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01.27
ちょっと大きな買い物。高価な買い物ではないですが、ブツがデカイ。小型スピーカー・マニアの僕が初めてフロア型トールボーイを買ってしまいました。ALR JORDAN のENTRY 3M。以前にENTRY Sを仕事場で1年くらい使っていたことがあって、さすがに超小型のENTRY Sではローが足りなかったけれど、あの不自然とも言えるぐらいのホログラフィックなステレオ感が忘れられず、上位の大型機種を聞いてみたかったんですよね。
到着した箱を見た時には想像以上の大きさだったので気が遠くなったものの、仕事場に入れてみたら、むしろ、今までのスピーカースタンド+小型モニターよりも収まりが良い。音も予想通り、クリアーで、ステレオフェチの僕向きの位相表現に優れたもの。ちょっと中域の密度感が足りず、中低域が膨らみ気味という不満が現状ではありますが、セッティングを詰めればなんとかなるでしょう。これでまた、音楽を聞くのが楽しくなるな。
思えば、僕は同じ物ばかり沢山買う癖があります。聞きもしないのに買ってしまうレコードの量は数えないことにしても、ギターも気がつくと17本くらいあって、その半分以上はケースの中。年に一度、手を触れるかどうか。そして、スピーカーも気がつくと7セットあったりする。ステレオは3セットですから、4セットのスピーカーは日常使用は出来ないわけです。でも、今残っている7セットは手放す気にはなれないものばかり。ATCが2セット、ロジャースが2セット、ALR JORDANが2セット・・・て、やっぱり同じブランドものばかり買ってますね。
あとは自作が1セット。自作が最近、出番がないのは、個性がなく感じられてきたからなのですが、個性ってどうやったら出るのだろう? チューンナップしてバランスを良くすることは出来ても、魅力的な個性を与えるのは難しく、何かしらの天才的な閃きが必要なのかもしれない。物作りは何でも同じだなあ。
午後はスタジオでPHATのケースケとちょっとした作業。夜は渋谷AXでジュラシック・ファイヴ。前座の日本人ラッパー達との格差が凄まじかったですね。大人と子供。じゃないな。前座の連中の方がヒップホップってこんなもの、みたいな醒めた、手慣れた感じがあって、ジュラシック・ファイヴの方がオールド・スクールなことやってはいるのに、覚えたての遊びで遊んでいるようなフレッシュさがあった。グループとしての有機的な絡み合いが素晴らしく、陽性のグルーヴで会場を包み込んでいく。そう、ヒップホップって楽しいものだったのだよ、と久しぶりに思ったり。ヤバイものを作るより楽しいものを作る方が難しいとも思う。過去、ランDMCとファーサイドくらいかな、こういう楽しさに到達していたのは。
ところで、この手のコンサートだと、僕はもう会場で最年長じゃないかと思うことが多いわけですが、今日はそうじゃなかった。隣が渋谷陽一さんだったので。ノリノリで観ていらっしゃいました。でも、すごく孤独そうに見えた。あるいは、僕もそう見えるのかな、こういう場所では。
思えば、僕も最近はヒップホップ聞くんですか?とか、聞かれることがある。あるいは、レゲエ聞くんですか?とか、アフリカ音楽聞くんですか?とか。全部、入っていると思うんだけれどな、僕のやっていることに。

01.28
いや、良いですね、新しいスピーカーを買ったりすると。仕事場のセットが新しくなったことによって、ベッドルームのヴィンテージ・セットの魅力もあらためて感じたりして、同じCDをあっちで聞き、またこっちで聞き。音響の快楽はやめられませんわ。
思えば、音響派なんて言葉もポピュラーになるくらいだから、ちょっとは人々のオーディオへの興味が増すかと思ったら、全然そんなことはないようで。まあ、 ピュアー・オーディオの世界なんてのもイーカゲンで、その証拠にCCCDを音楽誌同様、オーディオ誌もちっとも問題にしていないしね。ブランド神話や耳学問の知識増やすことにしか興味のないオーディオ・マニアもまた、本当の意味で音は聞いていないんじゃないかと思える。
