BEFORE GET IN SLEEP

12.24
気がつけばクリスマス。が、東京に戻ってきても、街にはあまりクリスマス気分が感じられなかった。京都でもそうだったのだけれど、なぜだろう? 京都の和菓子を食べすぎたので、今年はケーキも食べなかった。
今年もあとわずか。なのに、年内の原稿がまだあと5本。家に戻ったら、たくさんのメール。来年明けのリリース・スケジュール、マスタリング・スケジュールも決定。どう考えても、正月も休めそうにない。仕方ない。原稿1本だけ書いて、早めに休む。

12.25
旅の疲れも残っていて、なかなか起きられず。なんとか這い出て、渋谷のタワレコ・オフィスへ。岡村トリビュートのリリースに向けて、もろもろの相談。シングルの時は朝日、直枝を僕がサポートする形で手作りでやっていったが、今回は原盤出資した会社があり、タワレコがレーベル業務を引き受けるので、ビジネス・スケールも大きい。スタッフも増えて、役割分担も必要になっていく。プロモーション・プランについて、かなり長いミーティングに。でも、上がってきている音が良いので、すごく前向きなムードで進む。ヒットするといいな。
朝日につきあって楽器屋を少し回った後、今日はスタジオ仕事は諦めて帰宅。ぼちぼち原稿。

12.26
いよいよ今年も仕事納めの時期。レーベル業務もラストスパート。12月に入ってから、バックオーダーがポンポンと入り、家のキッチンに詰まれていた在庫が数百枚出荷できた。いまだに一月に100枚は出ていくSAKANAの「BLIND MOON」をはじめ、MEMORY LABの作品はロングセラーが多いとは言えるかも。しかし、溜まっている経理事務には頭抱える。
午後からスタジオでPHATのダイスケと作業。今日はアルバム完成に向けての細かい調整作業。まずはソプラノ・サックスの録りなおし。さらに曲のエディットをやりなおしたり、オーディオ・ファイルを再編集したり、一度、ミックスを完成させた曲も細かくいじる。シークエンスをミリ単位でズラしたりして、グルーヴの調整を計ったりもする。人間の耳は1ミリセカンドなど、楽に聞き分けるので、ひとつの楽器を1ミリセカンドずらしただけで、曲のグルーヴ感は大きく変わる。マイクを30センチ遠ざけてレコーディングしたのと同じだけのズレなのに。デジタル・レコーディングの問題はAD/DA変換やプラグイン・ソフトによるレイテンシーで、せ〜のでレコーディングする時、すでにモニターにはミリセカンド単位の遅延が発生している。ミックスでプラグインをかけただけ、遅れてしまっているチャンネルもある。そのあたりを細かく聞き取っては再調整しなければならないのは厄介だ。
夕方まで作業してから渋谷へ。オーチャード・ホールでヴィンセント・ギャロのコンサート。最高でした。ギター抱えたまま、ステージに正座して歌う男を初めて見た。ギター2本(ときどきベースやキーボードに持ちかえるが)とドラムスという編成で、なんだかSAKANAみたいだった。
ささっと帰宅して、夜は原稿。年内にまだ4本かあ。

