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04.07
タクシーに楽器を乗せて、高円寺マーブルトロンに。ギルドのアコースティック・ベースに、フラットアイアンのマンドリン、ローランドのCR5000(リズム・ボックス)。アップルズ黒田くんに貸していたナショナルのギターも持ってきてもらうことにする。
レコーディングは2時スタート予定だったが、相棒をお願いした西脇くんが現れず。待ち切れずに湯川さんの曲の方のレコーディングはスタート。まずは湯川さんのギターと仮歌を録音。それに対して、いろいろな楽器を試す。まずは中間部にベースを。次にマンドリンでイントロとエンディングを。THE ITさんと湯川さんのディレクションに助けられつつ、ブースでテイクを重ねるという、完全なるプレイヤー仕事。レコーディングの仕事はたくさんしてきたけれど、いつもとはまったく逆の立場なので、すっごいプレッシャー。僕がレコーディングで楽器弾く時は、夜中にこっそりやることがほとんどだから。
2時間遅れで、「いや〜、すみません〜」と西脇くん登場。彼にギターを弾いてもらいたかったのだが、「いや〜、無理です〜」と言って、弾いてくれない。なんとか説得して、ブースに入れて、彼はマーチンのアコギを、僕はナショナルをスライドで弾くセッションをする。が、終ってみたら、彼のトラックは無音。「いや〜、何も思いつきませんでした〜」。仕方ないので、スライドを録りなおした後、マーチンでオクターブの裏メロを入れたり。ノークリックなので、先に入れた湯川さんのアコギのタイム感に合わせるのが難しいが、逆にいえば、細かいことを気にせずに、あとでプロトゥールズ編集して、アレンジを再構築すればいいセッションと思って、がんがん行くことにする。
8時くらいまでかかって、セッション終了。休む間もなく、僕の曲のレコーディングに。湯川さんが詩をつけて、「MATCH BOX」という曲に生まれ変わっていた。キーは僕のデモとまったく一緒だったので、演奏的には助かる。西脇くんと3人で何度かリハーサル。ノークリックも試したが、ヴォーカル録りが後日になるので、クリックを使うことに。
3人でファーストテイクを録り、その仮歌をもらって、僕と西脇くんでテイクを重ねる。同じブースで隣り合って弾くことにしたので、どちらかが間違えたらNG。後でパンチインなどは出来ない。でも、こうやって録った方がオーガニックなグルーヴが出るので、あえて一緒にやる。細かいヴォイシングや音符の有無などの調整に手間取り、なかなか、良いところに来ない。途中で、僕はテイラーからナイロン弦のクラシック・ギターに換える。ギター2本のアンサンブルはちょっとしたタッチの感じで、同じアレンジでも雰囲気がガラリ変わってしまう。
思えば、ふたりでこんな風にレコーディングするのは初めてだし、そう簡単には呼吸も合わない。11時過ぎまで、10テイク以上は録ったかな。もう握力の限界。でも、最後の2テイクはまずまずだろうということでセッション終了。THE ITさんと湯川さんは喜んでくれたので、良かったのかな。一日、アコースティック楽器を弾き続けて、相当に疲労困憊していたので、プロデューサー的視点で振り返ることは無理でした。あとは湯川さんとTHE ITさんが良い作品に仕上げてくれるだろうと信じるばかり。そうそう、終了後、湯川さんのお父さんのトーベンさんにお会いしました。

04.08
さすがに午後まで寝過ごす。夕方、渋谷に。西脇くんとPOCOPEN & NISHIWAKIのCDのプレスの件で、プレス会社の営業の人とミーティングのはずだったが、一時間経っても西脇くんが現れず。世間話だけして帰ることに。スタジオ行って、朝日美穂レコーディングの続き。一度、アレンジをご破算にして、ドラムの打ち込みからやりなおす。ロックンロールとファンクとジャズを融合させるって、70年代からいろんな人がやってきているわけだけれど、難しいですね。融合させるだけなら出来るけれど、それで、よりポップな、よりエネルギーのある音楽を生み出すのは。プリンスの偉大さをあらためて思う。夜遅くなって、朝日がやってきて、いろいろと注文。彼女のディレクションでギターを弾くが、アクセントが難しくて、なかなか弾けない。こういうのがサラッと弾けるには、20代の頃に倍は練習しなきゃ駄目だったんだろうな。

04.09
新宿でフジワラダイスケと僕達の新しい仕事仲間になりそうなイーストワークス、山下さんとミーティング。いろいろ話す。ダイスケがあまりに長々とNHKの広瀬集子アナウンサーの話をするので、ちょっと呆れられる。
新宿で買い物アレコレ。ソフマップ、ヨドバシ、タワレコと回る。久しぶりにタワレコでクラシックをのぞく、全フロアの全通路チェックを敢行。今年一番の大量購入。
スタジオ行って、昨日の続き。