例えば、ジャマイカなんかに行ったりすると、人々の音に対する欲望の強さに圧倒されたりするのだけれど、そういう本当に音響の快楽を知っている人々はプアー・オーディオでも驚くような音出すわけです。つまりは、音楽演奏するのと一緒。あるいは食事なんかと一緒にも思える。
ところで、うちのBBSを見ていて思ったのだが、デジタル・コピーでは音は変わらない、というのがいまだに世の中では常識とされるらしい。CCCDが肯定されるのも、基本はそこに基づいているわけです。「音は変わらない」というのがレコード会社の公式見解なわけですが、それはつまり、エラー補正すれば元通り、という意味だったりする。
しかし、現実にはデジタル・オーディオの再生というのはジッターとの闘いだというのが、ちょっとでも技術知識のある人ならば常識になりつつある。ジッターについて、説明するのは大変なので、興味のある人はネット検索でもしてもらうのがいいと思いますが、乱暴に簡略化すれば、デジタル・オーディオの信号伝送時に立ち現れる時間軸に対する歪みということになるのかな。別の言い方をすると、これは動的な特性の劣化とも言えて、それこそはオーディオ・ヒストリーのパラドックスでもある。真空管からトランジスタやICへ、アナログからデジタルへ、という流れにおいて静的な特性は著しく上がったのに、実は動的な特性の劣化が足を引っ張って、その実、ちっとも良い音にはなっていないという。僕がベッドルームで使っているLEAKのアンプは1950年代のものですが、現代のどんな音楽でもハイフィディリティーに再生するのを聞くと、50年間かけて、一体、何が進歩したのだろう?と思わずにはいられない。
話をジッターに戻すと、デジタル・オーディオは信号伝送のあらゆる局面においてジッターと闘わねばならないわけですが、現実に最もこれが問題になるのは、CDプレイヤーがCDを再生している時でしょう。CDプレイヤーは常にエラー補正を働かせているわけですが、ある意味、これは人間の身体の免疫系にも似ている。CCCDは見事にその免疫系にひっかかります。免疫力の弱いプレイヤーはエラー補正しきれずにノイズを出したりする。あるいは、うちのYAMAHA CDR1000などは免疫力が強過ぎて、最初から吐き出してしまいます。多くのプレイヤーはなんとかエラー補正しつつ、風邪を引いたような状態で再生するわけですが。
しかし、この風邪を引いたような状態で再生されているデジタル・オーディオというのは、ジッターだらけになっていくわけです。混入されたエラーを補正するために、ピックアップが無駄な動きしたり、サーボ電流が激しく流れたりせねばならないがゆえ、ジッターがどんどん増えていくという悪循環の中にある。デジタル領域だけでなく、メカニカル的にも、アナログ・オーディオ的にも負担がかかるので、それが総合的に連鎖して、音が悪くなるわけです。エラー補正すれば問題なし、なんてのは解熱剤打てばOK、風邪引いたってオマエ生きているじゃん、と言っているようなもの。
面白いことに(面白くはないか)、実際にCCCDを聞いてみると、その音質の印象は、やっぱり、そういう風邪引いたような状態を想起させる。ダウナーな音。個人的にはMDの音の方が好きだったりする。CCCDはMDよりもローがちゃんと出る分、立ち上がりの鈍さがよけいに強調されて、イヤ〜な感じに重い音になる。マッシヴ・アタックの新作がCCCDと知った時には、なるほど、こっちの音の方が俺達の音楽性に合っている、と思ったのか・・・などとブラック・ジョーク言いたくなりました。
僕は音楽聞くのが仕事ですから、CCCDも聞かねばなりません。すでに送られてくるサンプル盤の多くはCCCDになりつつあるし。しかし、CDプレイヤーには入れたくないですよね。仕事場のCDプレイヤーはTEACのVRDS25XSですが、CCCD用にいつ壊れてもいいCDプレイヤーを買おうかな。CD-R/RWに対応していないプレイヤーの方が良さそうだから、1995年より前くらい中級プレイヤー? でも、エラー補正が弱いとノイズが出ちゃうので、意外に機種選定が難しそうだ。何かお勧めあります?

