BEFORE GET IN SLEEP

08.19
寝坊して、11時すぎに駒沢公園。この時間になると走るには暑すぎる。ダンベル持って、ウォーキング1周、終りかけた頃にアップルズ黒田くんとバッタリ。なんだか、恥ずかし〜。黒田くんは3周くらい走るのかな。つられて、もう一周はダンベル置いてジョギング。
午後は原稿、その他で家で過ごす。こないだから書いている原稿、ちょっと時間かかり過ぎ。

08.20
ようやく原稿終ったので、爽やかにジョギング。午後、スタジオに行って、ようやくフジワラダイスケ・ソロのミックス作業再開。なんのかんので一カ月遅れですな。夜、渋谷でミーティングひとつ。あすの映画美学校での講座のレジュメ作りなど。
ところで、吉田美奈子さんがHPで、CCCDについてコメントしていた。彼女の最大の賞賛者であり、最大の攻撃者でもある僕としては、これについて書かねばなるまい。
吉田美奈子の名盤『BELLS』の存在は意外なほどよく知られている。世の中に400枚しかないにもかかわらず。LPからCDへの移行期にこのアルバムはCDのみで400枚だけ限定プレスされ、ひっそりと世に出た。僕は運良く青山のパイドパイパーハウスでその1枚を手に入れた。アルバムのプロモーションは一切されなかった。当時、音楽ライターとして日の出の勢いだった僕は、持てる限りの媒体にレヴューをねじこんだが、他にこのアルバムを積極的に紹介した人は三宅くに子さんだけだったと記憶する。『BELLS』のレヴューの90%は僕と彼女が書いたのではないか。その点では、僕は吉田美奈子の最大の賞賛者であったと言えるわけだ。
この限定プレスのアルバムは過去、どのくらいコピーされて来ただろう? 僕も何度もコピーしてくれと頼まれた。が、僕はコピーはしないので、CDを貸すことになる。貸して返ってこない状態のまま、誰々に貸しているから、そこから借りてくれ、などということを繰り返している間に、どこにあるのか分からなくなってしまった。
限定プレスというのは、世の中に拡販していくことよりも、本当に聞きたい人だけに聞かせることを選んだアーティストの意思表明であったかもしれない。必ずしも、たくさんの人に自分の音楽を聞かせることだけがアーティストの望みではないことを僕は知っている。僕の身近にも、拡販するために引き受けねばならないことを引き受けるよりは、ひっそりと世の中に出すことを好むアーティストがいる。しかし、限定プレスだった『BELLS』は、そのことによって幻の名盤として語り継がれることになり、オリジナルの枚数を越えるだろう不法コピーが行き来したことも、想像には難くない。
美奈子さんがコピー・コントロールに賛同した背景に、この『BELLS』に対する不法コピーの横行があったことは間違いない。コピーされることによって、たくさんの人に聞いてもらえればいいじゃないか、というような意見を彼女は認めないだろう。『BELLS』は400人の熱心なファンだけに送り届けた作品だったのだ。僕はその感情を理解する。なぜなら、僕も自分が制作に関わったアルバムの不法コピーが目の前を行き交うことが、とにもかくにも生理的に嫌な人間だからだ。たくさん売れることよりも、その個人的な感情の方を僕は重視する。
CCCDに対して、多くのアーティストは積極的なコメントをしようとはしない。その中で、私は多少の音質を犠牲にしても、CCCDで作品を発表することを選んだのだということを美奈子さんは公言した。反発を買うことは、もちろん、予想されただろう。アーティスト達が無言なのは、誰かのせいにしておいた方が安全だからだ。
自らの権利を守るためにCCCDを選んだという彼女のメッセージは、正当かつ、アーティスト自身がその責を負うとしている点において、非常に潔く感じられる。彼女をCCCD肯定派として攻撃する人々は、態度表明も何もしないで、長いものには巻かれる形でCCCDで作品を発表しているアーティスト達の方をより激しく攻撃すべきではないか。無言の肯定なのか、無自覚な服従なのか分からないリップ・スライムのような連中の方がよほど罪深い。ラッパーとは誰よりも先に口を開く人間・・・ではなかったようだ。
