OWNER'SLOG

10.20
ゆうべは興奮して4時まで寝つけませんでした。悔しいすね、勝負に負けるのは。でも、最高の負けっぷりではあったかと。
一夜明けて、真っ先にやったのはピキヌー行って、ママに報告。来年のための秘策などを授けられたり。
ディストリビューターからの電話で、リミエキ「カンフー・ガール」をやりくりして納品。もう、うちにも1枚もなくなってしまった。
夕方よりスタジオ行って、ようやく素材が揃ったとある曲のリミックスなど。

10.21
カレーの材料が余っているので、昼はカレー作ってみたりしつつ、あれこれ雑務。小野島大さんと密談三回目(そろそろ企画は公か?)。夕方より、とあるお仕事用の歌入れ初日。

10.22
もろもろ雑務多し。午後にスタジオで藤原大輔とミーティング。シリアスな音楽的方向性についての話。ジェフ・ミルズと一緒にやるようになって、ダイチャンの意識、構想もいろいろ変わりつつあり、11月予定だったaupeのマキシはちょっと延期です。僕もダイチャンが帰った後、aupeの曲を今までとは違う考え方でトライアル・ミックス。
夕方より、とあるお仕事用の歌入れ二日目。今までやったことのないタイプのものなので、いろいろ学習しつつ。歌謡曲感というのは、EQ的にはどこで出るのか、というのが少し分かった。

10.23
朝日新聞試聴室選考会議。そのまま銀座でもうひとつミーティング。渋谷行って、ライヴハウスにリミエキのフライヤー蒔き。
渋谷FM行って、選曲家、立石の「音選協アワー」出演に付き添い。sasakidelicさんもやってくるが、立石は生放送中にもデジカメであれこれ撮影する余裕をかまし、渋い選曲で局のスタッフを驚かし、僕達は見守っていれば良いだけでした。ムルギーが休みだったので、3人でパク森のカレー。
クラブ・エイジア行って、LOVADELICのライヴを観た後、さらにフライヤー蒔き。それからスタジオ行って、昨日のaupeの曲のミックス。だいぶ自分のやりたいことが見えてきた。アナログ卓をライヴ感覚で操作した「手」ミックスをプロ・トゥールズにリレコしてやってみることにする。あしたのURのパーティーでジェフ・ミルズやマッド・マイクに渡せるかな。

10.24
先々週の日誌で僕が書いたことについて、とある人からメールをもらいました。以下に(無断)引用します(文体で差出人を推察できる人もいるかもしれませんが、以下のテキストに関するすべての責任は僕にあります)。

(書き出しのみ省略)
>電話の主は東芝EMIのHという男で、コバコのイヴェントの場合、ギャラは当日精算>
>が普通だが、質問してようやく「あす電話します」ということだったので、電話を>待
>ったが電話なし。せっかくの機会なので、その理由をHに問うと、彼はこういうこ>と
>を言ったのだ。
>自分はイヴェントで人にギャラを払った経験がない(!)。
>今回のイヴェントは最初から赤字だと思っていたので、ハコとチャージバックなど>の
>取り決めはしていない。赤字でもゼロにして欲しいということだけ(!!)。
>なので、出演者にもギャラが発生するとは思っていなかった(!!!)。

なるほど。
信じられないほどの数限りないイベントを手打っている僕にはいろいろな感慨がヨギります。
もちろん「手打っている」」とは持ち出しが多いということであります。
若手には支払えないことも多いですが。
赤字であることと、ギャランティ体制には、当たり前ですが何の関係もありません。

さて、現状のイベント、ライブの問題点を挙げさせていただきましょう。
ライブには
1、大手メーカーなどのバックアップによるプロモイベント
2、自主イベント
のふたつがありますが、これにかかわる
アーティスト、CDメーカー、小屋&ライブハウス、マネージメントオフィス、
ミュージッシャン、イベンター、PA、照明を同じ音楽業界の人間と考えれば、
小屋&クラブ、ライブハウス、イベンター、PA、照明は当然のこととして、客からの報酬を分配するわけです。
また、CDメーカーの人間は給料をもらって、その場にかかわるわけです。

これに比して、同じ音楽の場を発生させ、客からの報酬を得るきっかけを作っている
ライブするアーティスト、ミュージッシャンは、この構造の中で、すべてのリスクをしょわされている存在といえます。
主演アーティストは、自分のCDのプロモーションとして、
また助演アーティストはその応援としての名目で。
ミュージッシャンは報酬を得る場合もありますが。リスクには常にさらされています。