01.29
渋谷で新川くんとミーティング。彼は脱力している。ヴィデオばかり見て、逃避しているそうだ。よく分かる。デビュー・アルバムなんてものを作っちゃった後は、誰でも途方に暮れるものだ。半年以上も前に作り終っていたアルバムが世に出る頃には、もはや、自分の心にはそこにはない。ひどく無関心になる。が、次のことに向かうだけのエネルギーはなかなか満ちてこない。不安定な気分の中で、気がつくと、どんどん時が過ぎていく。次のこと、次のことと思っても、ハードルは恐ろしく高く見える。
僕もしょっちゅう、そういう気分には襲われる。単行本書いた後などは、ひどかったな。というより、いまだにそれを引き摺っている。あんなこと、本当にオレがやってのけたのか? もう二度と出来ないに違いない、という思いが積み重なり、過去の自分に対する現在の自分の劣等感が、物書きとしての僕を麻痺させている。このジレンマから脱け出せるのかどうか、もう10年以上も経ったというのに。
でも、今日は新川くんといろいろ話して面白かった。22歳も離れているのだが、完全にダチの会話。映画の話をたくさん。で、話すうちに、新川くんが「実は夢があるんです」と言い出した。夢はズバリ、「映画を撮ること」。なので、映画を撮るために、何をしたらいいか、ふたりで考える。結論は、脚本を書いて、サンダンス映画祭で賞を取ろう! よ〜し、ということで新川くんが帰っていった後に、僕は嫉妬しました。だって、ホントに取るかもしれないものね、彼は。オレより22年分多く、彼には時間があるのだとしたら、不可能なことなんて何もないんじゃないか。
夕方、秋葉原に。CDプレイヤー物色。LINNのCD12の中古売っていたぞ。190万円。でも、LINNの製品ってすべてがブラックボックスで、難しいことはメーカーに御任せって感じがするのが、僕には馴染めない。ジャンク転じてヴィンテージとなす(でも、ちょっと油断しているとジャンクに逆戻り)みたいな綱渡りを楽しんでいるプアー・オーディオ派のオレにはね。
壊れてもいいと思って買うCDプレイヤーなんてのは見つけるのが難しく、結局、スタジオの機材メンテ用のパーツだけ買う。コンデンサーや抵抗やダイオード。ダイオードというのがどういうものか、ついこないだまで僕は知らなかったのだが、今ではコンプレッサーの改造のために、ダイオードや抵抗やコンデンサーを組み合わせた簡単な回路を考えてみたり。電流の流れる量と方向と時間差などを考えればいいわけだ。というか、音楽のミックスなんていうのも、つまりはそれを考えているわけですよね。電流の流れる量と方向と時間差などなどをコントロールすると、それがサウンドとなって立ち現れるわけで。
スタジオ戻って、機材メンテの続き。こないだからずっとやっていますが、理想の状況にはまだまだ遠く。なんのかんので明け方までやる。

01.30
朝日美穂急病のため、イヴェント出演キャンセル。ということに相成りまして、高円寺マーブルトロンにお詫びに行く。先週あたりから風邪を引いていたようですが、よりによって、声が出なくなってしまった。電話口でも苦しそう。1オクターブも出ないということで、やむなく、お詫びチラシなどを作ることに。
でも、マーブルトロンに「申し訳ありませんっ」と言って、神妙な顔で入っていったら、中は知り合いばかり。主催者の東芝EMI大森さんは以前、バッドニュースにいて、仕事した仲だったし、メイン・アクトの湯川潮音さんを囲むのは東芝EMI加茂さん、マーブルのTHE ITさん、サポート・ギタリストがフリーボ石垣くん。なので、アッという間になごむ。気がつくと、石垣くんとふたりでアコギ抱えてギター談義&セッションしてたりして、何やってるんだ、オレ。
イヴェントも非常に良いイヴェントで、湯川さんはステージ経験も少なく、オリジナル曲もわずか。不安定なところは多く残すものの、ハイトーンの声が美しく、聞き入ってしまいました。ギターを弾いて歌うと特に良くて、ギターと歌の微妙なリズムのズレ、大きく伸び縮みするタイム感がとても音楽的、人間的に感じられる、というのは天賦のものでしょう。1曲だけ、ひとりでギター弾き語りした曲は中間部が物凄い転調、リズムチェンジをする曲で、フォークとクラシックとサイケが一緒になったような、ちょっとバッファロー・スプリングフィールド思い出すような曲でした。僕の頭の中ではもうジャック・ニッチェのオーケストレーションがグワングワン鳴っていて・・・というのは妄想入り過ぎか。でも、新しい才能に出会った時というのは、すごく想像力が膨らむものです。スコア書くようなレコーディングは「THRILL MARCH」以来やっていないですが、またやりたいなあと思ったり。
