哀悼 ブライアン・アダムス

"On August 13, 2007, Adams was found by his wife unconscious in bed and not breathing. His wife then dialed 911. When paramedics arrived they could not revive Adams. He was pronounced dead of an undetermined cause. Adams was 43 years old. Police noted that "there were no visible signs of injury."
…突然の訃報に接して数日経つが、いまだにブライアン・アダムスの死が信じられない…。

2000年、WCW「THUNDER」で一目惚れしたタッグチーム・クロニックのあれこれを綴りはじめて6年、こんなに哀しい結末を迎えるなんて残酷すぎる…。でも、この悲しみ以上の喜びを彼から貰っていたことは「週刊アダムス君」を読み返すとよくわかる。

クロニックのファンでいることは、楽しいけれど大変だった。(笑)
"MONDAY NITRO"、"THUNDER"に毎週一喜一憂して、WWFの理不尽な扱いに本気で腹を立て、全日本プロレスへの電撃参戦はうれし泣きのち悔し泣き、米国のファンと大げんかしてストーカー扱いされたり、ボクシング転向のウワサに戸惑い、W-1の内容はさておき初めて対面した彼らの優しさに惚れ直し、引退を悲しむうちに故郷ハワイのWPCWで復活?!オアフ島とハワイ島にまで追っかけて、HCWと全日本プロレスのコラボには首をひねったり…泣いて笑って怒って喜んで…ちょっと休ませてよと思うぐらい忙しい毎日だった。だからニュースが途絶えた2005年からも「便りがないのは元気な証拠」「クロニックは忘れた頃に復活する」「この空の下に彼らもいるんだから」…そう信じてやり過ごして来た。

今、撮りためた写真を見るのは辛い。しかし、クロニックをブライアン・アダムスというプロレスラーを忘れないために何かを残しておきたい。
“クロニック”であった頃のブライアン・アダムスは最高に格好良かった。ただ“クロニック”というキャラクターを創り出すために、彼が命を縮めたのだとしたら、それは哀しいことだが…。リング上での無敵で無頼な表情とは裏腹に、普段はとても穏やかで優しいこと、その優しさが災いして大成功出来なかったことも彼の魅力だったのだから。

彼の死を受け入れられるようになったら、お墓を訪ねてみよう…それがいつになるかわからないけれど。

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夢中になれる何かが存在することは幸せだ…失って初めて気づくものなんだね。私の想いは叶いっこない夢をほどほどのところまで現実にしていった。たとえ、その代償に夢が粉々に砕かれることになったとしても、確かに私は幸せだった。
2007年8月17日〜Sentencedの"Funeral Album"を聴きながら