しかし、考えてみれば、音楽がなければ、その日その日のクラブ、ライブハウスの経済基盤から、PA、照明などのスタッフの生活基盤も生まれないのは当然でしょう?
H氏のような発言は、ギリギリまで膨らみ続けたミュージッシャンにリスクをおしつける業界の体質の極北にたっているといえるでしょう。

僕は200回以上の手打ちイベントをやってきてはっきりいえます。
1、自分は確かに自分の音楽的目的や、娯楽のためにイベントをやってきたとはいえる。利益は全くあがっていない。
(自分のイベントは趣味性が強く、プロモーション目的ではない。)
2、しかし、イベントの金銭利益は生じているし、多額に動いている。数多くのスペースやスタッフの生活のタシになったことは間違いない。
考えてみると、それは大きくいえば、業界の人間のために無償労働していることになる。

当然のことながら、こういう状況が正しいとは全く思えません。本来、リスクは共同負担すべきだし、
その上でメーカーなどは、音楽企業たるもの、常に音楽人に対する敬意をかかしてはならず、援助するのは当然の義務であります。

1、大手メーカーなどのバックアップによるプロモイベント
は、CD収益の減少により、大きな曲がり角を迎えているのでしょう。
今後は、潤沢なコンサート予算など望むべくもなく、イベントは音楽のギリギリの存在理由を問う場になっていくと思います。
その状況を逆手に見ることで、H氏の迷走した発言になったといえます。
「イヴェントで人にギャラを払った経験がない」と。

H氏の発言は、越えてはならないボーダーを越え、音楽関係者として絶対にはずしてはならないモラルを捨て去ったと思います。
グラウンドゼロであります。


これを読んで、あらためて思ったのは、僕がライヴやイヴェントをミュージシャンに近い立場から見るようになったのは、ごく最近に過ぎないということでした。差出人とは二十年来の知己ですが、彼が200回ものイヴェントを企てるのを、僕はといえば、音楽業界の中で最もリスクを負うことなく生きている評論家という立場から見てきたわけです(ついこないだまでは)。タダでレコードを送ってもらい、大きな顔でライヴに入れてもらう人間が、ミュージシャンの負っているリスクを認識するのは難しい。しかし、見て見ぬふりをしてきたところも少なからずあるだろう、とは思わされました。
それと、ここで明確になった問題点は
ライブには
1、大手メーカーなどのバックアップによるプロモイベント
2、自主イベント
のふたつがあります
と彼は書いてるけれども、そのふたつが昨今はレコード会社やライヴハウスに都合良く混同される傾向にあるということではないかと思います。実のところ、僕は「音楽企業たるもの、常に音楽人に対する敬意をかかしてはならず、援助するのは当然の義務」とまでは思いません。援助なんかなくたって、自分達で採算が取れる形でやる、というところでやろうとしているわけだし。
しかし、ドロボーされる筋合いはない。
件のイヴェントは、メイン・アクトとなるアーティストのレコ発として、レコード会社が主催したものですから、その意味では「大手メーカーなどのバックアップによるプロモイベント」であるべきでした。この場合は、当然ながら、出演を依頼するにあたって、主催者たるレコード会社があらかじめギャランティーを用意しておくべきでしょう。人に仕事を頼むわけですから。
ところが、そのギャランティーを「自主イヴェント」のように、ハコからのバックをベースに考える、という時点で、欺瞞が生じているわけです。レコード会社はリスクを引き受けず、それをミュージシャンに転嫁するという。
それでも、多くの「自主イヴェント」に見られるようなフェアな分配がされるならば、まだ問題は少なかったかもしれません。が、それすらも考えられていない。収支はライヴハウスとレコード会社が握り、ミュージシャンへの分配の必要性など思いもよらずにいたと主催者が平然と言ってのけるのですから、言葉を失います。
少なくとも、件のイヴェントでは、このサイト内のWEBページでチケットの予約を10枚以上は受け付けました。全体の集客数から見て、これはかなりの貢献でもあったはずです。一方、楽器レンタルなどは一切していませんでしたから、百歩譲っても、自分達が努力して得たお客さんに支払ってもらったチャージの中から、何十パーセントかのバックはあって然るべきだったでしょう。
ところが、チャージバックはゼロだったと言う。さらに、そもそも、そういう取り決めだった、だから、キミ達のギャラなどあるはずはない。と東芝EMI林は言う。では、お客さんが支払ったチャージはどこへ行ってしまったのか? 今回はイヴェンターなどは絡んでいませんから、ライヴハウスか、レコード会社の利益のために、どこかで償却されてしまったということでしょう。それはドロボーではないのか?
しかし、遅れて、こういう世界に入ってきた僕には、この国においては、ミュージシャンの側もそんな理不尽なリスクを負わされる構造に慣らされてしまっているのではないか?と思えるところがあります。
僕はミュージシャンではないから、ドロボーされた金は取り返しに行きます。幸いなことに、あるいはズルイことに、かもしれませんが、レコード会社に対しては、僕は評論家としての強い立場も持ちます。が、売れることによってしか、この構造から抜け出せる図を描けないミュージシャンには、それは難しいでしょう。この一件で、日本にもミュージシャン・ユニオンを作ろうとする人はいないのだろうか?とも考えました。英米のようにミュージシャン・ユニオンがあったら、お客さんが支払ったライヴ・チャージがまったくミュージシャンに支払われないシステムになっているイヴェントなど、許されないはずです。
しかし、売れたミュージシャンは昨日までの仲間を顧みないし、多くの売れないミュージシャンは半分、諦めの中にいるように見える。日本はやはりユニオンには不向きな風土なのでしょう。
問題はお客の数ではないことは、コバコのライヴハウスが年々、増えているところからも明らかです。ビジネスは成立しているのです。となれば問題は、その収益を分配する過程に、この金はドロボーしてもいい、と考える人間がいるかいないか、であるはずです。しかしながら、今回、呆れて物も言えなかったのは、それをドロボーだとも思わずにドロボーしていく人間も生まれつつあるということです。それは教育の問題であるかもしれない。そして、その教育の欠如は恐ろしい損失をもたらすでしょう。レコード会社に、ひいては音楽業界全体に。彼のメールが言うように「絶対にはずしてはならないモラルを捨て去った」業界になど、ミュージシャンもリスナーも着いていくはずはないのですから。
「ありがとうとはいえません」とは誰に向けられるべき言葉なのか?と思います。