朝日のピンチヒッターのギター+ミーさんはアコギの上手さに痺れました。初期のブルース・コバーンみたい。3月にアルバムが出るというので、買いに走りたい。というわけで、最後までイヴェント観て、楽しんで帰ってきました。マーブルブックス関口などとも久しぶり会ったり、スターパインズ宮田さんとミワカタツノリくんの話でひとしきり盛り上がったり。なんか今日はお休みの日みたいでしたな。

01.31
渋谷でフジワラダイスケとミーティング。懸案事項を整理して、決定していく。やること沢山あるなあ。ふたりでタワレコに行き、1F、2F、5Fで試聴機展開している様をチェック。ジャズ・チャートでは何と2位でした。1位はビルボード・ポップ・チャート制覇したノラ・ジョーンズ。これは抜けないだろうなあ。でも、ブルーノート・レーベル・メイトでのワンツーはカッコイイかも。
ダイスケを付き合わせて、東急プラザ下のマーケットであしたのパーティーのための食材を買いに行く。30人分ってことは、肉1キロ買っても、ひとりの口に入るのは30グラム。何作ろうかなと考えて、まず思いついたのがトリッパ。パリのチュニジア人街で食べたのを再現してみようということで、蜂の巣(牛の胃)を1キロ買う。これなら1キロ買っても800円。あとはサラダ用クレソンが安かったので大量に買ったり。
スタジオ行って、ダイスケとひとしきり機材話で盛り上がり、ネット・オークションを物色。ダイスケが巨大な買い物してしまうかも。

02.01
午前中に起きて、買い物行ったり、隣の奥さんから調理道具借りたりして、今夜のパーティーのための料理。自分ちでは20人くらい呼んだパーティー用に料理したことが何回かありますが、よその家に30人分の料理持っていくのは訳が違います。
僕のメニューはクレソンとクルミとパルミジャーノのサラダ、蜂の巣とひよこ豆のトリッパ、スモークド・チキンとサン・ドライド・トマトのペンネの三品。まず、蜂の巣の下ごしらえ。僕は内蔵系料理が好きなのですが、癖がありますから、ニンニクやネギ、その他のクズ野菜と一度、下ゆでをして柔らかくすることに。それから細かく切りわけて、香草とワインをふっておく。一方ではトマトを12個湯むきして、トマトソース作り。
続いては鳥の燻製作り。東急ハンズで買った桜のチップスで。しまった。下ごしらえが出来ていなかったのはひよこ豆。ゆうべのうちに水につけておくべきだったのがやっていなかった。ので、慌ててぬるま湯につけて、圧力鍋で煮ることにする。
ところで、トリッパなんて僕は作ったことがありません。レシピも持っていません。なんとなくのイメージをもとに作っていくだけです。思いつきでいろいろやります。パーティーに来る人はそれを試食させられるわけです。いつだったか、中華の薬膳スープを作った時は一部には好評でしたが、岡村詩野などは1年後まで「健太郎さん、あのスープどうなんですか!」と言っていた。
三品のうち、家で完成させるのはトリッパだけで、これは鍋のまま持っていき、後の二品は下ごしらえした材料をタッパーウェアに入れ、パーティー会場で仕上げることに。というわけで、夕方、北沢の信藤家にタクシーで向かう。そうそう、今日のパーティーというのは、信藤三雄さんと僕のバースデーパーティーなのでした。二人合わせて100歳を越えたってことで、TRUST OVER 100 PARTYなどと呼んだりして。
5時半くらいに信藤家着。しかし、キッチンは大変です。料理人はワカちゃん、チャイチャイ&ナカジー、僕。加えてマスタリング・エンジニア滝瀬さんがチャーシュー煮てきてくれたり。メニューは書ききれないですな、サラダが二品、煮物系がチャーシュー、鳥じゃが、角煮、鳥のココナッツ煮、トリッパなどずらっと並び、パスタがタコのミートソース・スパゲッティとスモークド・チキンとサン・ドライド・トマトのペンネ、なかじ〜のカレー&チャパティ、チャイチャイの生春巻き実演販売まで。みんながみんな、30人とうい人数にビビッて、用意してきた結果、60人来ても大丈夫なくらいの料理が並んでしまいました。皆様からの差し入れであと物凄い量のビールとワインが出現。
