷらぷら歩いて行った。こんな風に街を歩くなんて久しぶり。若い頃の僕は金はないが暇だけはあったので、ともかく街を歩き回っていた。いつかまた、暇にまかせてレコード屋や本屋を歩いてまわる日々が戻ってくるのだろうか?
タワーレコードでCDをゴソッと買う。J-POP売り場では畠山美由紀さんの東芝からのデビュー・シングルが大展開されていた。チーフのYさんを見つけて、「SEA OF MEMORY」のサンプル盤とyamauchiの「樹海」ヴィデオクリップを渡す。「SEA OF MEMORY」は展開してくれるということでありがたい。
スタジオに行って、ちょっと機材修理など。PHATのミックスはまだやる気にならず、思いついて、今、僕のまわりにいるミュージシャンの曲を1、2曲づつコンパイルしたCD-Rを作ってみた。yamauchi、PHAT、さかな、朝日美穂、アップルズ、タイスケマツオらの曲の中から僕が好きなものを選び、ひがしみえちゃんや先週会った新川くんのデモも入れてみた。CD-Rを焼いて聞いてみたら、新川くんのデモが個人的には一番ぐっと来る感じだったのに驚いた。
GM音源とカセットMTRしか持ってないという話だったけれど、それを逆手に生かしたオリジナルな音像。ちょっと60年代のスタジオワンの音を思い出す(彼自身はヴィンテージ・レゲエは全然聞いてないようだったが)。特に新しいことをやっているわけではないが、とても23歳とは思えない、スタンダード的な強さを持った音だ。ちょっと大滝詠一を思わすヴォーカル。ドラムやギターの演奏も素晴らしく、独特のメロウなグルーヴがある。彼のレコード作るのは楽しみだなあ。

ところで、BBSにリンクを残したアフガニスタン・アメリカンの作家からのメッセージについてだが、僕は最初、あのメッセージを英語のチェーンメールで受け取った。僕のところにも送られてくらいだから、アメリカ国内ではとてつもない量のチェーンメールになっているのではないかと思われる。デイジーワールドのHPに行ったら、ピーター・バラカンもラジオ番組で紹介していたと書いてあった。
ちなみに、僕への送り主は以前、AKGのC12Aを買ったサンフランシスコのプロオーディオ屋のオヤジ。が、彼は膨大な数のメールアドレスをBCC:ではなく、TO:のところに書いて送ってきた。ということは、僕のメールアドレスも膨大な数の人々に送られたことになる。おかげで、今や恐ろしい量の議論のメールがひっきりなしに僕のメールボックスを襲撃し続けている。とてもじゃないが、英語の議論をひとつひとつ読む気にはなれないし、メールボックスが一杯になって、重要なメールが受け取れなくなると困るので、どんどん捨てていくしかない。
他にも、米大統領への嘆願書に関しても、日本語のチェーンメールが来た。が、僕はもう嘆願書には署名してあったし、プロオーディオ屋のオヤジの件もあって、チェーンメールを先に送るのには抵抗を感じたので、HPにリンクを残すだけにした。アフガニスタン・アメリカンの作家からのメッセージに関しては、運良く日本語に訳してくださっている人のHPを見つけた。僕が見た時にはカウンターが100ぐらいだったが、今、見に行ったら1000を越えていたので嬉しかった。