12.27
もろもろもろもろ終らず焦る。何がプライオリティーなのか、といったら、雑誌編集者からすればバカヤロー!締め切りをとうに過ぎた原稿に決まってんじゃねえか・・・だろうし、原盤制作を委託しているレコード会社からすれば、いつになったら上がるんですか? 全曲のミックス・・・ってところだろうし、でも、レーベル運営や会社経営に関しても責任は果たさなきゃならないし、年内あと数日の中でチョ〜テンパる。あ、ところでテンパイって、実際の麻雀の中ではイケイケの局面だと思うのだが、こういう場合はネガティヴな意味に使うのはなぜ?
そんな中で昨夜から、またやらなくてもいいことを始めたりして。自分は一体、何なのだろう?と思いつつ。ともかく、四十代にもなって、僕は自分が何なのかが分からない。肩書きは嫌い、ということにしてきたのだが、嫌いというよりはただ単に自分が何なのか分からず、怖かったということかもしれない。
音楽に関わる仕事をしていること自体、それが天職とは思えないところがある。たぶん、僕の少年時代を知っている人は僕が音楽の世界に生きていることを不思議に思っているだろう。僕のまわりにいるミュージシャンの多く、例えば、朝日美穂のような人は子供の頃から音楽の子だったに違いない。誰から見ても。が、僕は音楽は好きだったけれども、それを表現する手段を何も持っていなかったから、僕が音楽が好きだということを知っている人は少なかった。
高校時代にギターを弾きはじめても、回りには凄いギター弾きがたくさんいたから、とても敵わないと最初から思っていた。隣の高校にはチャーがいたし、うちの高校にいたSくん(チャーという中学同級だった)も信じられないくらいにギターが上手かった。才能のある人というのはいるのだ。僕には才能はない。それは明らかだった。
文章にしたって何にしたって、僕は自分に才能があると思えたことがない。が、才能なくてもやってしまうんだよ、やらなくていいことまで。僕が持っている唯一のアドヴァンテージは実はそこかもしれない・・・と思えるのようになったのはかなり最近のことだ。
才能がないのに加えて、僕は師弟制度のようなものに属することが嫌いでもあった。だから、いつも低レベルのドゥ・イット・ユアセルフから始まることになる。もちろん、影響を受けた人達はたくさんいる。が、いつもこっそり盗んできただけだ。おかげで、ふと客観的に見てみようとしたりすると、自分が社会の中でどんなファミリー・ツリーの中に位置しているのか、皆目、分からなくなる。まったく、本当にこの男は何者なのだろう? そのことで不安にはならないが、そんなんでも、そこそこの暮らしをして生きていることは、かなり不思議に思えてくる。失業率が5%を越えたこの時代にねえ、こんなことしてていいのか、自分。
師を持つ人は弟子を作るのも好きだ。が、僕はそのことにも馴染まない。僕の回りのたくさんの年下の友人達は、僕よりも優れた才能を持った、僕に多くを教えてくれる友人達だからこそ、僕の回りにいるのだと思っている。だから、飲んで語り合うような付き合いも必要ない。僕はそもそも語る人が嫌いだった。結構な年齢になってしまった今では、僕も昔話をすることが多くなってしまうのだが、ふとした瞬間に得意げに語っていることに気づくとゾッとする。まあ、僕の年下の(時には二十歳以上も離れた)友人達はバシバシ、タメ口で突っ込みを入れてくれるので救われるのだが。
午後に短時間のスタジオ作業。PHATの「BLACK BIRD」という曲のミックス。この曲は9月11日のちょうど、あの時刻にレコーディングしていた。当時は「バラード」とだけ呼ばれていた美しい曲。きれいに空間を見渡せるミックスを心がけるが、今日は完成まで追い込めず。夕方、クラブキングのラジオ番組でお馴染のヘレン中之島さんが来て、「体操」のナレーション入れ。ささっと一時間ほどで終了。帰宅後、原稿。とにもかくにも、気持ちとしては原稿。

12.28
もうゴメンナサイ、ゴメンナサイの年末。が、どんどん来るわ、メールであの件、この件。つまりは休むな、ということか。頭が混乱してきたので、家にいても硬直状態。何をすべきかを考えて、コレだけは年内にキチンとしておこうと、銀行にもろもろの支払いに。が、この銀行が物凄い混雑。そうか、金曜日だもんなあ。
夜はスタジオで朝日美穂レコーディング。ずっとやっている歌録りの続き。リード・ヴォーカルをなんとか録り終える。それからふたりで恵比寿のミルクに。イルリメ(モユニジュモ)やママ・ミルクが出演するイヴェントを見に行く。が、ミルクがまた物凄い混雑。半分はイヴェントなど興味ない、酒飲んでるだけの客。しかも、イヴェントは二時間押し。その過酷な状況下でママ・ミルクをかぶりつきで観る。馬鹿な外人がふたりが演奏している目の前で大声で喋り散らしていてサイアク。でも、ママ・ミルクはふたりだけのライヴでも凄いダイナミズムを感じさせてグ〜。
続いて、上のフロアでECDを観る。DJはイリシット・ツボイ。ECDもツボイも久しぶりに観たけれどサイコー。ターンテーブルをいじめまくるツボイはやっぱり狂っているし、サックス抱えたECDはなんだかもう、ラップもヒップホップを通り越して、違う表現に辿り着いてしまっている。というより、そもそも彼はそういうヤツ、彼自身がジャンルの人間だったのだというのを思い出す。楽屋に行って、ふたりに挨拶。「健太郎さん久しぶりですね、カレーとハンバーグ以来?」とツボイに言われるが、そういえば、アレは3人で作ったんだった・・・なんて言っても、ほとんどの人にはなんのことだか分からんだろうな。でも、旧い知り合いが頑張っているのを見るのは、なんだか励まされる。
途中、具合の悪そうだった朝日もECD観たら、いきなり元気に。続くイルリメのライヴは僕は楽屋で観ていたが、彼女はフロアで暴れてた(?)。リョウ・アライとECDをゲストにしたイルリメはこれまたサイコ〜。ECDもそうだけれど、ラッパーである以前に、すごく純粋な音楽表現者だなと思う。いやあ、良いもの観たなあ。
ミルクを出るともう明け方。フレッシュネスバーガーでちょっと時間つぶして、タクシーが安くなってから帰宅。

