BEFORE GET IN SLEEP

05.27
いろいろあった5月も終りにさしかかり、レコーディングは一段落しつつも、次のことをいろいろ考えつつ、地味に原稿仕事せねばならない時期。原稿仕事があると、なぜか、めったやたらに眠くなり、幾らでも寝られる身体が戻ってくるから不思議。
昼に駒沢大学で朝日とミーティング。ピキヌーで「BLIND MOON」聞きながら、ジャケット色校チェック。終了後、駅で待ち合わせたYAMAUCHIと神保町のミュージック・マガジン編集部へ。松山晋也さんによる「めかくしプレイ」。狭い取調室みたいなところで行われるプレイを30分ほど観戦。いつもこのページ読んでて思うのは、オレは1曲も分からないんじゃないか?ということなのだが、やっぱりエイジアン・ダブ・ファウンデーションしか分かりませんでした。
一度、スタジオに。あれこれ雑務の後、下北沢ハイライン・レコードで軽いミーティング。終えた後、渋谷でデザイナーと会ってきた朝日と再ミーティング。FOOD SHOWでお総菜買って帰宅。夜は原稿仕事。

05.28
今日もまた昼に渋谷で朝日とヴィジュアル・ミーティング。フライヤー用に僕がちゃらちゃらっと書いた一文に厳重クレームあり。キンコーズでフライヤー・デザインの詰め。
一度、帰宅して、なんだかんだバタバタした後、夕方、再び渋谷へ。新川くんとミーティング。展示会用に作った5種類のジャケットによるCDを受け取る。いや〜、面白いわ。僕が一番気に入ったのは立体構造になっているTYPE 1。レコード店は絶対置いてくれないだろうが。展示会で一番売れたのはTYPE 5だったそうだ。展示会では新川くんの曲、5曲をモチーフに、友人達が作った作品展示が行われたそうだが、毎日、20人くらい人が来てくれたという。で、CDは60枚売れたということは、半数が彼の音楽を気に入って、買ってくれたということ?
帰宅後、5枚のCDを眺め回していたら、嬉しくなってなってしまって、早速、WEBで販売してみることにする。そのために久々にHTML書き。ついでに、あちこち更新。MP3による試聴ファイルをどっと増やした。MEMORY LABの全作品試聴可能になりましたので、YAMAUCHIってどんなのだろう?とか思っている人は、ぜひ、聞いてみてください。

05.29
午前中に渋谷へ。銀行で海外送金をするはずが、いろいろ問題あって果たせず。PHATのダイスケは今日からアトランタに行って、ソロ・アルバムのレコーディング。MEMORY LAB初の海外録音敢行! が、スタジオ代が送れなかったので、出発直前にアレコレ協議。ま、なんとかなるでしょう。オレも行きたかったんだけどなあ、アトランタ。
渋谷の東急百貨店でアジア・フェアみたいのをやっていたので覗く。屋台でタイの汁無しソバを食す。こんな時にデパートの催し物会場をウロウロしているオレ。某雑誌編集部にプロモーションに行った後、おとなしく帰宅。ひたすら原稿に臨むがはかどらず。かなりヤバくなってきた。
昨日、アップした新川くんの音源に早速、反応が。ウレシ〜。やっぱり、新しい音源を人に聞かせるのはエキサイティングなことです。
ところで、あしたの朝日新聞で僕はソニック・ユースの新作評を書いているのだが、あの日本盤タイトル、「ムーレイ・ストリート」というのはMURRAY STREETのことで、僕はどちらかというとマレイと発音していた。朝日美穂「THRILL MARCH」を作っていたスタジオ・ハロルド・デッソーはMURRAY STREET側に入口があるのだが、プロペラヘッズの部屋やマット・ジョンソンの部屋を横に見つつ、廊下を抜けていくと、当時、山口泰が借りていた部屋に出る。一番の奥の山口の部屋はWARREN STREETに面していて、だから、「THRILL MARCH」の3曲目は「MURRAY STREET」ではなく「WARREN STREET」だった。
ソニック・ユースのキムとサーストンはその頃もよくハロルド・デッソーに来ていた。ロビーで一緒にテレビ観たこともある。思えば、僕が彼らと喋ったのはその時と、サンフランシスコのチベタン・フリーダム・コンサートの会場に行く時、偶然、彼らのバンに「行くならオマエも乗れよ」と同乗させてもらった時の二回だった。どっちも通りがかりだから、向こうは憶えてないだろうが。
ハロルド・デッソーは去年の今頃には移転のため閉鎖したので、ソニック・ユースのレコーディングが9月11日の事件で影響を受けたっていうのは、ちょっとまた違う事情ではないかと思うのだが、MURRAY STREETにあったレコーディング・スタジオはハロルド・デッソーだけなので、アルバム・タイトルがそこから来ているのは確か。となれば、聞きながら、今はこの世から消え去ってしまっただろうあの界隈のことを思い出さないわけにはいかない。短い新聞の評文にはそんなことは書けないから抽象的な賛辞しか出来なかったけれども、これはもう、個人的な体験と照らし合わせずにはいられない作品なのだった。
思えば、「WARREN STREET」の次の「ETERNAL FLOWER」は僕とダギー・バウンのノイジーなギターが交錯する曲で、このアレンジをしていた時には僕は確実にソニック・ユースを意識していた。本当に奇妙な偶然だけれども。そして、「ETERNAL FLOWER」のサウンドは僕の中では9月11日にレコーディングしたPHATの「BLACK BIRD」へと連なってしまう。この2曲は僕が今までプロデュースした楽曲の中で際立ってノイジーなのだ。なぜだったのだろう?と考えると、頭がクラクラしてくるが。