パーティー参加者はいや〜、たくさんいて、書ききれませんが、半数以上はミュージシャンだったか。発起人のみほみほ(もりばやしみほ、朝日美穂)、エマーソン北村くん、フジワラダイスケ、TICAのふたりに、ナチュカラもりもりくん、タブラのあややちゃん、FLEX LIFEのふたりにブラウニーやLOVADELICの面々などなど。
久しぶりに会ったのは昨日のじゃがたらイヴェントのために東京に来ていた八木康夫さん。いろいろ話す。来るはずだった市川実和子ちゃんが当日、キャンセルになって八木さんガックリしていましたが、大丈夫、プログレ女子高生、立石さんをササキデリックさんが連れてきてくれました。しかし、今になってみると、八木さんと僕は歳が6つしか違わなかったのだな。ハタチそこそこの頃に、僕は八木さんにくっついて歩いて、いろいろ教えてもらっていたのですが、物知りのオジサンと思っていても、せいぜい、そのくらいの年齢差だったわけです。しかし、立石さんなどは三十歳以上離れた僕や八木さんとテキサス・サイケ話や細野話などしているわけで・・・。
プレゼントたくさんもらってしまいました。初対面の人からもたくさん。どうもありがとう。大事にします。大森七中の先輩、信藤さんには僕からもおめでとうを。あと、フル稼働だったワカちゃんとチャイチャイには大感謝。やっぱり、プロの料理はさすがで、気がつくと、チャイチャイの出した料理だけは、きれいになくなっていた。島らっきょサイコ〜。
パーティーは11時頃にお開き。人が帰り出したら、急に酔いが回って、眠くなってしまいました。しかも、帰りの荷物が大変。たくさんのプレゼントをもらったので、両手に物の詰まったショッピングバッグ。おまけに鍋まで持って歩いているというのは、あたかもショッピングバッグ・レディー。
帰宅後、コーヒー入れて、珍しくテレビなどつけてみたら、さっきまで一緒だったFLEX LIFEのライヴをやっていた。でも、気がついたらソファーで轟沈。朝でした。

02.02
パーティー疲れでなかなか起きられず。起きても、燻製の匂いが充満した家の中でしばし呆然。キッチン片付ける気にもならない。信藤さんちも大変だったかもしれないなあと思いつつ。
でも、昨日集まってくれた人達のヴァイブレーションは最高でした。つまんない噂話ばかりになるような酒の席というのが僕は大嫌い(酒の席ばかりではないね、最近は。ネットの席とかも)なのだが、昨日のパーティーは何だったんだろう? ただただ食べただけか。でも、基本でしょう。あれだけ食べ物があると、後はもう何もいらない。和やかな宴は約束されたようなもの。
今日はジョニ・ミッチェルばかり聞く。高校生の頃からジョニ・ミッチェルばかり聞く日があるのだが、ラスト・アルバムになるとアナウンスされた新作は・・・うまく言葉にならないのだが、僕のような若輩者にはまだまだ手の届かない、人生における豊かさとは何かという問いとジョニとラリー・クレインが到達したその答えが詰めこまれたアルバムのように思える。でも、聞いているうちにふと、ふたりには子供はいるのかな?なんてことが頭をかすめたり。ジャケットを眺めていると、静かな、しかし、やむにやまれぬほどの怒りがこの壮大なアルバムを作らせたのも伝わってくる。ビン・ラディンやブッシュの肖像画。
ビン・ラディンはもちろん、ブッシュも何十年かした後、人類の歴史に大きな過ちを残した犯罪人として、人々に記憶されているはずだ。先にやらないとやられるかもしれない、というだけの論理で、一方的に他国に戦争を仕掛けにいくなんてことが許されていいはずはない。冷戦時代にそんな大統領がいたら、地球は今頃、放射能に覆われた死の星だった。
いつかは去っていくこの星が、美しくあり続けて欲しいという望みかもしれない、ジョニにこのアルバムを作らせたのは。美を希求すると、愛に辿り着く。そうなのだ。僕達もジョニに続こう。