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07.28
昨夜は苗場には宿がなかったので、越後湯沢まで下山。駅前のビジネスホテルに宿泊。でも、なんと温泉付きだったのでウホウホ。
朝8時に起きて東京へ。フジロック・ラッシュが始まる前に新幹線に乗ることが出来た。10時には東京に戻っていました。家に帰ったら、どひゃ〜というメールの山。そうか、今日はもう月曜日なのか、と焦りつつも、三日分のフジロック日誌を先に書いたりはして。
遅い午後にスタジオ行って、フジワラダイスケと8月のライヴ用のサンプル抽出。久しぶりに「白と黒にある四つの色」の曲のプロ・トゥールズ・ファイルを開くが、うひゃ〜、こんなことよくやったなあ!と思う。エディットもルーティングも何が何だかワカラン。
夜はようやく家のベッドで眠れる! 思えば、先週はライヴやって、病院に詰めて、フジロック行って、ゆっくり眠れるのはいつ以来だろう。でも、こういう時にど〜んと眠ると、また風邪引くんだよな〜。気をつけねば。

07.29
自転車がないことに気づく。先週の水曜日にどこかに置いてきて、その後は父の病院〜フジロックで、ほとんど家に戻らずだったので、すっかり忘れてしまっていた。その日の行動を思い出しつつ、自由が丘に捜索に。運良く発見。
家に戻ったら、再び、父が重篤な状態になったという知らせ。タクシーで病院に飛んで行く。

07.30
昨夜は終電近くまで病院に。弟ふたりが泊まるというので、一度、帰宅。始発で病院に戻り、弟を帰す。夜になると父の状態は比較的、安定する。
昼過ぎに弟と交代し、家に原稿書きに戻るが、3時過ぎに病院から電話。「もう間に合わないかもしれない」というので飛んで行く。が、昨日もそうだったが、僕が行く頃には絶望的な数値まで落ちた血中酸素濃度が再び上昇し、小康状態に戻っていた。
「終電で戻ります」ということで、夕方、再び病院を出て、家に戻り、さらにスタジオに。が、10時頃にまた電話で呼び戻される。病院まで所要時間はだいたい40〜50分。なぜか、僕のいない時間に状態が悪くなり、長男だけがいない、という状況になる。そして、僕が戻る頃には薬などの処置で、小康状態に戻っている。
これ以上の無理な延命を避けるという母の意向で、血圧を上昇させる薬の投与は中止することに決める。目の前で点滴をひとつ外してもらう。そのまま家族四人でロビーで朝まで。もろもろやらねばならないことをロートルなノート・パソコンでこなす。


07.31
始発で家に戻り、少しだけ寝る。が、11時再び弟から電話。もう何回、同じ道をタクシー飛ばしているのか分からなくなってきた。が、また僕が戻ると、父は同じ状態に戻っている。僕だけが呼吸が止まりそうな状態をまだ見たことがない。
しかし、何度も危機を脱するものの、確実に死に向かっていることは、父を見ていれば分かる。ただ、医師が思っていたよりも、体力はあるようで、点滴をひとつ外しても、まだ自力で頑張っているわけだ。あと何日こういう状態が続くのかは誰にも分からない。
今日は現場があるので、その時間は携帯を切ります、と告げて、夕方、病院を出る。渋谷で藤原大輔ソロ・ツアーのリハーサルだ。スタジオのドアを開けると、見たこともない世界があった。POCOPENが椅子に座って歌っている。「SUNNY SPOT LANE」の中でも僕が一番好きな「ルナ」。でも、ギターは聞こえない。恐ろしく繊細な宮本貴奈さんのピアノと鳥山健明さんのドラムス。そして、エンディングでPOCOPENの歌をダイスケのサックスが引き継いでいく。まったくアレンジを変えてはいるが、ダイスケのさかなの音楽への愛情が溢れまくったカヴァーだ。「タカナとPOCOPENさんが一緒にいるなんて、オレの夢がかなった」とダイスケ。
さらに2曲、「SUNNY SPOT LANE」の曲を。タカナさんのフェンダー・ローズの美しさにただただ聞きほれる。必要最小限のことしか弾かないのだが、それでいて、和音の積みやタッチのニュアンスの豊かさといったら。ジャズメンにありがちな演奏し過ぎてしまう感じが彼女のピアノにも、鳥山さんのドラムスにもまったくない。音楽への愛情がすべて。でも、技術的には日本に帰ってこないミュージシャン=アメリカで生き抜いていけるミュージシャンがどれほどのものかを思い知らせる。ダイスケが「このトリオだと、オレはふたりを見ているだけでいい」と言った意味がよく分かる。
そんな演奏にPOCOPENのブルージーなヴォーカルが乗る様は、なんだかスティーリー・ダンでも聞いているような、そんな贅沢さだった。本番がただただ楽しみになる。終了後、ライヴ・エンジニアの吉田くんも加え、みんなで大戸屋でメシ。楽しい〜。
携帯のスイッチを入れて、母に電話すると、小康状態なので家に戻ったということ。今日は休め、ということで、病院には戻らず、まっすぐ帰宅。よし寝るぞ〜、久しぶりに。