10.25
昨日の無断引用は、メールで承諾をもらいました。大フィーチュアされて嬉しい、ということだったので、差出人の名前も明かして差し支えないようですが、あえて、このままにしておきましょう。実は件のイヴェント会場にもいた、僕などよりはるかに著名な方ですが。
さて、昨日の日誌を書いた後に、ひとつ、問題をクリアーにする方法を考えてみました。ライヴハウスに足を運ぶお客さんは、多くの場合、チケットとドリンク代を支払います。中にはチケットにワンドリンクが含まれている場合もありますが。
しかし、このシステムではミュージシャンに支払われるべきライヴ・チャージが幾らなのか、お客さんには分かりません。
実際には、お客さんは次の三つを支払っているはずです。
1. 入場料
2. ライヴ・チャージ
3. ドリンク代
そして、このうちのライヴ・チャージは、本来、ミュージシャンに還元されるべきものです。ステージ制作費用として差し引かれる部分はあるとしても。
日本にもミュージシャン・ユニオンがあったと仮定すると、まずユニオンが求めるべきものは、次の二点でしょう。
1. 音楽イヴェントの主催者はお客さんに対して、入場料、ライヴ・チャージ、ドリンク代がそれぞれ幾らかを明示して、チケットを売らねばならない。
2. お客さんがライヴ・チャージとして支払ったお金は、ミュージシャン・サイドに支払われねばならない。
この場合、ミュージシャン・サイドは受け取ったライヴ・チャージの中から、ステージ制作に必要だったPAや照明、楽器レンタルなどの費用を主催者側に支払い、差額精算という形になるかもしれません。が、その場合でも最低保証として、ライヴ・チャージの70%はミュージシャン・サイドに支払われなければいけない(30%越えるステージ制作費用をミュージシャンに要求してはならない)、というようなラインを設定する。
実のところ、これはさして無理な求めではありません。お客さんに対して入場料とライヴ・チャージを別に明示はしていないものの、システムとしては、上記に近いフェアな形になっているライヴハウスを僕は知っています。例えば、僕の知る幾つかの新しいライヴハウスでは、ライヴハウス側は入場料とドリンク代を一定に決めてあります。入場料1000円、ドリンク代500円というように。ということは、その日のライヴが1ドリンク付きで2800円だったとしたら、ライヴ・チャージは1300円となるわけです。とあるライヴハウスではこのライヴ・チャージは100%バックです。
ならば、最初から入場料、ドリンク代、ライヴ・チャージを明示して、告知などをすれば、お客さんの側も自分が観に来たミュージシャンに幾ら支払っているかが分かりますね。こうした形を自主イヴェントでは取っていくというのは、面白いかもしれません。
さて、こんなことばかり書いている間に、怒涛の週末が進行中なのですが、まあ、それはまた明日にでも。

