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12.02
ついにやってきたPHATのアルバム・マスタリング。意外に余裕の気分で、滝瀬さんのところへ。でも、マスタリングが長丁場になることは覚悟。
最初の2曲でややつまづくものの、3曲目以後は快調。なにしろ、エムズ・ディスクの巨大なATCのモニターで、マスタリング作業前のマスター・テープを聞く度に、おお、このミックスは9点!10点!と思える曲が続く。滝瀬さんはかなり積極的な音作りをするタイプのマスタリング・エンジニアなのだが(GMLのEQをツマミを盗み見ると、6デシベル以上、どこかのポイントを上げていたりする)、今回はコンプを弱めてもらったり、ローを減らしてもらったり、とマイナスの方向でお願いすることが多かった。
メンバー3人もかなり細かい注文が多い。ここまで周波数帯域についてアレコレ議論できるバンドというのも珍しいかも。僕は余裕でそれを眺めていれば良かったりもする。ミックスの完成度高いと、あとは他人任せの方が良い気がしてくるし。今回はアナログ・レコーディングの太い録り音、プロトゥールズ内での細かいエフェクトやオートメーション処理、ヴィンテージ機材が大活躍したアナログ・ミックスがバランス良く作用した。僕個人にとっても、かなりのスキルアップが体感できるレコーディングだった。
中盤は順調だったのだが、最後から2曲目、先行のマキシ・シングル収録曲「デイト」のロング・ヴァージョンまで来て難航。ポップな曲のマスタリングというのは難しい。音太く、リッチになると、グルーヴが重くなったり、メロディーのポップさが減って聞こえたり。こないだ難航した朝日美穂「HAPPY NEW YEAR」と同じような状態に。でも、今日はこんなこともあろうかと、自分でSONYのMDラジカセを持ちこんでいたので、それで何度もチェックして乗りきる。
あと、今回は24BITのDATでマスターを持ち込んでいるのだが、TASCAMのDATの故障中に落さねばならなかった1曲と、9月以前にミックスしてあった3曲は16BIT。通して聞くと、結構、この違いが明らかだったりして、16BITの曲はどうしても倍音の伸びや全体の音像の拡がりが足りなく聞こえる。でも、24BITのDATレコーダーは世界にTASCAMのDA45HR一機種しかなく、どこのマスタリング・スタジオに置いてあるわけではない。何をマスターにするべきか混迷の時代。24BITのSD2ファイルで・・・という手もあるが、プロトゥールズ内で一度バウンスして、ハードディスクからCD-Rに焼いて、マスタリング・スタジオのコンピューター環境に持ちこんで再生するのは、デジタルとはいえ、不安が大きい。再生するソフトウェアによっても音は変わるし。
そういう意味では大半をDA45HRの24BITのDATで持ちこめた今回はストレスが少なかった。レコーダーとプレイヤーが同一なわけだから。しかし、このマスターメディアの問題は誰か何とかして欲しいなあ。こんなにスタンダードが失われてしまった時代ってのもなく、そこで音楽制作者が右往左往しなければならないってのは、音楽そのものへのエネルギーを削ぐことになると思うんだけれどな。。
で、スタンダードといえば、この件にも触れねばならないだろう、CCCDの件。65分以上のアルバムはCCCDには出来ないということだったので、今回は最初から65分以上のアルバムをめざしたのだが、8月以後にレコーディングした11曲のトータル・タイムを計算したら64分40秒ほど。アレ〜、何曲かエンディングのフェイドアウトやカットアウトを作ったせいか。しかも、その後にスタンダードが変わり、東芝EMIでは65分ではなく、68分以下は自動的にCCCDになることになっていた。
なので、このままじゃCCCDになってしまいます。でも、こんなこともあろうかと思って、12曲目にボーナス・トラックを用意してあった。去年の暮れにスタジオでジャムった完全アコースティックのセッション。これを入れれば68分なんて楽勝・・・と思っていたら、今日になって、再びスタンダードが変わったという知らせ。A&Rの田中くんいわく、73分まではCCCDに出来るらしい。ヤバ〜。でも、ボーナス・トラックを含めたトータル・タイムは74分30秒! フ〜ッ。
しかし、こんなことにビクビクしながら、レコードを作るというのも嫌なものです。本来ならアルバム1枚分プラス、ミニ・アルバム1枚分くらい作っちゃったわけだし。作業がハードだったわけだ。これでアルバム、長過ぎて疲れる、とか言われたらオレは怒るよ。
12時頃に全曲のマスタリングが終了。ヌマちゃんとケースケは帰るが、ここから僕が粘る。3曲目以降が素晴らしいので、最初の2曲の出来がどうしても気になってしまった。その2曲というのが昨夜から今朝にかけてマスターを作り直した「タユタフ」と「キューポラ」。とりわけ、アルバム・タイトル曲にして、冒頭の1曲でもある「タユタフ」が大問題。ミックスを何度もやりなおしていると、最初のデザインが失われて、あれやこれやの要望や条件を満たすために、不安定なバランスのミックスになってきてしまう。それをマスタリングでなんとかしようというマスタリングはやっぱり駄目だなあ。3曲目以降はマスターの状態が万全なので、それにプラスアルファするマスタリングが出来たのだが。
一度、自分のスタジオに戻って、ミックスをやりなおしたい思いにもかられるが、もちろん、そんなことは出来ないので、滝瀬さんにたくさんたくさん無理を言う。しかし、マスタリング・エンジニアというのは無理を言うと、無理を聞いてくれたりもするから凄いです。中央に定位していたベースがステレオに拡がったちゃったもん。2時間くらいかかったものの、これはもう別ミックス?と思えるくらいの音像に到達。滝瀬マジック見ちゃいました。
なんのかんののコピー作業などで、終了はやはり朝を見ました。コピーを待つ間、ダイスケと田中くんの3人でロビーで乾杯のビールなど。ダイスケがカラーでフィーチュアされている「REMIX」の最新号のジャズ特集なども見る。でも、今度のアルバムはジャズは薄い。テクノも薄まったし。ロック、それも60年代のロックには近いかも。メンバーの誰ひとり、聞いてはいないはずだけれど、僕個人にはカンや初期ソフト・マシーンを思うところがあったり。
といっても、もちろん、コレは違う楽器編成、違うレコーディング・テクノロジーを使った2000年代の音楽。誰も聞いたことのないようなアルバムなのは絶対に確かだな。物凄く密度が高く、質量が大きいアルバム「タユタフ」。来年1月発売です。

