08.25 24日の深夜までにミックスダウンをなんとか終えて、バワリー・キッチンで打ち上げ。家に戻ったのが午前3時頃。みんな疲れていたが、それでも、しばらく雑談。前日は僕はリミエキのメンバーに家を預けて、実家に戻って寝たのだが、さすがに明け方、30分も自転車漕ぐ気がしなかったので、みんなをベッドやソファで寝かせた後、ネットなどして朝まで。
8時にリミエキ一行を送り出す。それから昼過ぎまで寝る。外は猛暑。今年は何ひとつ夏らしいことをしていない。プールも花火も。せめて!ってことで、ピキヌー行ってカレー(って、年じゅう食べているのに)。駒沢公園の中をふらついただけで、汗だくで、家帰って昨日までミックスの確認などしつつ、ダラダラ。
08.26午前中は原稿など。午後からスタジオ行って、ひとりでリミエキのマスタリング。今回はちょっと、いつもと違うルーティングでやってみる。PRO TOOLS HDで録って、APOGEEで鳴らすというのは、5月にやったさかなのレコーディングと同じなのだが、ハイファイな分、バンドらしい塊感が出にくい。なので、本来、マスタリングには使わないアナログ機材にややオーヴァーレーベル気味に突っ込んで、なまらせてから、コンピューターに再取り込み。LA'Sの「THERE SHE GOES」のカヴァーの方はコレが当たりで、すぐに良い感じに。が、もう1曲の「カンフー・ガール」が難しい。音圧を出したい曲なのだが、そこばかり考えていると、ヘヴィ・メタルみたいな音になってしまって、せっかくのルーム感が消えてしまう。3ヴァージョンほど落し、家で再チェックして、決めることにする。
08.27朝の6時に弟から電話。強い雨の中、病院に向かう。7月末に何度も危篤状態に陥った父だが、8月に入ってから、少し持ち直していた。が、このところの猛暑が響いたのかもしれない。タクシーがなかなか捕まらず、7時頃に病院着。これでもう6度目だが、また、長男が最後の到着になってしまった。
明け方に呼吸困難に陥ったらしい父は血圧がかなり下がってしまっているが、血中酸素濃度は問題なく、落ち着いて見えた。看護婦さんに「手を握ってあげると、上がってきますからね」と言われて、弟と交代で手を握る。本当に手を握っていると、少し血中酸素濃度が上がる。8時くらいになって、ちょっと安心して、病室から出て、待合室のソファでしばらくボーッとしていたら、病室に呼び戻された。その時は主治医の先生が出勤してきて、お話を聞くのかと思ったが、病室に戻ると、院長先生と看護婦さんが慌ただしく、父の胸をマッサージしたり、点滴に薬を入れたりしていた。
出勤してきた主治医の先生から、たぶん、もう難しいと告げられる。家族4人で手を握ったまま、しばらくマッサージを続けてもらったが、看護婦さんが手を離すと、心電図からスーッと波が引いていく。あっけなかった。9時ちょうどに永眠。家族全員で看取ることが出来たのは良かった。
葬儀社に連絡。病院の霊安室に移された父は昼過ぎには家に戻った。もう分かっていたことなので、みんな落ち着いている。葬儀の準備が始まる。30日にお通夜。31日に告別式。一通り、葬儀社の人の説明を聞いた後、僕は一度、家に戻って、雑用をアレコレ。ツタヤにヴィデオを返したり、下北行って、原稿の資料用レコード買ったりした後、実家に戻る。母のパソコンでネットしたり、弟から借りたラジカセでCD聞いたりしつつ、一晩過ごす。
08.28午前中は父を棺に入れる準備。葬儀社の人の導きで、家族の手で父の髪を洗ったり、足袋を履かせたりする。祖母の時にはこんなことをした記憶はないな。祖母の葬式は11年前だった。あの時は、今、兄弟3人で手分けしてやっている葬儀準備を父がほぼひとりでやっていたのだろう。その時、父はすでに脳梗塞を患いつつあったのだが、よく出来たものだと今頃になって敬服する。
午後に一度、自分の家に戻り、夕方からスタジオ。リミエキのマスタリングのやりなおし。これが何度やっても納得できるところまで追いこめない。前回とは方法を変えて3テイク。さらに方法を変えて3テイク。だんだん何をやっているのだか分からなくなってきたので、一度、全部チャラにして、初心に帰って2テイク。8時間くらいかけて8ヴァージョンも作るが、初心に帰ったテイクを前回やったマスタリングと聞き比べてみたら、ありゃりゃ、ルーティングこそ違うが、ほぼもとに戻ったバランスだったりして。問題は場面展開の多い曲なので、イントロでコレが良い!と思っても、あるパートではバランス崩れたりすること。マスタリングの難しさを思い知る。なんのかんので家に戻ったのは明け方。