10.26
と昨日は思ったが、そうは行きませんでした。というのは、なんとスピードスター・ミュージックから連絡を頂きました。
なぜ、急に連絡があったかといえば、そりゃあ、このページの影響力と考えていいでしょうね。書いてみるものだ。といっても、読んでいる方には事情がまったく分からないと思いますので、2年前の浜崎貴司イヴェント@リキッドルームについて、あらためて、ご説明差し上げましょう。

このイヴェントは、当時、浜崎貴司さんのマネージャーであったIさんから、浜崎さんが選んだアーティストを集めてイヴェントをやりたい、という誘いを頂いて、さかなが出演したものでした。が、そのイヴェントの日、ドラムのPOP鈴木くんは別のライヴがあって、出演が不可能でした。そのため、フリーボのリズム・セクションを借りて、ワンナイト・オンリーの4ピース・バンドでステージを行ったのです。観た人もいるかな?
他にはクラムボンやロレッタセコハン、ダウニーなどが出て、音楽的にはとても面白いイヴェントでした。集客はちょっと寂しかった・・・と書くと、先のNESTのイヴェントと非常に似ていることに気付きますね。
この時、出演依頼の窓口になったのは僕です。依頼の時点ではギャラの話はありませんでした。が、都内のイヴェントでは、事前にギャラの話がないことも多いです。しかし、お客さんにチケットを売るイヴェントに出演依頼を受けたのですから、ノーギャラということはない、とは考えますね。少なくとも、フェアな分配はされるであろうと。企画者はミュージシャンで、彼が選んだミュージシャンを集めて、イヴェントを打つというのですから。
ところが、後にも先にもギャラの話はありませんでした。リキッドルームくらいのハコになると、ギャラは当日精算ということは少なく、請求書を出さねばならなかったりして、支払いは1、2カ月後ということもあります。が、待てど暮らせど、何の連絡もない。
ご存じの方もいるかと思いますが、さかなはさかなで、彼らが選んだミュージシャンを呼んだイヴェントをMANDA-LA2で定期的に打っています。お客さんはほとんどの場合、さかなのファンが大半を占めますが、さかなのイヴェントではチャージバックを対バンとフェアに割ります。たいてい1バンド、5万円以上にはなっているでしょう。
そういうイヴェントを自分達で打っているさかなの側からしたら、ライヴが終わったら「お疲れ様」で終わり。ギャラの話も、収支の説明も何もないままの浜崎貴司さんのイヴェントはアンフェアこのうえない。ミュージシャンの風上にも置けないものになります。

今日、連絡をもらって分かったことですが、Iさんはその後、スピードスター・ミュージックを辞められたそうです。が、現在の浜崎さんのマネージャー、SさんがIさんに確認したところ、出演依頼をするにあたって、Iさんは僕に「ノーギャラで」と告げたということ。
嘘つくんじゃねえよ、てめえ。


口汚くなってスミマセン。
ノーギャラである理由は、そのイヴェントは出演アーティストにとってもプロモーションになるから、ということだったそうです。そのプロモーションになる理由のひとつは、雑誌「GB」にレポートが載ることだったそうです。そんな話、今日、初めて聞きましたけれどね。一体、どんな誌面が出たのでしょう? ライターは誰だったんでしょう? 雑誌は送られてこなかったので知りません(バックナンバー持っている方がいたら、ご連絡を。さかな+フリーボの写真があったら貴重です)。
プロモ・ライヴにノーギャラで出演することに誘うのだったら、プロモ内容を事前にハッキリ説明し、事後にはこのような形になりました、というフォローをするのが当然の義務です。万が一つの可能性として、僕が「プロモライヴとしてノーギャラで」というIさんの言葉を聞き逃したのだとしても、その義務を果たしていないのですから、浜崎貴司サイドはプロモ・ライヴの主催者としても失格です。
しかも、そのイヴェントはフリー・ライヴではありません。プロモと言いつつ、チケットを売っているイヴェントです。もしもリキッドルームが満杯であったら、相当の収益が出たはずです。収益がありさえすれば、出演者数が多いとは言っても、分配は可能です。ところが、最初からスピードスター・ミュージックは「ノーギャラで」と言ったという。ということは、興業が成功した暁には、収益を一人取りするつもりだったわけですね。
てめえら、ドロボーじゃん、それ。

