04.14 もろもろ雑用多し。午後、西脇くんとミーティング。POCOPEN & NISHIWAKIのプロモーションと、5月初旬に行うレコーディングについて詰める。
スタジオ行って、朝日美穂レコーディング。先週作ったリズム・トラックを再検討。ギター・リフの支配力が強すぎて、ワンコードっぽく聞こえるので、ベースとギターをユニゾンに近い形で弾きなおす。最近、弦楽器を弾いている時間がかなり長いな。ちょっと、以前よりタイムが安定してきた気がするのだが、これって、去年、ジョギングと筋トレした効果かも。
04.15もろもろ雑用多し。夕方、下北沢440に。さかなのライヴで物販。「ONE MORE DOLLAR」もようやく販売開始。遅れに遅れてしまったので、実物を目の前にしても、苦笑しながら「本当に出来たんですか?」と言う人がいたりして。
さかなのライヴはなにしろMCが絶好調で、かなりPOCOPEN語録が拾えた日だったのでは? 青山陽一さん、田中亜矢さん、フリーボ石垣くん、ラフト・ミュージック笹岡さんなどに会う。藤原大輔もチケット買って、観に来ていた。共演は倍音ズとネイザーというアメリカのバンド。ネイザーはちょっとデヴィッド・リンチ的とも言える、暗鬱なデカダン趣味のロック・バンドで、映画のワンシーンでも見ているような感じ。B級っちゃB級なのだが、でも、あの440のPAでもアメリカのバンドらしい太い出音をしているのにはちょっと驚いた。基本的なドラム、ベース、ギターの周波数の絡み方が違うみたいだ。
長丁場だったので、ちょっとビール飲みすぎました。
04.16午後に東芝EMIでミーティング。その足で実家まで行くが、外出中の母と入れ違いで、用事が果たせず。スタジオ行って、フジワラダイスケと先週、僕がやった「THINKING WITHOUT LANGUAGE」のミックス確認。ピアノの音色に注文が出て、やりなおす。夕方に完成。それから全曲の仮マスタリングして、CD-Rを作る。CD-R焼きながら、いろいろつもる話。6〜7月のライヴ計画や次作のレコーディング時期などについても。今年は一体、どのくらいのレコーディングをするんだろう? もう体力的には一杯一杯の毎日ですが、でも、1曲でも多くレコーディングしたいな、やれるうちに、と思ったりするこの頃だったりする。
04.17午前中からバタバタ。来週には店頭に並ぶ「ONE MORE DOLLAR」のプロモ作業やディストリビューターへの納品などに追われる。午後は朝日新聞の試聴室選考会議。13年間もこの会議のために通った有楽町のレストラン、レバンテが取り壊しになってしまうので、今回から銀座のキハチ・チャイナに会場が変更に。でも、僕はキハチ・チャイナがなかなか見つけられない。何度も建物の前を通っているのに、中華料理店とはとても思えない、ブティックみたいな外観ゆえ、素通りしていました。会議での一押しは、そりゃあ、マシュー・ハーバート・ビッグ・バンド。去年のベストテンに選んだスペイセックの新作も素晴らしく、最近の!K7は向かうところ敵なしだな。MEMORY LABもそんなレーベルになりたいものです。
夕方より朝日美穂レコーディング。何度目かのアレンジがだいたい形になったところで、曲の構成をめぐって、再び議論になり、深夜まで出口を見出せず。基本的にワンコードのファンク・チューンなのだが、途中でヘヴィ・ロックになって、ジャズになって、という構成がどうもうまく機能しない。なので、一度、ヘヴィ・ロック・リフを没にして、また何か出てくるまで楽器引き続ける数時間。今日は駄目かなと思った深夜、ポロっと弾いたナッズの「オープン・マイ・アイズ」風のリフになぜか朝日が反応し、それそれってことで、奇妙なパートが出来る。ベースはワンノートをピックで弾くパンク・ロック・スタイルに。今時、誰もやってないニューウェイヴ・ファンクか。
LOVADELICのシューゾーくんにギターを弾いてもらうことに決めて、明け方に終了。
04.18困難を極めそうな事柄には、人は付いてきてくれない。が、付いてきてくれないことが困ったことかといえば、必ずしも、そうではなかったりする。人が付いてこないということは、その先にある利益を独占できるということでもあるから。だから、あえて人が付いてこないように振舞うことだってないとは言えない。