04.10
いや〜な感じの雨の日。午後、祐天寺でミーティングひとつ。渋谷に出て、一昨日、西脇くんがすっ飛ばしたミーティングも。夕方、スタジオ行って、メンテ作業。NEOTEKの卓のフェーダーを幾つか交換したり。

04.11
遠くの戦争よりも身近なトラブルへの対処の方が優先されるのは誰でも同じだろうし、余裕がない時は、なかなか反戦のための行動も出来なかったりする。フジワラダイスケはパレードで演奏したりしていて、僕も誘われたりはするのだが、行動は果たせず。この日誌の更新もここのところ滞っているので、ネット上での発言すらも出来ずにきた。が、周囲を見回してみると、どうも、同じような人達は多いようで、戦争が始まる前後から沈黙してしまったサイトがやけに多い。
テレビを普段はまったく見ない僕が、毎晩、夜中までニュースを見たり、ネット上でもニュースを捜したりはしていながら、なかなか、戦争について口を開く気になれなかったのは、メディアから伝えられる情報に対して、虚無的な態度を取らざるを得なかったからかもしれない。何が真実なのか、考えることすら難しくなるのは、戦争が最初からテレビカメラの前で行われているからだ。何日に始まります、なんてアンウンスされて始まる戦争なんて、かつてあっただろうか?
実家で母と一緒にテレビを見ていたら、彼女はさらりと「ホンモノのはずはない」と言った。本当に戦争を体験した世代は、疑う能力に優れているなと思った。そもそも、戦争なんていうのは一般庶民の預かり知らないところ勃発したり、終結したりするもので、背後には歴史には記されない無数の謀略や策略や裏取引があったりするものだ、ということを東京裁判に証人喚問された父親を持つ彼女は知っているのだろう。テレビで戦争が見れる、なんて、ちゃんちゃらおかしい、と。
もとより、戦況がどちらに転んでも、悪い結果しか考えつかない戦争で、いや、戦争というのはそもそも、そういうものかもしれないが、早く終結して、死者が少なく済めば・・・と思う一方で、アメリカの目算通りに今回の戦争が「やったもん勝ち」で終ってしまったら、これからの世界はどうなるのだろう?とも考えると、本当に出口がない。ただただ気分が悪くなる。だったら、心の中から追い払って、せめて、自分は自分の仕事をきちんと果たしたり、家族を大事にしたりすることに務めよう、と思った人は少なくないんじゃないだろうか?
しかし、この2、3日のニュースは、考えれば考えるほど、すべてを疑いたくなるようなことばかりで、イーカゲン、何か言わざるを得ない気分だ。バクダッド周辺のイラク軍は忽然と消え、やすやすと市内に入った米軍がやったことは、ジャーナリストを攻撃することだった。アルジャジーラの支局を爆撃して、一人殺した後、戦車がパレスチナ・ホテルを砲撃して4人殺傷。しかし、戦車からの砲撃にしては、破壊は小さく、小型ミサイルみたいだったりする。いずれにしろ、アメリカの兵器は精密誘導なのだから、ホテルの方から攻撃してきたので、テキトーに建物を撃って反撃したなんてことはありえない。被弾したのは一発だけというところからしても、ある目的のために、標的を狙って撃ったのは明らかだろう。
アルジャジーラへの攻撃と合わせて考えれば、そこにイラク側の情報戦略を利してきた在バグダッドのジャーナリスト達に対する牽制があったのは間違いない。あるいは、この8日の日、ジャーナリスト達にイラク軍が消えた街をウロウロして欲しくないという意図があったのかもしれない。が、その一方で米軍はサハフ情報相はまんまと取り逃がしている。その日、サハフはホテルに現れたのだから、静かに包囲して、彼を捕らえることだって、出来ただろうに。あたかも、彼に逃亡するよう、警告を与えてあげたような砲撃だ。
その前夜、アメリカはフセインと彼の息子が会談する場所の情報を掴み、バンカーバスターを落したという。そもそも、こんな情報をその日のうちにメディアに流すということ自体が、有り得ないことなのは明らかだ。CIAからはフセイン死亡説が流され、イギリス情報部からは間一髪で脱出した説が出る。が、フセインと息子達の会談場所などという最高機密を密告できるのは、政権中枢のフセイン側近、数えるほどの人間しかいないはず。そんなアメリカにとっては最も重要なスパイの存在を爆撃の直後にバラしてしまうということがあるのだろうか? オレがスパイだったら、CIAめ、オレを売ったな、と激怒する・・・前に裏切者の疑いがある人間は即座に全員、抹殺しているでしょうね、フセインならば。