しかし、美奈子さんのメッセージの中には非常に気になる一文がある。気になるというよりは、やっぱりなあ、とガッカリした一文といえばいいか。
僕が吉田美奈子の最大の攻撃者であるというのは、彼女の近作のサウンド・プロダクションを酷評してきたからだ。彼女ほどのキャリアを持ったアーティストは、もはや、攻撃されることは少ない。アルバムを発表してくれるだけで・・・という態度でメディアも批評家も作品を歓待する。正面切って、アレンジやサウンドがひどい、などとレヴューに書いてしまうのは僕ぐらいだろう。
しかし、ひどいものはひどい。僕はアーティストよりも作品を重んじる。偉大なアーティストであっても駄作は駄作だ。しばしば思うのは、イエスマンばかりのスタッフの中にいて、自らの変質に気がつかなくなってしまうアーティストが多いのではないかということ。裸の王様状態。十代の頃から敬愛してきたアーティストの多くに、僕はそれを感じてしまう。山下達郎はいつからあんな歌い方になってしまったのか、とか。
吉田美奈子は現在でも圧倒的なパフォーマーであり、ソングライターとしての筆も鈍ってはいないとは思うが、サウンド・プロダクションへの疑問はとてつもなく大きい。それは彼女が周囲に配しているスタッフィングへの疑問でもある。しかし、彼女はCCCDに対するコメントの中でこう書いている。「作業を行っているのはその道のプロフェッショナル達ばかりなのだと云う、根本的な事をすっかり忘れているかの様な暴言がありますが」。
この国のプロフェッショナルと呼ばれる人達の仕事のクォリティーが、あるいはその前提となる耳の質がどのくらいものか、僕は知っている。すべてのマスタリング・エンジニアが小鉄徹や滝瀬真代のようではないし、すべてのミキシング・エンジニアがZAKや山口泰のようではない。それこそ「耳を疑う」仕事の方が溢れているのは、毎月、毎月発売されるCD(それもメジャーの予算を使った)の多くがどんな音をしているか聞けば分かる。プロフェッショナルと呼ばれる人達が、それに値するだけの仕事をしているのなら、僕は40歳過ぎてからエンジニアをめざしたりしないよ。
プロだから信用しなさい、と美奈子さんは言うわけだが、その美奈子さんの近作が優秀なスタッフと仕事しているとは思えないサウンド・プロダクションだったのだから、信用するどころか、プロを疑うところから始めないと良い音楽は作れない!と言いたくなる。もちろん、それはCCCDに対する対応にも言えることだ。現行のCCCDはCD ではない。CCCDというメディアを選ぶからには、CCCD用のマスタリングのノウハウが必要になるはずだ。U・マチック・マスターから直接、読み出して、プレスマスターが作られるのか、一度、データのオーサリングをして、CCCD用のCD-Rマスターからプレス・マスターを作っているのか?という疑問は以前にも書いた。そのあたりの生産行程のことに、プロフェッショナルと呼ばれる人達はどこまで踏みこんで検証し、対応しているのかというと、甚だ疑問に思われる。エンジニア向けの雑誌を見ても、ゼ〜んぜん話題にもなっていないしね。
と言っても、これはもちろん、僕自身にも返ってくる問題ではある。近い将来、メジャーのレコード会社でCCCDでの発売が決まっているタイトルの制作を僕が手掛けることは十分に考えられる。抵抗できる立場にあれば、僕はCCCDでの発売には抵抗するだろうが、そういう立場にない場合もある。その時に僕は何をすべきだろう? それを考えていかねばならない。
美奈子さんの話に戻れば、PHATのヌマちゃんは吉田美奈子の大ファンだ。PHATと吉田美奈子の共演盤を作ることが、ヌマちゃんと僕の夢なのだが、こんなこと書いていては無理だろうなあ。でも、美奈子さんの新作の出来の良いことを祈っています。そうそう、『BELLS』もCCCDで再発されるそう。僕から借りたままの人がこれを読んでいたら、この機に返すように。

