ハセガワ 1/12 YZR500 0W98→0W86 作製記 その4

仕事が多忙で作製ペースが落ちた時もありましたが、ようやく完成しました、1987年にランディ・マモラが駆ったYZR500です!

資料は当時のもの、RACERSなど豊富にありましたが、一応開幕戦日本GPの仕様です。チーム・ロバーツは第2戦以降シートカウルが他のチームと違う形になるので、その辺の資料があまり無かったこともあります。レインタイヤではないので予選仕様という感じです。


シンプルなのにカッコいいラッキーストライクカラーがいいですね〜以前、鈴鹿8耐で淡いパープルのテック21カラーのバイクに乗ることに難色をしめしたというケニー・ロバーツですが、「これがオレの理想のレーシングマシンのカラーリングだ」と言わんばかりに決まってますわ。


作製記で書いてませんでしたが、仮組後にシート高が0W86の方が高く見えたので、プラバンを重ねて再現しました。0W86の特徴の下側チャンバー後方の細長く伸びた部分もうまく再現できたかな?サイレンサーのカーボンデカールは以前テック21YZR500でやったように、リベットの部分をポンチで穴あけして貼りました。


まだ下側チャンバーが左右に振り分けられた時代、スイングアームは加工に苦労したけど、ほぼ左右対称に再現できました。エンジンはカウルを固定するのでいじってませんが、カウルすべてとフレームの見える箇所、前後サスにチャンバー4本など、ほとんどのパーツを改造することになりました。


赤はタミヤのイタリアンレッドで。だいぶ前に作ったラッキーストライクYZFの赤が明るめだったので今回はイタリアンレッドと決めていました。


前と後ろ。初めてこの87年型を雑誌で最初に見た時、「このフロントカウルで空気抵抗は大丈夫なの?」と中学生ながらに思ってしまいましたが、そんな当時の雰囲気も出せたでしょーか?


さらに当時を思い出すと映画「プライド・ワン」のビデオを見て、無冠の帝王、ランディ・マモラとか言っていましたが、この年はチャンピオンに手が届きそうだったので一年間ドキドキしながらレース結果を待っていましたが(当時はレース二日後の新聞のスポーツ欄に文字だけ!あとは約一か月後のバイク雑誌、映像はTSBで深夜に2〜3戦まとめてダイジェストで放送してましたが途中で打ちきり・・・)、ワイン・ガードナーとタイトルを争い、惜しくもランキング2位でした。でも、雨の日本GPで独走優勝など、思い出深いシーズンでした。次回作も、YZRになりそう。さて何年型でしょう?

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