CCCDのことについて、最近、よく意見を求められるので、以下、幾つかの観点から、思うところを書くことにする。

現行のCCCDを好ましいと思う人はいないだろう。もちろん、僕も好きになる理由はどこにもない。なにしろ、通常のCDよりも音質が劣る、とされているメディアなのだから。16ビット、44.1KHZサンプリングという現行のCDの規格自体が、とうに賞味期限切れのものだと僕は感じている。そこに粗悪なコピー・プロテクト・プログラムを載せるなんて、頭の良い人間のやることではない。
しかし、実際のところ、通常のCDとCCCDにはどのぐらい音質差があるのか、僕の最大の関心事であるこの点に関しては、残念ながら、信頼すべき情報はまだ得られていない。信頼すべき情報を得るには、マスタリング・エンジニアから話を聞くのが一番だろう。自分がマスタリングしたマスターテープを工場に送って、それがCCCDとして生産された場合、どのくらい落差が生じたか、マスタリング・エンジニアなら知っている。しかし、クライアントの手前、それを公に発言するのは難しいにも違いない。
エーヴェックスが最近、リリースしたCCCDの中で、僕が最も注目したのはアート・リンゼイの新作「INVOKE」だった。というのも、前作の「PRIGE」はとても音が良かった。うちのステレオ・セットのリファレンスのひとつになるくらい。が、なぜか「INVOKE」のサンプルはCD-Rでしか来なかったので、音質を厳密に判断することはできずにいた。しかし、先日、ようやく製品盤のCDが手に入ったので、「PRIGE」との聴き比べが出来た。
結果、一聴して「PRIGE」と「INVOKE」には明らかな音質傾向の差が感じられた。「INVOKE」はハイエンドが今一つ伸びていないのと、音の立ち上がりがやや鈍いため、スピード感に欠ける。音質には人の好みもあるとは思うが、少なくとも、「PRIGE」のサウンドが好きだった僕をがっかりさせるものだったのは確かだ。
ただし、クレジットを見ると、ミキシング・エンジニアはどちらもパット・ディレットだが、マスタリング・エンジニアは異なっていた。「PRIGE」はスターリング・サウンドのテッド・ジェンセン。PHATの「色」と同じ。世間的には宇多田ヒカルと同じと言った方が良さそうだが、ともかく、世界最高峰に数えられるひとり。一方、「INVOKE」はDVDラブのポール・アンジェリという見知らぬマスタリング・エンジニアだ。となると、両者の差はマスタリング・クォリティーの差でもあるかもしれず、「INVOKE」がCCCDだから音が悪いとは断言は出来ないことになる。
が、ここまで考えて、しごく当然のことに僕は思い当たった。というのは、CCCDを生産する場合にはマスタリング・スタジオから送られてきたU・マチックのマスター・テープをそのまま使うことはないのではないか?
ハイエンドが足りず、アタックが弱い「INOVOKE」の傾向は、実はマスターをCD-Rにコピーした時の音質傾向によく似ている。一言いえば、音が眠いのだ。そして、これはオーディオに映像やその他のプログラムを加えたエンハンスドCDを生産する時にも起こることだ。エンハンスドCDはマスター・テープから抽出したオーディオ・ファイルとその他のデータ・ファイルをコンバインして、一度、CD-Rに落とし、そのCD-Rからプレス・マスターを起こす。当然ながら、このマスターCD-Rを作る行程で、音質は大きく損なわれる。コピー・プロテクト・プログラムを加えねばならないCCCDも、考えてみれば、同じ行程を経なければならないはずだ。
CCCDはエラー補正をたくさん行うことになり、CDプレイヤーのサーボに負担がかかると言われるが、それ以前に、この余計な生産行程において、CCCDは通常のCDよりも音質劣化せざるを得ないのではないか? そう考えると、「INVOKE」の音質傾向はさもありなん、というものに思えてくる。
ところで、僕はマック・ユーザーだが、この「INVOKE」はマックではプレイできないと書いてある。しかし、マックではリッピングが不可能かどうか、一応、試してみた。すると結果は・・・いつもの方法でリッピング出来てしまった。うちのマックはいまだシステムが8.6なので、iTUNEなどは使えないため、僕はオーディオCDからファイルを吸い出すにはとある古いソフトを使っている。現在は入手不可能の、かなり特殊なソフトだろう。が、まずまず高音質のAIFFを作ってくれるので、手放せずにいる。それで簡単にAIFFを作ることが出来たし、AIFFになってしまえば、MP3を作るのも簡単だ。なので、少なくとも僕にとっては、これはまったくコピー・プロテクトの存在すら感じさせないCDだったことになる。