05.30
終日、原稿。書けない。書けない時は白い鰐が・・・じゃないけれども、書けない自分について書くしかなくなる。そもそも、僕は何かにつけ、個人史に立ち戻ることしかできない書き手だと自覚している。日本的な私小説の伝統の末席を汚しているのかもしれない。名著だと言ってくれる人も少なくはない一冊の単行本にしても、個人史を書き綴ることをふとした瞬間に裏返して、グローバルな音楽論として成立させてしまうという、はなはだ怪しいレトリックの上に成り立っている。まあ、そのレトリック(と敢えて言ってみる)を可能にするために、ちょっとばかり、他の音楽評論家がやってないようことを僕はやってきたとは思うけれど。
しかし、今現在の時点で僕に同じことが出来るだろうか? 出来るとしても、そのことに意味があるのだろうか? というようなことを先週あたりからずっと考えていた。夜、スタジオにとある物を取りに行くため、涼しい風が吹く中、自転車を走らせていたら、ようやく出来そうな気がしてきた。そもそも書けないのは、何かをひねり出そうとしているからだ。考えがえあぐねる前に、もっともっと起こったことをそのまま書こう。この日記みたいに。そのうち、どこかでひょいと裏返せるだろう、と考え直して、再び原稿。

05.31
早起きして、とあるレコード会社用原稿を自分でも驚くスピードで書き上げる。午前中に下北沢のハイライン・レコードへ。オグミン以下とミーティング。ハイラインはいつ行っても活気があって楽しい。好きだからこそ音楽の仕事をしている空気がある。昨今のメジャーのレコード会社の重苦しいムードとは対照的。
渋谷に向かい、午後よりエムズ・ディスクでミキオさんのマスタリング。ほとんど滝瀬さんにお任せでスラスラ進む。今回のマスタリングは事前に自分で一度、仮マスタリングして、方向性や問題点を洗い出してあったので、ポイントだけ伝えれば良かった。自分でミックスした曲のマスタリングは、他人の客観的な視点が欲しくなるので、マスタリングに際してはコントロール・フリークになり過ぎないように心がけているところもある。
アルバムはヴァラエティーには富んでいるものの、こんな曲もあんな曲も、とどんどん聞かすテンポ感があればいいなと思って、シークエンスはなるべく曲間短い展開にした。マニー・マークの1枚目みたいなキーボーディストのアルバムをちょっと意識。
6時にほぼ終了。コピー作業の間に僕は近くの某マネージメントへ。旧知の、しかし、10年ぶりくらいに会う取締役とミーティング。音楽ビジネスの現状について、いろいろ話しつつ、ビジネス上の協力関係について前向きな話を。スタジオ戻ると、ちょうどコピー作業終了。帰り際、滝瀬さんにYAMAUCHIの「月の出汐」を手渡すと「アーッ」と言って、笑う笑う。
さらに渋谷で今度は某インディー・レーベルと契約関係のミーティング。懸案事項解決。久しぶりにえん突レコーディング、寺西と会って談笑。それにしても、ハイライン以下、今日訪れた3社はインディーもやりつつ、マネージメントとしてメジャーと渡り合いつつ、みたいな会社で、しかも、今が旬の売れているアーティストがいるという点で共通している。音楽好きな若い社員ががんがん動いている感じも。そのあたりで、自分のやっていることの将来についても思うところ、考えるところ多かった。
クアトロのHARCOのワンマンに向かうがちょうど終ったところ。入り口でいろいろ知り合いに会ったので、朝日美穂「HOLIDAY」のサンプル渡していたら、朝日本人も会場から出てきたので、そのままプロモ・ミーティング。井の頭線ホーム上のスターバックスに入ったら、目の前の通路を見たことあるふたりが。FLEX LIFEの大倉くん、青木さん。しばし談笑。新しいシングルが出来たそうだ。期待してま〜す。