12.03
マスタリングから一夜明けて、今日はオフです。というより、使い物になりません。ベッドと仲良しでした。でも、昨日のマスタリングは素晴らしく、持ち帰ったCD-Rを聞き返しても、一点の悔いもありません。滝瀬さんも今回は安心しているかも。A&Rの田中くんが1630を持ち帰って、今日には工場に送ってしまっていいますから、僕から「あの〜、3曲目のミッドハイのEQなんですが・・・」といった電話がかかってくることもないし。でも、それ以前に非常に満足する仕上がりです。テッド・ジェンセンにマスタリングしてもらった前作「色」よりも圧倒的に今回の最終的な音の上がりはグレートです。
思えば、全12曲もの長大なフル・アルバムを全曲プロデュース&ミックスというのは僕にとっても初めての経験と言っていい。「色」や「HOLIDAY」も全曲ミックスはしていませんから。エンジニアとしては間違いなく、これが僕の代表作となるでしょう。出来ることはすべてやった。後は野となれ山となれ。売れても売れなくても、評価されても評価されなくても関係ね〜や・・・という気分。ま、もう二、三日もすれば、そうも言っていられなくて、どうなってるんだ、プロモーション?と言い始めるのは目に見えていますが。
しかし、「タユタフ」のレコーディングを始めたのが10月の初め。その後に高宮マキ、朝日美穂のレコーディングなどもあり、2カ月間で13曲のレコーディング。ミックスしたのが15曲。マスタリング立ち会いは18曲。大阪、京都のツアーもあったし、MEMORY LAB ORCHESTRAのライヴなんてやったのも、10月の半ばでした。今年はもう働きません・・・なんて言っても、これまた二、三日もすれば、だろうけど。
ところで、先週の日記に書き忘れていましたが、木曜日だったか、スタジオを抜け出して、アース・ウィンド&ファイアーを観に行きました。最高でした。ヒット・メドレーの中に、初期作品も巧みに挟みこみ、バンドの歴史を俯瞰するかのような構成。ヴァーダイン・ホワイトをフィーチュアしたコーナーではスライやクール&ザ・ギャングまでやっちゃう。ファンクとラテンとロックとジャズを混ぜ合わせ、ドーリミーなコーラスとパーカッシヴなホーンをまぶして、恐ろしくポップなサウンドを創出したオリジナリティーには今更ながらに唸らされた。僕はアタマから16分音符がふたつ続くリズムがなぜか好きなのだけれど、これも実はアースの影響だったというのに気づいたり。
モーリス・ホワイト60歳。ちょっと膝を折って踊るスタイルは昔のまま。歌には衰えも感じなくはないかったけれど、オヤジ格好良かったぞ〜。でも、何より最高だったのはヴァーダイン。一体、幾つなんだろう? あんなに動いて関節外れないんだろうか?

