09.22 たっぷり寝坊。午後は原稿書き。夕方、スタジオに行って、久しぶりのメンテ。NEOTEK卓を一度どけて、卓の後ろ側のラックの物の配置を変え、ワイアヤリングをいちからやりなおす。卓を戻す時に腰を痛める。60キロくらいあるからなあ、コレ。半ぎっくり腰か。あぶない、あぶない。
ルーティングも新しくしたりして、なんやかんややっていたら、軽く明け方に。本当はミックスしようと思った曲があったのだが。
09.23原稿書きなどした後、スタジオに。今日は「BEAT SOUND」という雑誌の企画で和田博巳さんと対談する。そう、はちみつぱいのベーシストだった、あの和田さんです。
祐天寺駅まで取材陣一行、4人をお迎えに。あ、この「BEAT SOUND」の創刊号には、僕の自宅のベッドルームのステレオが載っています。和田さんと会うのはいつ以来だろう? ヒックスヴィルのクアトロの打ち上げ? だとしたら、5年ぶりくらいか?
スタジオでPHATや朝日美穂など、僕の制作作品を少し聞いてもらった後、さて対談。気がついたら、4時間、雑談していました。こんなのテープに録っても、編集の人は記事に出来るのだろうか? 話は20年以上の時間を越えて、ポンポン飛びまくっていたから。
しかし、こんなに長い時間、和田さんと話すのは、多分、22年ぶりくらい。初対面の時以来です。和田さんと僕が初めて会ったのは、和田さんが伝説の和田珈琲店をたたんで、札幌から東京に出てきた直後。今日、和田さんが語ったことによれば、東京に来て最初にやりたかったのが、「STEREO SOUND」の編集部に行くことと、高橋健太郎に会うことだったそう。しかし、当時の僕はプレイヤー編集部で契約で働きつつ、インタヴューやレヴューの原稿を書き始めた頃。なぜ、そんな駆け出しライターに会いたかったのか? 知り合いのレコード会社ディレクターに「キミに会いたがっている人がいる」と言われて、六本木のコージーコーナーに出掛けて行った時もいぶかしく思ったものでした。
で、その22年くらい前、六本木の居酒屋で多分、数時間話したでしょう。和田さんは音楽ライター志望だという小生意気な大学生を連れてきたので、彼も一緒に。憶えているのは、彼が最初に元オハイオ・プレイヤーズのJUNIEのソロ・アルバムの話をふって(僕がどこかにそのレヴューを書いたことがあって、ふたりはそれを読んでいた)、そこからパーラメント〜ファンカデリックの話などに雪崩こんでいったのかな。和田さんもそんな22年前の会話をよく憶えていて、「そう、それで最後は"マイルス・アヘッド"まで行ったんだよ。クールとは?ってな話で」。だったのか、そのへんは僕はもう酔っ払っていたかも。
それから、数カ月後、Kくんというその大学生が「バンドを結成したので、ライヴを観に来てください」という招待状をくれたのだが、僕は観に行かなかった。バンドのイニシャルがPとFだったので、あ〜、あのファンク好きの彼ね、やっぱりパーラメント〜ファンカデリックみたいなバンドなんだろうか?と思っていたりして(後で、知り合いに聞いた話によると、小西くんは僕が観に行かなかったのをかなり根に持っていたようだ)。
なので、僕はピチカート・ファイヴの最初のライヴは見逃したのでした。2度目のは見たけれど。見終って楽屋行って、「ファンク・バンドじゃないじゃん、キミのバンド」と言ったはず。
思い返せば、あれはちょうど、僕が自分で音楽をやるのをやめた頃でもあった。桑田佳祐や忌野清志郎を筆頭に、昨日まで隣にいたような人達の中から、がんがん成功していく人達が出始めて。そうそう、思い出したが、その少し前に大学のクラブに戻って、もう一度だけギター抱えて、ポップ・バンドをやろうとして、2、3回だけリハしたことがあったのだが、その時のヴォーカルが小林明子で、ピアノが国分弘子だった。で、彼女達もその後、ど〜んと売れたりして。和田さんと小西くんと最初に会った時には、僕はひとりでニューウェイヴ宅録をやっていたのを憶えているが、直後にもうやめよう、と機材を全部、押入れにしまってしまった。だから、和田さんは僕がこんなに楽器や機材に詳しい人間だとは夢にも思っていなかったそうだ。細野晴臣〜あがた森魚〜ヒックスヴィルなどのマネージメントを手掛けた和田さんとは、たくさんの場所で会ったけれども、確かにオーディオ話なんて、今日までしたことがなかったかもしれない。
そんな僕がOTOや久保田麻琴や本田ゆかに励まされて、もう一度、楽器や機材に触れるようになり、気がつけば、ERROR RECORDINGを作り、MEMORY LABを興し、自分でも本当に不思議に思うのだが、今ではマスタリングなんて仕事までするようになるまでを半生記を、オーディオ〜プロ・オーディオのうんちくを随所に散りばめつつ、和田さんにぶちまけたのですから、話は4時間あったって足りるはずがない。和田さんの話ももっと聞きたかったし。でも、楽しかった〜。本当はあのまま、朝まで飲みたかったな〜。思うに、和田さんは和田さんで相当に流転の人生を歩んでいるはずですが、どうして、いつもあんなに柔らかく、にこやかなのでしょう? 最高にスウィートな人です。
09.24腰痛。
09.25今週末はツアーだというのに。
09.26原稿含め、もろもろ終らず。
09.27調子悪〜。でも、早起きしてレコ選び。家のレコードだけでは足りない感じだったので、スタジオに行って、さらにレコ選び。あれやこれや雑務などもした後、レコードバッグはキャスターで引き摺り、東京駅に。車中爆睡で、気がつくと京都。京都駅でリミエキ飯田くんとミーティング。お互いハードな時ですが、彼のバイタリティーにはいつも感服する。三条方面に車で送ってもらい、パーク・カフェへ。エマーソン北村のライヴ。マブチくん、笹岡さんなど知り合い多数。パーク・カフェのスタッフの女の子ふたりも前に大阪のDAWNで会っていたので、非常に和む。小さなカフェだが、パスタがサイコ〜。ワイン二杯とビール一杯と、北村極楽オルガンでアッという間にヘロヘロに。2セット目の途中で帰る。今回も山科の竹林の中の部屋を借りられてラッキー。自宅よりぐっすり寝たりして。
09.28昨日、北村くんのバンに重いレコードバッグを乗せてしまったので、今日はラクチン。ゆっくり大阪に向かう。DAWNでさかな、エマーソン北村ほかのライヴ。たぶん、7年ぶりくらいだろうさかなとエマーソン北村が一緒に演奏するシーンまで見られたりして(しかも「ロッキンチェア」までやったりして)、とても良いイヴェントだったんじゃないでしょうか? とはいえ、3時入りで終了が4時。途中、ホテルの部屋で休んだりもしましたが、最後はヘロヘロの長丁場でした。僕は2セットDJを。ニューウェイヴ+ダブ+ディスコみたいな。「踊りにくい」との声も聞きましたが、一部には受けたか。でも、最後のGOD(西脇一弘在籍の)の曲が途中でフェイドアウトになったのが残念。あれがかけたくて、それまでの選曲だったのに。