08.29新宿レッドクロスで「飲茶ロックVOL.2」。つくづく驚き、不思議に思うのは7月末から、父が重篤な状態に陥って、6度も病院に呼ばれたりしてきのに、それがライヴやレコーディングのスケジュールに障ることが一度もなかったことだ。最初に呼ばれたのが新川忠のラスト・ライヴの直後。その後、フジロックがあり、藤原大輔のツアーとレコーディングがあり、リミエキ・レコーディングがあったが、僕のスケジュールに障る時には、父は頑張ってくれていた。いつ携帯が鳴るかと気が気ではなかったが、苗場に三泊、京都に四泊もしていた間も大丈夫だった。まるで、どっかで見ているかのようだ。そして、今日も通夜の前日だが、準備はすべて整ったので、僕はライヴの現場に出ることが出来た。
正直、ちょっと集中力に欠けていたのは確かで、物販の用意を忘れてきたり、朝日のPAオペレーションもあまり上手くはいかなかったりで、個人的にはへこむことが多かった。が、イヴェントとしては良いイヴェントだったはず。レッドクロスは小さなハコだったのでお客さんもギッシリに。ECDのステージに朝日、二階堂さん、イルリメが加わった最後のジャンクなセッションはかなり楽しかったし。前半は女性シンガー・ソングライター、後半はラッパーだったわけですが、こういうイヴェントがあってもいいんじゃないかな。打ち上げでECDやツボイくんと久しぶりに話す。「カレーとハンバーグ」(僕とECDとの共作。トラックは僕とまだ大学生だったツボイくん)がなんかのミックステープに入っているとECDから教えられる。なんだ、そうか、来年あたり、カレーのコンピレーションを作りたいと思っていたのだが、僕にはすでにカレー・ネタの自作曲があったのだね。
ところで、僕は近々の仕事のスケジュールに関わる人以外には、父のことを一切、伝えず、この日も何事もないようにしていたのですが、浄土真宗のお寺の出である二階堂和美さんにはお話してしまいました。僕の葬式でお経をあげてくれますか?と二階堂さんに聞いたら、こともなげに「ハイ」と言ってくれましたが、よく考えたら、うちは浄土宗だった。
08.30昼過ぎに実家に行って、通夜の準備。3時すぎに斎場に。通夜〜葬儀はうちうちでという母の意向で、最低限の親戚に連絡をしただけ、町内会にも知らせず、玄関に「忌中」と貼っただけだったのですが、蓋を開けてみたら、30人のはずの親戚が60人。あれやこれや聞きつけた人が百数十人も集まり、部屋は小さ過ぎるは、食事は足りないは、という通夜になってしまいました。慌てて、あれこれ追加したり、あしたチャーターするマイクロバスを一台増やしたり。うちは親戚が多く、父や母の従兄会なんてものをやると、150人から200人も集まってしまう家なので、フルに連絡したら、どれほどのことになったのか。
夜、一度、家に戻った後、あすの支度を整えて、再び斎場に。ひとりで棺を置いた斎場に泊まる。三人兄弟の中で、実務には一番、役に立たない長男なので、こういうことくらいはしないと。しかし、斎場は10時門限で、朝まで外に出られない。別に出なくてもいいんだけれど、出られないと思うと、なんか辛い。仕方なく、世界陸上を明け方まで見てしまう。しかし、今月は家のベッドで寝られない日が多かったな。
08.31朝の6時半頃に弟に電話で起こされる。お握りを持ってきてくれたのだが、僕はさっき寝ついたばかり。一方、弟は早起きしてしまって、何か気が気でなくて、斎場に来てしまったのだろう。いよいよ、今日で終わりだ。
朝から何も食べないまま、あれやこれやで葬儀になってしまったので、葬儀の途中から具合が悪くなってしまった。出棺の前の挨拶をさせてもらったが、オレとしたことが、声が出なかった。弟二人もさすがに疲れが見える。彼らは僕より何倍も大変だったはずで、正直、頭が下がる。
棺を担いで斎場を出る時、父の旧制高校時代の友人、四人が寮歌を歌って、送ってくれた。これにはジーンと来た。父は何一つ成し遂げたり、名を上げたりすることのなかった人間だが、人には愛されていたようだ。不思議な人だったなあ、と思う。父が好きだったのは旅と酒とお喋りと。嫌いなことは人と競ったり、争ったりすることだったような。棺に入れるものはないですか?と問われて、父の愛用品や大事にしていた品はないだろうか?と実家の中を探してみたが、コレというものは何も見つからなかった。それくらいモノには執着がない、というより興味がない人だったのだろう。形など持たない、時とともに消えてしまう楽しいことがただただ好きだったのだ。
僕があの世に持っていきたいもののリストを書き出したら、どのくらいになってしまうかな? レコードと楽器のコレクションを全部持っていきたいくらいだったりして。なんとまあ、父とは違う生き方をしているのだろう。でも、どこかでは似通っているのかもしれない。今日はなんとなく、そんなことを考えていたりもした。
焼き場から斎場に戻って、仕上げの膳。すべて終って、位牌、遺骨、遺影を実家に戻す。今日で夏休みも終わり。最後の夕暮れだ。母親が洗濯を始めた。僕も日常に戻ることにする。家に帰ったら、THE ITさんからメールで、湯川潮音ちゃんのために楽譜書きの依頼。ギター持って、自分の曲を採譜。こんなところに2/4が入ってる曲だったなんて、知らなかった。なんか、そんなすることがあって、ホッと出来た。