再び口汚くなってスミマセン。
現実にはイヴェントは赤字だったでのしょう。やる前から赤字必至だったのかもしれない。しかし、24日のメールの差出人も言っているように「赤字であることと、ギャランティ体制には、当たり前ですが何の関係もありません」。
収益が出る可能性のあるイヴェントに「ノーギャラ」で出演依頼するというのは、どう考えても、整合性がない。集客何人以下の場合は申し訳ないが、ギャラが発生しません、というような条件を出すのなら、まだ分かりますが。

僕の記憶に基づくならば、いずれにしろ、Iさんはギャラについて触れたことがなかった。先のNESTのイヴェントと並べてみれば、その理由もほぼ明らかです。赤字になりそうだから、曖昧にしておいた。それしかないでしょう。単純にお金の話は面倒臭かったということもありそうです。POP鈴木くんが欠場しなければならなかったため、さかなは出演依頼に即答はしていません。二度、三度の電話をもらった後にOKしています。出演を取りつけることの方が先で、そこにネガティヴな要素を持ちこむギャラの話を後にしてしまった。後にしたきり、ケツまくった。前後の事情を調査してくださったSさんも、前任者のそうしたズサンさがトラブルを生んだのであろう、とはしています。
こうして見てくると、先の東芝EMI仕切りのイヴェントと、このスピードスター・ミュージック仕切りのイヴェントはほぼ同じ構造をしています。後者の方がややマシなのは、さかな単体では集められない観客数の前では演奏ができ、ライヴのストリーミング放送も行われ(これは担当者が僕のかつての仕事仲間だったこともあり、事前に把握していました)、プロモーションになったとは認識できること。しかし、後者の方が決定的にダメなのは、2年以上もギャラの話を放置し、そのことの非は認めても、結局、何も支払おうとはしないことです。
残念ながら、何かしらの契約に基づいて当日の演奏をしたわけではないので、払わないよ、と言われれば、それまでのギャラでしょう。
どうせ、もらったって雀の涙。オレのギャラだったら、諦めますわ。僕は二十年以上、フリーランスで仕事をしてきたので、払ってもらえなかったギャラは、思い起こせば、両手両足でも数え切れない(ギャラを支払わなかった相手は忘れませんし、二度と仕事しませんが)。
だがな、オレのギャラじゃね〜んだよ、これは。

失礼。ていねいに言えば、つまり、僕が忘れればいいということではないわけです。
当日、演奏した4人対して、浜崎貴司さんとスピードスター・ミュージックは借りがあります。Sさんの調査に感謝はするとしても、そもそもの借りを返すまでは、あなた達はアンフェアであり続けます。少なくとも、僕はそう考えます。折に触れて、思い出してもみるでしょう。
先の東芝EMI仕切りのイヴェントと、このスピードスター・ミュージック仕切りのイヴェントはほぼ同じ構造をしている、ということは、多分、こういう事例はそこらじゅうにあるものと思われます。赤字必至だから全員ノーギャラで考えておこう、プロモになるというエクスキューズでいいだろう、というようなメジャー・レーベル絡みのイヴェントが。でも、赤字赤字といいつつ、自分のところのアーティストのサポート・ミュージシャン代や楽器レンタル費用なども、全体の経費に含めたりしていてね(だから収支明細は明かせない)。
そういうイヴェントを少しは減らすことが出来たら、口汚いことを書いてきた甲斐もあるというものだけれど、どうでしょうね? イヴェントを主催するのは大変です。多くの主催者は四苦八苦して、フェアなギャラの分配を心がけながら、やっています。そういう心あるイヴェント主催者に対するプレッシャーを増やしただけで、「絶対にはずしてはならないモラルを捨て去った」人々には、何の効果もなかったりして・・・と考えると、暗〜い気持ちになりますが。
というわけで、怒涛の週末報告は週明けかな。