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今回は、世代間の問題を考えてみたいと思います。
「団塊の世代」という言葉は、説明するまでもなく皆さんよくご存知のことと思います。これまでは、単に競争が激化する社会の象徴のように使われてきた言葉です。日本の高度経済成長を支え、近代のわが国の象徴のようにも使われてきました。しかし、ある一面からこの世代のことを考えたとき、私はここに多くの社会問題の根源をなす教育問題の見地から、ある法則のようなものを見つけたような気がしています。
団塊の世代と呼ばれる、今の40代半ばから50代前半の人達の青春時代、わが国には様々な社会現象が起こりました。それはそれまでの常識や文化を覆すような、大きな転換期であったと思います。そしていま、大きな社会の価値観の変化や、社会の枠組みの変化による大きな転換のうねりがわが国を襲っています。いまの社会の中枢にいるのは、やはりその団塊の世代の人達です。そして、そのうねりは青年たちにも伝わっているのか、いじめ、不登校、そして犯罪の低年齢化という、大きな波に襲われています。ここでよく考えてみると、その青年たちは、団塊の世代の子どもたちです。
私達が議員として活動をしていると、様々な陳情が寄せられます。人の役に立つならと毎日処理をしていますが、先日その記録を見ていて、ふとある法則性に気づきました。陳情の中には、社会全体を考えたもの、生活の上からせっぱ詰まったものなど、様々ですが、その中にも、ただ一方的にわがままな権利や、自分の利便のために法を犯すような、とても実現できそうにないもの、自分にのみ利益を得たいもの、そして自らの義務を果たすことを条件に実現の可能性を探ってくるもの、自分の利益を殺しても全体の為に実行しなければならないものというように大きく分類できるようです。
そして、前半に述べたような、単に自分のわがままな陳情をしてくる人が多いのが、70代半ばすぎの高齢者と50歳前後の人に実に多いことに気がつきました。これは、先に述べた団塊の世代とその親たちの年代です。一方、後半に述べた、義務意識のわり方はっきりしたものはその年代の間に入る人達が多く見うけられます。
これは私の経験上の話しで、たまたま比率が多いということで、全体が、また全国的にそうなのかはわかりませんが、このことから結論的に導き出せば、団塊の世代に関連した親子の世代と、その間にサンドイッチ状に入る、それ以外の親子の世代に大きく二分されるように思います。
家庭教育の面、また「子は親の鏡」という考え方からすれば、親の考えや行動が子に伝わるのは当然のことですので、二つの大きな流れが順番に社会の中枢を切り盛りして行くのは、至極あたりまえのことなのかもしれません。
では、私の一方的な解釈ですが、このことを踏まえた上でこれからの社会のことを考えてみましょう。今は、子ども達の荒れとか、青少年犯罪とかで社会全体ががたついていますが、もうすこしすれば、団塊の世代の子供達に変わる、もう一方の世代の子供達が成長してきます。この理論でいけば、そのころはまた社会は落ち着きを見せ、平穏と発展がやってくるのではないでしょうか。
ただ、悪貨は良貨を駆逐するといいます。次の世代の子供達が、今の社会の風潮に引きずられ、変わって行くことがないとは言い切れないのです。つまり、私達は、次の世代の子ども達が親からしっかりしたものを受け継いで、その心を社会生活に生かせるように、しっかりと家庭での教育、社会での教育というものを大事にして行く必要があるのではないでしょうか。
もう一度確認します。これは私の少ないデータから導き出した理屈のため、必ず全体がこの理論に当てはまっているのかは確証がありませんし、また私のデータの中でも、全員がこの理論に当てはまっているわけではなく、あくまで「傾向がある」というものです。しかし、いずれにせよ、こういう時代であるからこそ、子供達の教育は人の手に任せるのではなく、しっかりした意識のある人が、今こそ教育に参加して、これからの社会を作って行く礎を気づいていくべきものなのではないでしょうか。
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