仙人的生活


 古来仙人とは世俗を離れ、思索に一日を費やし、酒飲んで寝る事を生業としている人々の事をいう。早い話が社会不適合者の事である。

 最近、私は自らが彼らに近づきつつあるのでは無いかと思っている。すまない、口がすぎた。その弟子、いや弟弟子程度の資格なら有るだろう。読者の方々は「なにいっとんじゃ、この唐変木。使用済み便所紙より役に立たんくせに。」と10ns程度で判定したと思うがもうしばらくお付き合い願いたい。

 彼らは昔自らを世間と隔絶するために山に篭った。山に篭れば人と出会う可能性は極端に減る、昔の事であるから人と会わない事は同時に情報を入力しない事になるだろう。つまり彼らは思索の邪魔となる雑音から逃れるために山に篭ったのだ。

 今、山に篭る事によりこれらの生活が可能であろうか?私の考えから述べれば答えは否である。テレビの放送が全ての国民の頭上に等しく降り注ぐ時代である、まあ降り注ぐものの内容を確認しようとすれば金が必要なのだが。とりあえず山に篭ったからといって何とかなるわけではない、何とかなったのは情報(雑音)が人伝えに伝搬していた時代だったからだ。

 コレでは今、我々が仙人になるのは望み薄のような気がする。しかし考えてみてほしい、自らに必要の無い情報を受けないようにするだけなら現在のほうが簡単ではなかろうか。それはテレビを見なければ良いのだ、どうせ熱心に見たところで役にたつ情報が総量の0.1%でもあれば多い方である。テレビさえ見なければ流行に煩わされる事も減り、他人の豪奢な生活を見せつけられることもなく、うそっぱちの旅行記に一々ツッコミを入れて疲労する事もない、平穏で安楽な日々が待っているのだ。

 現在仙人になるためには目の前の受像機の電源を引かなければよいだけである。簡単ですね。

 そのうち他人と会話があわなくなるのが唯一の欠点かもしれないが。あ、コレでますます世間と離れる事ができるじゃないか。(涙)

 というわけでA2Cの仙人講座を終わります。次回は正しい末法思想と終末論について講義するので予習してくるように。



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