08.21
涼しくなってきたので、ジョギングに戻す。しかしまあ、メシが旨くて旨くてたまりません。以前は舌で食い物を欲していたのが、今は身体が欲している。吸収している。こんな感覚は久しく忘れていた気がする。
夕方まで講義のレジュメ作りやCD選びをした後、映画美学校へ。技術編の授業はきわめて個人的な内容に終始。言ってみれば、ERROR RECORDING HISTORYを辿りなおしてみた3時間でした。これは僕自身にとって非常に勉強になるものでした。年月が経ってみて、初めて分かることがこんなに多かったとは。リアルタイムでは十分に検証できていなかった録音方法の違いやメディアの違いによる音楽的な結果の差異を思い知ったり。生徒のみなさんの興味のどれだけ沿える内容だったかは分かりませんが、終了後、個人的な質問に来てくれる人はいつになく多かったです。
夜遅く朝日とミーティング。岡村靖幸さんからプレゼントされた曲のMDを聞かせてもらう。ヴォーカルもギターも大迫力のデモ。リズム・ギターの雰囲気を掴んだ後、朝日が歌えるキーを探す作業。さらにもう1曲、僕が夢の中から持ち帰ってきたリフレイン(7/21の日記参照)を曲にする作業も。
次の朝日の作品は、彼女としては初めて、作曲を他人に任せた曲やメロディーを共作した曲が聞かれることになる。シンガー・ソングライターが曲を書かないとどんなレコードが生まれるか? ニルソン『シングズ・ランディ・ニューマン』、ローラ・ニーロ『ゴナ・テイク・ア・ミラクル』、うん、傑作ばかりだから、ダイジョ〜ブ。

08.22
軽くジョギング。午後、スタジオでLOVADELICの曲のミックス・・・のはずだったが、ヴォーカルのレコーディングが完了できなかったため、リズム・トラックをプロ・トゥールズに取りこんで、方向性を確認するにとどまる。
今日はコニー、みえちゃん、ムラオくん、ジョーくんが来訪。夕方、さらにPHONESというバンドのケンボーとガクちゃんが来訪。LOVADELICとPHONESは9月から一緒にイヴェントをやる。どちらもMEMORY LABのアーティストではないのだが、かくかくしかじかの成り行きで、僕がそのイヴェントを主催することになってしまった。狭いスタジオで7人が額を寄せて、イヴェント・タイトルの選考会議。かなり紛糾したが、最終的に「喜々-kiki-」に決定。「色」だの「時」だの、僕の周りには漢字タイトルがやけに多いが、これは決して僕の趣味を押しつけた結果ではありません。
「喜々-kiki-」のVOL.1は9/15@渋谷SOUP、VOL.2は10/18@渋谷SOUP。LOVADELICもPHONESもグルーヴと肉声で身体を揺り動かす、素晴らしく陽性の音楽をやっている。まだまだ荒削りなところもあるけれど、ライヴ・バンドはそういう時期こそが面白いわけで、今年の秋は僕も彼らとともに街に出ます。DJもやるよ。
そうそう、イヴェントといえば、その前に9/6@西麻布BULLET'Sで「時-toki-」のVOL.3。ライヴ・アクトはYAMAUCHI、タイスケマツオ、AKIほか。今回は僕がメインDJで2時間ほど回す予定。10月にはイギリスのBAMBOLA RECORDINGとMEMORY LABのジョイント・イヴェントも企画中なので、お楽しみに。

