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熊本市の歴史おもしろ話しの部屋 

 熊本と言えば熊本城。修学旅行でご覧になられた方も多いことではないでしょうか。熊本城は日本5大名城と言われていますが、専門家に言わせると、3大名城と数えても決しておかしくないそうです。その3大名城とは姫路、名古屋、熊本だそうですが、このうち名古屋と熊本は加藤清正公の手で築城された城です。ほかにも清正公は江戸城の桜田門付近も築城し、近世城の基礎を築いた築城の名人と賞賛されています。それだけにそこにまつわる逸話も数多く残されています。この特集では、まず数回に分けて熊本城にまつわる興味をそそりそうな話しを特集してみます。

 <秋の特集>

熊本城の6 熊本城の歴史と歴史が証明する築城の秘密

熊本城の話しも今回がそろそろ最後となります。そこで、締めくくりとして、歴史的な城の成り立ちを話しておきたいと思います。

熊本城は、もともと隈本城といい、南北朝期にはすでにその名があります。しかし、その場所と城主がわかっているのは15世紀の後半からで、当時は出田氏が千葉城(現在のNHK熊本放送局、今の城の東となり)に築城していたようです。その後は鹿子木氏によって古城(現在の県立第一高校、今の城の西となり)に移され、現在の茶臼山に築城されたのは、おなじみ加藤清正公のときであり、390年ほど前のことです。

熊本城は平山城であり、植木台地の先端の丘陵にあり、海抜は約50メートルで、東は崖、西はなだらかに低くなっています。要害とするために、自然の河川を利用した堀を二重にめぐらし、本丸は武者返しで有名な石積とするだけでなく、櫓はすべて石積より床面が張り出したものとなっています。

この、堀のかわりに使った河川は自然のものの流れを変えて城の周りに引き込んだものですが、同時に水量を増やして水運にも利用できるものとなっていました。そしてこの河川のうち、最も大きく、他国へつながる街道にかかるものには橋がひとつ(長六橋)しかかけられず、第一段目の防衛線となっています。熊本城は、自然を巧みに利用した、町全体が城郭をなし、いわば中世のヨーロッパの城のような面持ちがあります。

熊本城の特徴は、大天守は戦闘用、小天守は居住用としての機能を持っているところですが、大店主の中はすべて畳敷きであり、いざというときは、町屋のものまでこの中に非難することができるようになっていたことです。私がヨーロッパ的という理由もここにあります。

これは清正公がまちの人を大事にしていたことの表れでもあり、築城の際にも、直接の建築工事は農閑期を選んで行われ、普請に参加した民には、日当を支払っただけではなく、夜には酒肴をふるまってねぎらったとも言われています。これが今日でも「清正公さん」として人々から親しまれている原因なのでしょう。

さて、熊本城はどの角度から見るのが一番美しいのでしょう。それは、北東部からといわれています。熊本城の正面とも言うべき大手門は東側であり、のちに(加藤忠弘時代)に西側に変更されていますが、ふつう正面からの景観がよくなるように作られそうなものです。しかし、この城の内部には豊後街道がとおり、参勤交代もここを通らなければならないなど、人の往来がたいへん多い街道があったため、この北側からの景観を重視したといわれています。大天守と小天守がオフセットして、折り重なって見える姿はたいへんに美しいものがあります。

また、熊本城の特異な点はほかにもあります。加藤清正公は朝鮮のウルサンで過酷な篭城線を経験したことから、120にものぼる井戸を掘り、また3000畳にものぼる天守の畳の芯はずいき(白芋づる)で作られたようです。それだけではなく焚き物とするために雑木を大量に城内に植え、矢竹の栽培されています。現在でも植栽の様子や、天守の井戸は見ることができますが、深さ100メートルはあろうかという井戸を見るとき、築城に対する思いが感じられると思うのは私だけでしょうか。

このほか、抜け穴があったともいわれ、今だ学者による調査が進められていますが、日本で一二を争う大きさのこの熊本城は、そう簡単にはその全貌をあらわしてはくれません。建物に関する図面は不思議なくらいよく残っていて、復元にはそう苦労はしないそうですが、加藤清正公の築城の思いはそれからは伝わってきません。大天守の上に立ち、眼下に広がる熊本平野を眺めるとき、もしかしたらそっと清正公が語りかけてくれるのかもしれません。

 

 これまでの特集へ(書庫)

1997年秋 熊本城の1 熊本城と白狐

1998年新年 熊本城の2 熊本城本丸御殿の謎

1998年春 熊本城の3 山伏塚と横手の五郎と

1998年夏 熊本城の4 地図石の謎

1998年秋 熊本城の5 加藤清正の死と加藤家改易の謎

今後の特集予定

熊本の巨石遺構郡にみる有史以前の歴史の謎

熊本の夏至の日に光る石