それにしても、この一週間というもの、僕は恐ろしい量のテキストを書き続けているな。自分でも呆れるが、理由は今日、あらためて考えてみたら分かった。オレは怒っているのだ。怒りでもしないと鬱になりそうだから、よけい怒っているのかもしれない。そして、その怒りはかなりの部分、私憤に違いないとも思う。ワールド・トレード・センターという自分が身近にしていた場所がやられたからこそ、僕はこんなに怒り続けている。それは否定しない。あの大好きだったバーンズ&ノーブルの2Fのレコード屋もカフェももうこの世にないんだぜ。ロシアがチェチェンを迫害しすぎて、モスクワで数千人の死者が出るテロが起きたとしても、はるかに無関心だったろう。
私憤で書きなぐっているだけだから、別にたいした資料や情報や卓見を持っているわけでもない。ただ、どう考えてもおかしいことが、あのテロをきっかけに、押し進められるようとしている。だから、私憤の矛先はいつのまにかテロリストよりも、あたかもテロを口実にしたがごとく、動いていくおかしなことの方に向いてしまった。振り返ってみると、そういうことなのだろう。その意味では、アメリカは自らの首を締めているのだ。なぜ、それに気づかないのか。
世界市民は馬鹿ではない。このまま行けば、アメリカは確実に見放されていくはずだ。NATOの足並みが揃わないことも、その徴候だろう。アメリカの軍事力は怖い。経済制裁も怖い。だから従うというだけの国や民衆は作り出すことができるかもしれない。だが、アメリカの強さなどというのは、たったそれだけのことだ。そして、それと引き換えに何億人もの人々の憎しみを買い、自由の国を謳いながら、その実、テロに怯えて暮らさねばならない国になっていく。哀れなアメリカ。僕はアメリカの生み出してきた文化が好きだから、そうはなって欲しくないという思いも強くある。
夕方、電話があって、ニューヨークの山口泰が日本に戻ってくるということを聞いた。6月にニューヨークに行った時、山口はブリトニー・スピアーズのストリングス・セッションなどでも働いていて、ようやくニューヨークでの仕事も軌道に乗り出した感じだったのだが、こんな場所では暮らせない、ときっぱり判断したようだ。こうして人材の流出も始まっている。
たぶん、アメリカ人に理解し難い感覚のひとつは、戦争よりはマシ、という感覚であろう。貧困も恥辱も、もう一度、戦争になるよりはマシ、として甘んじて受ける人々。ブッシュは、あるいは彼を支持するアメリカ人の多くは、自国民がそんな卑屈に陥ることを許さないだろうが、しかし、それはアメリカが本土を占領されたこともなければ、古い内戦以外の戦場にしたこともないからだろう。戦争よりはマシ。日本人には過去の手痛い経験からそう思う人も少なくないはずだ。なのに、あたかもアメリカの犬のように尻尾を振って、一緒に戦争したがっている小泉政権。国際的評価どころか、アメリカと一緒に日本も見放されるかもしれない。

何日か前、僕はBBSに戦争を回避する知恵は、世界のこちら側よりも、むしろイスラム世界の人々の中から出てくると期待した方がいいのではないかということを書いた。その方法のひとつとして、例えば、タリバンがオサマ・ビン・ラディンをイスラム法廷にならば差し出すとして、サウジアラビアを中心とするイスラム諸国が彼をメッカに護送。イスラム聖職者によるイスラム法廷を開く。アメリカには証拠を提出してもらって、イスラム世界の責任においてラディンを裁く・・・というようなことを夢想した。
裁判は何年もかかり、結果、証拠不十分で無罪というような結果に終わるかもしれない。が、それでも裁判が終わるまでの間、戦争よりはマシ、の状態が続き、何万、何十万人もの命が救われるだろう。
そう思っていたら、今日、タス通信の伝えるニュースがあった。それによれば、タリバンはラディンの引き渡しを求めてやてきたパキスタンの政府代表団に対して、引き渡しの条件として、第三国におけるイスラム法廷での裁判を行うことを求めたという。さらに、経済制裁の解除、経済援助なども条件になっていたというが、さて、これらは拒否すべき条件だろうか?
一方で、ブッシュはラディンを捕らえるにあたっては、彼の生死は問わないと言っている。つまり、もはや裁判で裁くことなど、どうでもいいわけだ。どちらが野蛮このうえないかと言えば、アメリカというしかない。
もとより、アメリカで裁いて死刑にしたところで、ラディンはイスラム世界の英雄になるだけだ。イスラム法廷で裁いてこそ、テロリストを世界の敵として裁くことができる。そう考えれば、タリバンの出した条件を拒否する理由がどこかにあるだろうか? しかし、話し合いは不調ということで、パキスタンの代表団は去ってしまったようだ。何日でも、何カ月でも話し合いを続ければいいのに。少なくとも、それで戦争よりはマシ、の時間が作れるのだから。