さて、音楽制作者としての立場から見れば、こんなCCCDには僕は何の用もない。音が悪くて、かつ、プロテクトなんてまるでザルなのだから。
しかし、だからといって、誰かがCCCDというメディアで作品を発表することに反対するかというと、それはまた別の問題だ。オレはアナログでしか作品を発表しないよ、という音楽家がいたっていいように、CCCDでしか発表しないよ、という音楽家がいたっていいわけで、それはまず、個々の音楽家の主体性に帰するべき問題ではないかと思う。アート・リンゼイやテイ・トーワのような音質に対してシビアであるに違いないアーティストが、CCCDで作品を発表することには、僕は首を傾げざるを得ない。とはいえ、彼らがレコード会社の方針に従わざるを得なかったのか、あるいは、音質を捨てても自分の作品はコピーしてくれるな、というメッセージを自ら選び取ったのかというのは、僕には判断できないことだ。どちらでもなかったのではないか(検証することや論議することを避けている?)、という推測はあるにしても。
いずれにしろ、彼らはCCCDで作品を発表するようなアーティストではある。そのことに対する評価は僕なりにはある。そして、僕はCCCDを進んで買うことはない。ただし、あくまでも「進んで」ではあって、絶対にないとは言わない。単に好まないだけだから。
その一方で、絶対にないことがあるとしたら、僕は市販されているCDのオーディオ・ソースをリッピングすることは絶対にない。過去にもしたことがないし、これからもないだろう。CDからAIFFを抽出するリッピング・ソフトを僕は使っているが、それは自分が制作に関わったCDからデータを吸い出す目的でしか使っていない。著作権に関わる仕事をしている者としては当然のことだ。僕から市販のCDのソースをCD-Rに焼いてもらったなんて人はいないはずだし、その点において、僕は何度も不親切なヤツにならざるを得ないで来た。しかし、CCCDについて論議するとしたら、論議する権利を持つのは不正コピーのためのリッピングなどしたことがない人間だけ、と考えるのは当然だろう。
にもかかわらず、CD-Rを友人同士で交換しているような人々までがCCCDに反対を唱えているのを見かける。CCCDに対する違和感よりも、そちらへの違和感の方が大きい・・・と書くと反発を受けるだろうか。自分の身の回りで信じられないほど著作権に対する意識の薄い行為が繰り返されているのを僕は日々、目の当たりにしている。友人のミュージシャンが、僕のレーベルのCDを誰々(別のミュージシャン)からCD-Rに焼いてもらった、と平気で言ったりするのだから。彼は「CDがとても良かった」ということを僕に言いたかったのだが、一方で不正コピーのことは意識にも昇っていなかったのだ。音楽家自身がそう。あるいは、レコード会社やその他のこの業界で働いている人々の多くがそう。後ろめたさの微塵もなく、データ用のCD-Rに焼かれたオーディオCDが行き交っている。日々、そんな光景を見ていれば、ちょっとばかり野蛮なやり方でも、そこに一石を投げてみたくなる気持ちは、理解できなくはない。
僕も現行のCCCDは嫌いだ。が、先にあるのは不正コピーが行われている状況の方だということは考えないわけにはいかない。コピーのせいでレコードが売れないとか、いや、原因はそうじゃないとかいった論議とはまた別のこと。とにもかくにも、うちのCDはパソコン上ではコピーさせないよ、とするレコード会社やアーティストが出て来た時に、それを批判する倫理を見つけられるかというと、僕は見つけられない。と同時に、一部の不正コピーをしている人々のために、CDにお金を払っているまっとうな音楽ファンが不利益を被るのはおかしい、という論調にも正当性を見つけられない。だって、すでにある状況がおかしいのだから。そして、その状況に荷担している人間とそうでない人間の間に線を引くことなど出来ないのだから。
僕は市販のオーディオソースのコピーはしないと誓うことは出来るが(短いサンプルは別)、それでも、CCCDは僕達が生み出してしまったものという意識はある。そして、CCCDを批判するなら、よりスマートな代案を手にしてでなければ、意味はないとも思う。メディアや機器に従来の私的録音権の枠を越える、パソコンによってデジタル・コピーされることまでを考えに入れた、より重大な課金を行うという方法だってある。電気メーカーをバックグラウンドに持つレコード会社は及び腰になるに違いないが。エーヴェックスという、新興インディー・レーベル(巨大にはなったが存在としてはそうだ)が、CCCDの先陣を切ったのは、そういう意味でも頷けることではある。

素敵なコンピレーションCD-Rを作って、誰かにプレゼントしたりする楽しみを僕も理解しないわけではない。僕も若い頃にはカセットでやったしね。一度、コピーされる度に著作権保有者に印税が発生するようなシステムがあれば、人々は後ろめたい思いなしに、自由にコンピレーションを作ったり出来るかもしれない。
CCCDの皮肉のひとつは、U・マチック・マスターの音が聞けないCCCDは、それこそ、CD-Rコピーでも遜色ない音質になってしまったということだ。魅力的なオリジナルを作ることで、コピーの増大を防ぐという考え方には完全に逆行している。現実にはコピー・プロテクトは抜け穴だらけで、機能しないのも明らかだ。しかし、CCCDが携えているメッセージは「それでもやるよ、これ以上は待てないから」ということだろう。時期尚早とか議論不足といった批判には、だから、効力がないとも言える。
現行のCCCDが短命なものに終ることを僕は祈っている。が、それは現行のCCCDに試金石としての意味を積極的に与えることによってしか実現されないだろう。だって極論すれば、レーベル・オーナーのひとりとしては、僕も思うのだ。もし、音質的な問題がない厳重なプロテクトが可能なら、うちのレーベルのCDも明日からコピー・コントロールをするだろう、と。