06.01
原稿、原稿、と言いつつ、ちっとも進まないまま、日中が過ぎる。夕暮れて、涼しくなった頃に詩野ちゃんから電話。近所に来ているという。タラ・ジェイン・オニールの自由が丘公演というのは、実は目黒通りを越えて、うちの方まで入ってきた住宅地に会場があったのだった。しかし、満員で入れそうもない、ということだったので、じゃあ、ご飯でも、ということでふたりで自由が丘グリルへ。ちょっとリッチな焼き魚定食など食す。あれこれこれこれ喋る。現在、執筆中の長めの原稿のテーマは「カメレオン・ミュージック」。90年代はエディトリアルの時代だったが、2000年代はカメレオン(のように七変化する音楽)の時代だ、というような骨子だったのだが、それについて調子に乗って喋っていたら、「カメレオンって、それはつまり健太郎さんでしょう」と言われる。そうだったのか。そういえば、昔、ウッディ・アレンの「カメレオンマン」を観に行った時に、当時のガールフレンドに「あんたがカメレオンマンだ」と言われたような記憶も。自由が丘まで詩野ちゃん送った後、夜風に吹かれて散歩。また、あれこれこれこれ考える。

06.02
昨夜、詩野ちゃんの前で喋り過ぎたせいか、思うところがまた拡がってしまい、原稿が収拾つかなくなってしまった。グローバリズムとローカリズムという縦軸と、エディトリアルとカメレオンという横軸の交差のさせ方に悩む。そもそもコレ、全部書こうとすると、倍の原稿量を使わずにはいられないだろう。どこかで諦めも必要か。
原稿仕事でつまづいてしまうと、僕はベッドから出られなくなる。身体中にちらばってしまった思考の粒子が脳内にもう一度、集まってきてくれて、文章を形作る態勢が整うまでじっとしている。こんな風になるのは原稿仕事だけで、これは病に違いない。売文業を続けてきた積年の病。他のことだったら、何かしら、作業をしていれば出口が見つかるものだ。だが、原稿仕事はワープロに向かっていればどうにかなったり・・・は絶対にしない。脳内でGOサインが出るまでは。
この病はワープロなどというものがあるからかもしれない。原稿用紙に向かっていた時代は、鉛筆と消しゴムと格闘するうちに、何か書けたものだった。ギターやピアノに触っていれば、何かメロディーやコードが出てくるのと同じように。道具に触れる快感というのは重要だ。しかし、それがワープロにはそれがない。単体ワープロの時代はまだあったかもしれないが、パソコンに触れるのは苦痛はあっても快感はまったくない。しかし、かといって鉛筆と消しゴムに戻れるかというと、絶対に戻れないだろう。
ベッドでじっとしていると体調も悪くなる。腹はすかないのに、欲求不満ゆえの食欲は満たしたくなり、不健康な過食に陥る。シール貼りや封筒作りのような単純反復作業をすると、ちょっと癒されたりする。
夜、スタジオへ。6/29の岡村トリビュート・イヴェントの朝日美穂ライヴのメニューについて、朝日と相談。ピアノ弾き語りを聞かせてもらって、少しだけ、コードの差し替えなどを検討。