9.20
昨日までは蒸し暑かったので、窓を開けて寝ていたら、急に気温が下がったようで、ちょっと風邪を引く。ヤな感じ。ほぼ終日、家にいて、ジミ〜に原稿書きと雑用。
そういえば、昨日、上のようなことを書いたら、今日はタリバンがラディンにアフガニスタンから自主退去勧告を出したというニュース。自主退去なんてことに現実性があるかどうかは別としても、タリバンが対外的に声明していることは筋としては外れていないわけで、なかなかのチェッジアップだと思う。アメリカがこれを無視して、アフガニスタンへの攻撃を始めたら、非難を浴びることは必至。「お前のうちにならず者がいる」「私たちも出て行ってくれるよう頼んでいるんですけれどね」「知ったことか、まずお前からズドン」ではどっちがならず者か分からないからね。イスラム諸国は反米で団結するだろうし、ヨーロッパ諸国もたやすくアメリカに追従することはないだろう。
湾岸戦争の時のような多国籍軍を作ることはすでに無理とは見られている。ヨーロッパでの世論調査でも、軍事行動による報復は必ずしも支持されず、ドイツでは支持は17%だったという報道もある。興味深いのは、ドイツやイタリアでは軍事行動の支持率が低く、イギリスやフランスでは高いらしいことで、これは第二次大戦の時の連合国は今も「正義の戦争」というものが有り得ると信じている人が多いことを示しているかもしれない。
そんな中、日本はといえば、アメリカ軍の後方での武器や弾薬や物資の補給のために自衛隊を派遣しようとしている。前線で引き金を引くか引かないかの差だけで、攻撃される側からすれば、それは立派な参戦になるだろう。もとより、日本の軍事力が外に出ていけば、アジア諸国からの反発も必至。ただ、アメリカに誉めてもらうことばかり考えているうちに、どういうことになっていくか? マレーシアの副首相がアメリカに対して、明確な証拠を得るまで軍事行動を自制するよう求めたというようなニュースを見ても、アメリカのご機嫌取るためなら法律ぐらいどんどん変えまっせ、で自主性も何もなく戦争に荷担しようとしている日本政府のバカさ加減にはうんざりさせられる。
ところで、あしたは芝浦のスタジオ・セント・ギガというころでPHATのワンマン。あさってはオジャス・ラウンジでyamauchiがライヴ(共演コールドフィート)。24日にもyamauchiは青山CAYでTHE ITさん企画の「KNOW FUTURE」のイヴェントに出演。久しぶりにライヴの現場が続くのは、リフレッシュするのに良い機会かも。