08.23
雨模様だったのでジョギングお休み。ちょっとホッとしたりして。
午後、銀座で朝日新聞試聴室選考会議。今月はもうローラ・ニーロのライヴしかないよ。僕以外には誰も聞いていなかったのだが、ゴリ押しで写真付き紹介を勝ち取る。ところで、今回を最後に編集者の米原さんが移動に。担当してから1年あまり。早すぎる移動だなあ。ご苦労様でした。ありがとうございました。
表参道のビクターに行って、こだま和文さんと話す。いや、ホントはミュージック・マガジン用のインタヴューの席のだが、「話しませんか?」という誘いだったので、もうすぐ出るというデビュー20周年(?)のコンピレーションも聞かないまま、ただ話す(聞きたくても、ビクターの宣伝担当者が別の高橋というライターに音資料を送ったらしく、聞けなかったんですけれどね)。じっくり話すのは、ミュート・ビートのアメリカ・ツアーの頃以来だから、たぶん、12年ぶりくらい? あ、人の葬式でしみじみ話したことはあったか、それも一度や二度でなく。
ミュート・ビートと僕の関わりはそれこそ多数の関係者とあっちでこう、こっちでこう、だったので、昔話をすればキリがないのだが、しかし、それ以上に40代も半ばを過ぎて、まだオレは何もやれていないんじゃないか?と思って、バタバタやっている今現在の感覚において、共感することしきり。思えば、夜の街をウロウロしていて、自分より年上の人に会うことことがあるのは、こださまさんや八木康夫さんくらいのものだし。今こそが「事件なんですよ」というこだまさんの言葉は、まさしく、僕の気持ちを言い当ててもいた。
スタジオ行って、新川くんとミーティング。ようやくジャケットが上がる。アルバムは10月後半の発売に決定。「SWEET HERE AFTER/TADASHI SINKAWA」。紛れもない傑作。僕の今年のベストテン入りは最初から決まっている。オープニング・ページに彼のことを「天才」と書いているのが、新川くんは気になるらしく、「やめてくださいよ〜」と言うのだが、こんなアルバム作れる人は他にいないよ。この国には、ブライアン・ウィルソンやヴァン・ダイク・パークスやニルソンが好きなミュージシャンがたくさんいるが、しかし、誰も彼らのような歌を書いて、歌おうとはしない。実は細野さん以後、誰もやっていないのではないか。
ところで、新川くんはシンガー・ソングライターになる以前は、バリバリのR&Bフリークだったらしい。今日もブランディのCDを一緒に聞いて盛り上がったり。彼も僕もロドニー・ジャーキンスが大好き。ジャーキンスが本気を出したトラックは本当に凄い。やる気ない時のイーカゲンさも本当に凄いが。
夜遅く、三軒茶屋で朝日とヴィジュアル・ミーティング。先日、塩田くんに撮影してもらった写真を見るが、予想を越えて素晴らしい仕上がり。塩田くんは飄々としているけれども、実は刃物のような才能を抱えている。

08.24
昨日は走らなかったのに、なぜか、膝が痛い。ジョギングはやめて、ダンベル持ってウォーキングにする。
午後は9/15〜10/18のイヴェント「喜々」のヴィジュアル・ミーティングなどした後、先日、レコーディングしたPHATの新曲のミックスに手をつける。アナログ・レコーディングをプロ・トゥールズに取りこんでミックスするというのは、さかなの「リトル・スワロウ」以来。でも、あれはZAKにミックスしてもらった。当時はプロ・トゥールズも16BITだった。プロ・トゥールズを手にしてから、本格的なエンジニアリングを学んだに近い僕にとっては初めての経験。そして、非常に戸惑う経験でもある。今まで使っていたプラグ・インが同じような効果を発揮しない。そもそも、今まではテープやチューブのシュミレーションをたくさん使っていたが、その多くが必要ないわけで、コンプレッションも最初からかかっているので、デジタルで録ったものにかけるのとは勝手が違う。半日くらい費やして、アレ〜? でも、慣れてきたら、今までよりもはるかにミックス・バランスが楽に取れることが分かってきた。定位なども取りやすいし。
夜、スタジオから自転車飛ばして、渋谷の街へ。PHONESのストリート・ライヴを観る。メンバーとイヴェント関係の相談。スタジオ戻って作業再開しようと思ったら、マックがフリーズしていた。しかも、出掛ける前にセーヴしてなかった! 泣く泣くかなりの作業をやりなおす。3時過ぎまでかかって、ようやく復旧。久々にヘヴィなレコーディング・ワークになってしまった。

08.25
ちょっと疲れが溜まってきたように思えて、午前中はぐずぐずしていたのだが、やっぱり物足りなくなり、ダンベル・ウォーキング2キロ。終えたら、なんだか調子出てきて走りたくなり、ジョギングをもう2キロ。3週間走っても1キロも体重が変わらなかった僕なのだが、ここに来て、いきなり身体が体脂肪燃焼モードに入ったのか、すとんと体重が落ちていた。あと1キロ落ちれば、二十代の最高体重まで戻る。結構、凄いことかも。
幾つか雑用済ませた後、午後よりスタジオで作業。昨日のPHATのミックスをもう少し進めた後、新川くんのアルバムのマスタリングも2曲ほど。でも、比較的早めに帰宅。マーケット行って、刺身買って、先日、もらった鮑の水煮を使って炊き込みご飯作って、食欲を満たす。ちょっと満たし過ぎたかな。でも、メシが旨いのは最高です。明日また、絞ればいいんだし。