12.29
昼過ぎまで寝過ごす。結局、年内に終らなかった仕事が片手では収まらず。あちこちにゴメンナサイ。
夕方から再び、朝日美穂レコーディング。昨日、録ったリード・ヴォーカルを再検討。もう少し、良いテイクが録れるんじゃないかということで、また歌ってもらう。が、やっているうちにオケに関してまた議論になり、さらに二十歩ほど戻って、ピアノのデータを作り直すことにする。デジパフォに戻ってグラフィック画面でピアノ編集。あまりやったことのない作業だが、ピアノのデータをいじるにはこれは便利だな。で、バッサバッサと音符の数を減らして、コードをよりオープンな感じにしてみる。
で、その新しいピアノでオケのバランスを取り直し、再び、歌録り。なにしろ今年最後のチャンス。この曲、最初にレコーディングしたのは一昨年の暮れだったのだから。イ〜ケゲン決着をつけたい。で、夜更けまで頑張った甲斐あって、これまでになく良いテイクが録れた。お疲れさま、良いお年を、ってことで深夜の蕎麦屋でちょっとお酒。

12.30
年内に決着をつけなければならないのはあと2曲、PHATのミックス。今日は「BLACK BIRD」にケリをつけるつもりでスタジオに。夕方からダイスケもやってきて、ふたりで曲の構成を再検討。この曲、もとは8分くらいあったのだが、ダイスケは3分ぐらいの小品にしたいという。が、「体操」のようにバリバリに編集してしまうと、この曲の持っている空間の広さやリズムの間の感覚が失われてしまうので、僕は自然に演奏した感じを残すことを提案。思えば、以前はお互い、逆の主張をする多かったのだが、長く一緒に仕事していると、不思議に立場が逆転してくることがあるものだ。
ふたりで何度も何度も曲を最初から聞き返して、必要最小限の編集で6分半くらいまで曲を短くする。すごく良い構成になった。ミックス・バランスも問題ないということで、ダイスケは帰って、後はひとりの作業。細部の詰め・・・のはずだったが、ミックスしていたら、ドラム・サウンドに関して、アイデアが湧いて、アレコレ実験を始めてしまう。ノード・モジュラーのヴォコーダー・プログラムを使ってスネアを変調。フレーズに合わせて、リアルタイムでパラメーターをいじっているうちに、タイスケ・マツオが作るようなアグレッシヴなドラム・サウンドが得られたので、これを縦横に使ってみる。淡々とした曲だったはずが、かなりアグレッシヴかつアブストラクトな場面を作ってしまった。なんのかんので朝7時まで作業。

12.30
3時間ほど寝てスタジオに戻る。昨夜の「BLACK BIRD」を爆音で聞き直してみたら、ベースが出すぎだったので、マスターをもう一度、作り直す。それから、山口泰と一緒にPHATの「MEXICAN PUSHER」のミックスのやりなおし。山口はあしたには京都に移住してしまう。いいなあ、京都に住むなんて。
夕方までに山口との作業は終了。彼がしばらくスタジオを使いたいというので、その間、僕は年越し蕎麦を食べに行く。行きつけの祐天寺のおおむら。行ったら、おばちゃんが「小西さんと入れ違いでしたよ」と教えてくれた。スタジオ戻って、さらに作業。「MM」のマスター・エディット。「TIGHTEN UP」のミックス。「TIGHTEN UP」は最後まで追い込めなかったが、とりあえす、ラフに落して、全曲をCD-Rに焼く。
11時過ぎにどうにか終了。電車に乗って渋谷へ。渋谷駅に着いたら、みんながホームを駆けている。カウントダウン1分前。みんなハチ公前とかでカウントダウンするのかな。僕は別の方向に向かう。タクシーでJ-WAVEに。PHATがライヴ出演する特番。行ったら、J-WAVEで番組作っている旧い知り合いにたくさん会う。みんな正月に働いているんだなあ。PHATの番組のスタッフも実は昔、仕事した人達ばかりだった。
狭いスタジオ・ブースに楽器を詰め込んでのブース。なのに、リハーサルしたら、音が凄く良い。こういう無茶な現場で投げやりでない仕事をするエンジニアの腕に感服。PHATのライヴは2時前後から。その前のゲストがアン・サリーで目の前で演奏を見せてもらったのだが、これが素晴らしかった。ジョニ・ミッチェルの曲を歌って、ジョニと同じくらいに聞かせる人がこの世にいるとは・・・。PHATのメンバーもみんな、目がハートマークになっていた。
PHATは4曲演奏。「MEXICAN PUSHER」〜「FF」。情報コーナーをはさんでフリー・ジャムから「VENUSIAN DANCE」。ラジオではどんな風に聞こえていたんだろう? 3時頃に終了。初詣で帰りに客にまじって、電車で帰宅。もちろん、何も考えずに爆睡。