音楽業界なんてところに住んでいると、こういう物の見方が出来るようになってしまうのだが、イラク戦争でのアメリカの勝利もまさしくポイントはそこだろう。イギリスしか付いてこなかったおかげで、イラク復興の名のもとに、石油利権を思いのままにするという構図を独占できたのだから。おまけに、次はイラクを拠点にシリアやヨルダンを牽制し、イスラエルを利する中東情勢も作り出すこともできるという案配だ。
腑甲斐なくも腰砕けしたフセイン政権は、見事なまでに、この独占の機会をアメリカに与えた。そもそも査察によって、生物化学兵器が見つからなかったからこそ、戦争は始まった。見つかっていたら、国連の監視のもと、それを廃棄する方向に向かい、アメリカが独りで立ち回ることは出来なかったはずだ。が、イラクが過去に化学兵器を保持していたことは明らかなので、完全廃棄したという証拠を進んで示さなければ、灰色に見られざるを得ない。逆にいうと、ずるずると灰色であり続けることによって、フセイン政権はアメリカに攻撃の口実を与えたわけだ。
査察が終了しない中での攻撃開始にイギリス以外の国が追従しないことは、もちろん、折り込み済みであったろう。無謀な戦争を始めたアメリカはこっぴどい目に合うと思わせる要素もなければならなかった。困難な状況が続くように見え、誰も戦後のことなど考え始めない方が、勝利の美酒を独占できるのだから。そのためにも、フセインには強気でいてもらわねばならなかった。攻撃を前に、あるいは米軍がバグダッドに到達する以前に、フセインが国外逃亡などしてしまったら、これまた国連監視のもとで、イラクに民主政権を作るという方向に進まねばならなかっただろうから。
最後の最後までフセインにはパフォーマンスをしてもらう必要があった、と考えると、わずか一両日でバグダッド陥落、フセイン政権崩壊に至った前後の構図が見えてくるように思えたりする。イラク国営放送が何度も空爆を受けたと言われつつ、なぜ、最後までジハードを呼びかけることが出来たのか(電波の発信場所など、破壊しようと思えば、これほど簡単なものはないだろう)? 目と鼻の先のホテルにいることが分かっていたサハフをなぜ、米軍は捕らえようとしなかったのか? そして、フセインやサハフの強気の発言とは裏腹に、バグダッド周辺のイラク軍はなぜ、徹底抗戦の司令を受けていなかったのか?
おかげで、バグダッドでの泥沼の市街戦の予想はあっけなく外れ(それ自体は良いことだった)、米軍はあっさりと目的を果たした。それはもちろん、フセインの銅像を倒すことなどではなくて、何をおいても、石油省ビルの確保だった。無傷の石油省ビルディングを見て、負けたのはイラクではなくて、フランスやロシアであったと思ったのは僕だけだろうか?
フセインは殺されたのかもしれないし、生かされているのかもしれないが、いずれにしろ、このまま消息不明である方が、潜在的な脅威を必要とする人々を利するだろう。仮想敵こそが軍需産業を潤してくれるのだから。その意味で、ビンラディンやフセインはブッシュやラムズフェルドの友なのだ。彼らがいなくなってしまったら、ブッシュの再選は有り得ないのだし。
思えば、ブッシュやラムズフェルドを抑止する存在であったはずのパウエルが一転、タカ派に転じてしまったのが、戦争開始を決定的にしたように見えたが、そこにあったのも、付いていかねば分け前もない、という構図だったように思える。結果は用意されていた。圧倒的な軍事力によって。それを知っているパウエルに、でも、自分は付いていかない、という選択があっただろうか?
しかし、このことの教訓は、だから付いていこう、ということではない。オレは付いていかないよ。実はこういうことはよくあることだ、会社の中でも、バンドの中でも、小学校のクラスの中でも。だが、オレは決めた、付いていかない、ここで自分の仕事をするだけだ・・・というようなことを考えた日でした。
04.19〜20身辺整理に務める。大量のゴミを捨て、目に見える床の面積が二倍になった我が家。それでも段ボールに詰まったCDがまだ二十数箱。またサンプル盤を1000枚ほど廃棄処分せねばならない。こんなゴミを生み出している音楽産業の中で僕は生きている。