9.21
早起きして原稿。ディランの新作について書いていたら、自分でも驚くほど力が入っていた。
僕は60年代には遅れてきたので、ディラン本人よりもディランズ・チルドレンの音楽の方を身近にして育った。ディランとジーン・クラークのどっちに思い入れがあるかといえば、ジーン・クラークだった(同じように、ビートルズとXTCのどっちに思い入れがあるかといえばXTCだ)。
だが、ディラン60歳のこの新作には強烈に惹きつけられた。70年代以降のディランの音楽に僕はずっと、ある種のとっつきにくさを感じてきた.そのとっつきにくさは、ひょっとして、ディランという人は、この歌をこうやって歌うことに対して、彼自身、不安や戸惑いを感じながら歌っているんじゃないか、という感覚と表裏一体になっているものだった(遡って聞いた60年代の作品にはそういうことは感じない)。なぜだかはよく分からない。だが、いつも心の奥底でそう感じてきたのだ。
しかし、この新作には僕はすっと吸い込まれてしまった。気心知れたバック・バンドとともに作ったセルフプロデュース作。ダニエル・ラノワと作った前作も素晴らしかったが、しかし、あれはラノワの魔術的なプロデュースの方に耳を奪われてしまうアルバムでもあった。それに対して、この新作は自然体。ただ、新しく出来た曲をマイクに向かって吹き込んだだけ(盤面にプリントされたRCAのリボン・マイクをあしらったアイコンが洒落ている)。それでいて、こんな音楽的なまろみが優しく滲み出て来るディランのアルバムはついぞ聞いたことがなかった。
先の来日公演を僕は見ていないのだが、ピーター・バラカンに聞いたら、あの時はメンバーの力量をあまり生かしていなかったように見えた、とのこと。でも、ピーターもこの新作ではバック・バンドの上手さに痺れた、と言っていた。そうだな、こんなバンドをディランが得たのは、ザ・バンドの時以来かもしれない。
午後は朝日新聞試聴室選考会議。もちろん、ボブ・ディランを推す。ピーターと例のアフガニスタン・アメリカンの作家の手紙について話す。「SEA OF MEMORY」のプロモーションのため、幾つかの媒体を回ったりした後、夕方、芝浦のスタジオ・セント・ギガへ。ゆりかもめに乗って向かうが、雨が激しくなり、湾岸はなんだか淋しいムード。場所が分からず、しばらく迷う。
着いた場所は、スタンディングなら300人は入りそうな会場。雑誌「OUT THERE」主催の「TOKYO JAZZ BEYOND」という企画で、出演はPHATのみ。つまり実質ワンマン。このロケーションとこの天候。チケットは3000円。これは入りが厳しいだろうなあ、と心配する。リハを終えたメンバーも今日は寒いかも、と思っていたようだが、蓋を開けてみたら、まずまずの賑い。ステージ前に椅子を出してあったので、緩く埋まった感じにはなる。しかも、驚くべきは女性客の多さ。「OUT THERE」というのは硬派のジャズ雑誌なので、普段、ピットインに通い詰めているような男性客が腕組みして聞いていたりするかと思いきや、どうも、そういう姿が見かけられない。年齢層の若さからしてもPHATの客で、その80%が女性。いつのまに、こんなことになっていたのやら。
ファースト・セットは最近、レコーディングした曲を3人でタイトに演奏。セカンド・セットはアルト・サックスとパーカッションふたりをゲストに加えた6人編成でのフリー・ジャム。1時間で1曲。面白かった。ライターの松永記代美さんが来てくれていたので、久しぶりにお喋りしながら、一緒に帰る。彼女とはめちゃめちゃ古い友人で、いつ知り合ったっけ?と思い出してみたら、僕が22歳くらいの頃か。彼女は透き通るような美少女だったなあ。お互い、二十年間、何してきたんだろうねえ、と不思議な感覚に囚われながら話す。


9.22
スタジオ行って、PHATのナナヨンの続き。もう何日、この曲やってるんだろ。PRO TOOLSでのミックスというのは、エディットの部分とミックスの部分があるわけで、まだエディットが終わっていないので、最終的なミックス・バランスが考えられないでいる。
深夜、青山のオジャス・ラウンジでyamauchiのライヴ。DJブースでカラオケのCDをかけながら歌う。さらにピアノに向かって1曲。ほとんど新曲なのに驚く。
1時すぎに終わったので、西麻布まで歩いて降りていき、BULLETでやっていたsasakidelic氏のイヴェント、「LION3」に。ダブマスターXが回していた。BULLETは寝そべることができるスペースなので、まったりして、半分うとうとしながら聞いてしまう。が、「後で回しませんか?」とsasakidelic氏。レコード持ってないが、バッグの中にあったCD-RだけでDJしてしまった。明け方、sasakidelic氏に車で送ってもらって帰宅。

9.23
午後遅くまで寝過ごす。スタジオ行って、またナナヨンの続き。エフェクト・ループの組み方が複雑で訳分からなくなってきたので、全部、リレコして、オーディオ・ミックスのみの状態に戻す。これでようやくミックスに集中できそう。朝日がやってきて、来週の青柳くんとのセッションの打ち合わせ。アレンジ作業をすべきかと思ったが、先日、さらっと作ったデモをふたりで聞き返してみたら、結構、良い感じ。それをそのまま青柳くんに送るということであっさり終了。