ディープ・インパクト

98年、アメリカ
98/07/10、ワーナー・マイカル・シネマズ新百合丘8


98/11/29 作成、98/11/29 更新


予告編を見た時に、お涙頂戴っぽいシーンが多そうだなぁ、と思っていたのだが、実際に見てスペクタクル・シーンは4、5回のみで、映画の大部分はドラマ部分である。最近のハリウッド大作にありがちな、スペクタクル・シーンをつなげただけのような映画に食傷気味の私としては、この時間配分は正解だと思う。

ところが、このドラマ部分が薄っぺらで全くなってない。盛り沢山のエピソードを手際の良さだけで映像化しただけという感じで、盛り上げようという作り手の気持はが全く感じられない。例えば、大統領が記者会見で彗星の衝突を発表するときのテレビの前の一般人の反応は、ちょっとした不幸なニュースを見ているような呑気なものである。単なる死の宣告ではない、人類滅亡の宣告に等しいものを受けたというのに、である。以降さまざまなお涙頂戴エピソードが続き、生き延びようとする人々、自ら死を選ぶ人々が描かれるのだが、当然描かれるべき命の重みや、死を選択することの苦悩なども、ことごとく描かれていない。ちょうど限られたヘリコプターの座席をめぐってクジ引きをするシーンがあるが、自ら死を選択した人々も、まるで掃除当番のクジに当たってしまったのを受け入れるような軽い気持で、あっさりと死を受け入れる。念のため断っておくが、命を捨てるのは間違っていて、もっと生き延びようとするべきだとか、血迷った行動をしたり自暴自棄の人々が描かれていなければ、事の重大さを描いていると言えない、などと言っている訳ではない。

彗星爆破の任務で宇宙に飛び立った宇宙船が、最後の手段で核爆弾もろとも彗星に突っ込んで自爆するシーンは、自己犠牲の最たるもののように見えるが、地上の管制システムは津波で破壊されているし、着陸できたとしてもシェルターに入らなければ死ぬのだから、実はそれほどでもない。

彗星上のシーンや津波のシーンはなかなかよかったので、ミミ・レダー監督はアクション以外はいまいちなのだろうか?

制作総指揮のスピルバーグの作品「未知との遭遇」と「E.T.」で、同じようなテーマでありながら後者がはるかに優れているのは、、前者にあった国家レベルの活動のシーンがなく、あくまで個人的視点で貫かれているところである。この映画ももっと個人レベルのエピソード中心に描いた方がよかったのではないか。

以上、これだけの欠点ならただのダメ映画で片づけるところだが、許せないのは冒頭の交通事故シーンである。あのシーンはその後の展開に何の関係もないので、「ここで車を爆破させとけば、観客は喜ぶだろう」というのがみえみえである。観客を馬鹿にしているとしか言いようがない。


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