08.01
午前中に病院に。4時くらいまでいる。弟ふたりとこんなに沢山、話をするのは初めてのことだ。
帰宅後、ちょっとだけ時間があったので、スタジオ行ってLOVADELICの曲のミックスなどを。夕方、さかなのギター・ダビングのために西脇がやってきたので交代。しかし、気がつくと7月も終わってしまった。今年は気候が悪かったですね。
父親を毎日、見ていると、人間の生命反応が気圧だの潮の満ち干だのと強く結びついているのを感じずにはいられない。この天体の上で生かしてもらっているのだということ。病院のデータを見たら、38度以上の熱が出て、肺炎が悪化したのが7月の始めだった。僕が体調を崩したのと同時だ。8月はどうだろう? 祖母も叔父もお盆に亡くなっている。ふたりに合わせようと頑張っているんじゃないか? ここまで来ると、父のことで弟達と冗談を言い合うようになってきた。

08.02
午前中に病院に。同じ病院に入院している母方の祖母(こないだ101歳と書いたが102歳になっていました)が他の病院で手術を受けるため、転院中なので、その祖母の個室をうちの家族が使えることになった。まあ、一週間以上、うちの家族がロビーで難民のように過ごしていたので、病院側としてもどこかに押し込めたいところでしょう。
祖母の個室は父の個室の3倍以上の広さがあり、ユニットバスまで付いている。日当たりが良くて気持ち良い。この個室を借りて、今日の午後はパーティー。父母の金婚式のお祝いをする。息子3人からそれぞれに銀座の和光で買った時計をプレゼント。甥っ子なども来て、松花堂弁当を食べる。
父の病室に下の弟と時計を見せに行ったら、今日はいつもぼんやりと開いているだけの目が、なんと、はっきりと意識がある感じで見ている。時計の方に視線が行く。この病院に来て以来、そんな状態の父を見るのは初めてだ。
梅雨も開けて夏空。これからどうなるのかは分からないが、なるようにしかならないだろう。家に戻って体重計ったら、ジャンクな食事が続いたせいか、2キロも太っていた。これじゃ1年前とあまり変わらない。8月こそ走ろう。

08.03
横浜MOTION BLUEで藤原大輔ライヴの日。が、じぇ〜んじぇ〜ん起きられませんでした。今日から走るどころの騒ぎではなく、起きたら夕方の5時。最初のステージにはもう間にあわず。慌てて家を出て、横浜に。ツーセット目には間に合う。新宿ピットインを残しているので、詳しくは書きませんが、POCOPENが歌った「SUNNY SPOT LANE」と最後にやったダイスケが1996年に書いたという曲に新鮮な感動を覚える。POCOPENと一緒にいろいろ話しつつ帰る。