が、この英米情報部の見事な連携プレーによって、フセインは死んだかもしれないし、死んでいないかもしれない。爆撃でバラバラになっていたら、死体の確認も難しい、という認識を世界中にバラまくことは出来た。ビンラディンの時と同じように。そして、9日の日には昨日までそこにいたサハフを含め、政府要人はほとんど姿を消してしまった・・・ということになっている。ホントかよ。うちの母は、もちろん、信じないでしょう。関東軍が逃げてしまった後も新京に残り、ソ連軍に捕捉された父親を持つ彼女は。
例えば、サハフが捕捉されていたとして、そのニュースが流れるかといったら、流れるはずがない。サハフからの情報は漏れていると他の政府要人に知れてしまうわけだから。保身のために、アメリカに寝返る要人やロシアに保護を求める要人がゾロゾロいたっておかしくないが、そんな情報は洩らされるわけがない。にもかかわらず、テレビの前にいる僕達、というか世界中の人々は、メディアがかつてなく多くの情報を伝えているような錯覚に踊らされてしまう。そもそも、戦争とは吐き気のするような策略や謀略や裏取引の産物に違いないのに。
疑いだせばキリがないのが今回の戦争報道で、10日に映し出されたフセインの銅像が引き倒された光景も、前日から準備され、民兵が紛れ込んでいないか、厳しいチェックの後、群衆(にしては人数が少ないが)とされるイラク人が集められ、カメラ・リハーサルなどもした後に、本番スタートとなったのは間違いないと思えてくる。9.11の瓦礫の山の中から出てきたという星条旗も、イラク人の抗議によって、換えられたというフセイン以前のイラク国旗も、もちろん、小道具さんが用意したもの。最初に星条旗を被せてしまう、というアイデアは、広告代理店がやりそうだ。だって、最初からアメリカ兵がイラク国旗を被せるんじゃ、おかしいものね。星条旗被せて、抗議を受けて、フセイン以前のイラク国旗(そんな危険なもの、どこにあったのだ?)に換えるという方が、アメリカ軍がイラク民衆のための戦争を闘ったという印象が最終的に残るんじゃないか、という計算。だから、星条旗のシーンはカットしなかった。
なことを書いてると、アメリカ人の友人をたくさん失いそうだが、でも、これからボロボロボロボロ、暴かれることは出てくるだろう。今回の戦争報道で、僕が一番、ショックを受けたのは「フライデー」のそれで、新聞やテレビでは決して見ることの出来ない、最新兵器で殺されるというのはどういうことかと知って、言葉を失うくらいの写真の数々を見て、しばらく物が食べられないほどだった。初めて、日本の写真週刊誌を凄いと思いました。あと、怪情報の極めつけは、イラク側の捕虜となった後、救出された美人女性兵士、ジェシカ・リンチのホームページ(www.jessica-lynch.com?)が、3/17にすでにドメイン登録されていたという話。ニュースを遡っていくと、確かに救出される前から、米軍の行方不明者として彼女の写真が突出した扱いでマスコミに出されていたのが分かる。その一方では彼女が被弾していたかどうかについて、医師の発表が変わったり、奇妙なことも多い。すべてハリウッドで撮影されていることだったりして・・・なんて与太を言いたくなるのも、僕だけじゃないんじゃないだろうか?

04.12
スタジオでフジワラダイスケ・ソロのミックス。最後に残っていた「SOMETHING」をふたりで仕上げる。またプロトゥールズでマルチ・マイクの位相をずらすによる空間操作を多用。ピアノのマイクが拾った成分で、サックスの音色が大きく変わったり、録音というものの奥深さを知る。夕方に終了。ダイスケが帰った後、僕はもう1曲「THINKING WITHOUT LANGUAGE」にトライ。これはダイスケがボストン時代に制作した幻のソロ・アルバムの中の1曲。同じトリオによる演奏で、とても美しい静かな曲。僕はオリジナルをもう何度聞いたか分からない。深夜までかかって、このミックスも終了。ということで、ついにアルバム完成! 長い道のりでした。

04.13
ゆうべはスタジオのソファでうとうとしていたら朝になってしまった。帰宅後、もう一度、寝たら、夕方まで起きられず。相当、疲れが溜まっていたようだ。洗濯などして、ほぼ一日が終る。深夜、ヴィデオで「キプール」を観る。ジェームズ・テイラーの「ファイアー・アンド・レイン」が聞きたくなる。