12.04
寒い雨の日。身近で不幸の知らせ。ここにはあまり書いたことがないのだが、今年は多いです。

12.05
午後、フジワラダイスケとミーティング。いろいろと話す。PHATのアルバム制作のために中断していたフジワラダイスケ・ソロの仕上げについても詰める。しかし、よく働きますな、我々は。PHATのセカンド・ミニ・アルバム「KING OF PIMP」が出たのが昨年12月です。メジャー・デビューとなるフル・アルバム「色」が出たのが今年の3月。その後に、アメリカでフジワラダイスケ・ソロをレコーディングし、夏からはPHATのマキシ・シングル「デイト」を作り、そして、10〜11月の二ヶ月間で12曲、74分にも及ぶセカンド・アルバム「タユタフ」を完成させてしまっているわけです。
このCDの収録時間ギリギリの長尺のアルバムにする、というのは、そもそもは僕のエゴに過ぎませんでした。メンバーは僕のようにCCCDについて関心があったわけではありませんから。ただ、音には非常にうるさい3人なので、もしもCCCDになって上がってきたら、サイテ〜、サイアク、あんなの俺達のアルバムじゃない!という声が飛ぶことは必至だった。だから、何が何でも長尺のアルバムにする必要があったのです。
CD-EXTRAにしたっていいじゃないかって? CD-EXTRAも現状ではプレス工程に問題があり、かなり音質劣化します。それにCD-EXTRAにするには、その企画を社内で通さねばなりません。このご時世にCD-EXTRAの企画を出す意図は明らかですから、企画書を出すA&Rが社の方針に抗うリスクを負うことになります。2003年のEMIグループの全世界的方針(アメリカをのぞく)が全タイトルCCCD化なのですから、そのリスクは半年前、いや3カ月前と比べても桁違いになっています。
そして、結果、CD-EXTRAの企画がハネられたらアウトです。それよりはガンガン録音を進めて、何喰わぬ顔でCCCDには出来ない長さのマスターテープを工場に送ってしまうというのが、プロデューサーである僕の取った手でした。もはや話し合いはせずに、無言の強行突破だけにした。
そのために、ただでも少ないジャズ・アルバム1枚分の予算で1.5枚分の音源を作った。当然、みんなが安いギャラで長時間働くことになりました。しかし、結果、凄いアルバムが出来た。長いだけではない。重い。密度が濃い。巨大なアルバムと言ってもいい。そして、それはCCCDが生み出したものかもしれない。ある意味、オレはムキになってましたから。音質面にもいつも以上に拘りまくった。
アルバムを聞き返すと、メンバー3人と僕、さらにリズム録りを手掛けたエンジニアの吉光くんや素晴らしいマスタリングを施してくれた滝瀬さんの才能と熱意が、文字通り、音として結晶しているのが見える。全員に感謝。A&Rの田中くんやデザイナーの菅原さんや、その他の協力してくれた人々にも感謝。サイコ〜です、こんなアルバムが作れたことは。
それにしても、怒涛のレコーディング終了から三日もすると、もう次のことをやりたくなっているオレ。去年、NEOTEKの卓を買ってから、ある意味、オーソドックスなアナログ・エンジニアリングに集中して、スキルアップに努めてきたのですが、次はデジタル・プロセッシングで冒険したいという欲望がムラムラ。G4マック買っちゃおうかな〜。ひとつ大きなレコーディングが終ると、ネクスト・レヴェルが見えてくる。
ミーティング後、JASRACに。それから千葉まで行って、とあるお通夜に。東京に戻って、某FM局でミーティング&プロモーション。帰ってから、マガジンの年間ベストテンの原稿。去年は書ききれないくらい候補作があったのに、今年は10枚がなかなか埋まらなかった。無理して埋めるものでもないので、本当によく聞いたものを挙げました。

12.06
午前中に原稿2本。三軒茶屋で朝日とミーティング。下北沢に移動して、もうひとつミーティング。ちょっとショッキングなニュースもあり、音楽業界の不況、というより危機的状況を今さらながらに思い知る。まだまだ幾つレーベルが潰れることやら? オレも来年は喰っていけるのかどうか?
家に戻って次の原稿〜さかなのマキシ・シングルのデザインの詰め〜新川くんのライヴ・リハ再開の相談などなど。久しぶりにYAMAUCHIが来訪。近況など話し合う。
朝日美穂「HAPPY NEW YEAR」のプレスが上がる。難航したマスタリングも最後にはバッチリ。ジャケットも綺麗で、コレは持っていたくなるCDだな。新川くんのデビュー・アルバムのサンプル・プレスも上がる。うちのステレオで久しぶりに聞いたら、モノラルだわ、SNは悪いわでドキッとしたり。でも、音は良いのだ。60年代半ばのスタジオ・ワンの音みたい。なんか宝物がどんどん増えていくような2002年の末。


12.07
寒い雨の日が続く。今年の秋は季節を感じる間もないくらい忙しかったので、夏から一気に冬になってしまった気がする。これからまだ4カ月も冬が続くのかと思うと、目の前が・・・。
ちょっと時間が出来たので昨日からヴィデオをどどっと借りてきた。デヴィッド・リンチの「マルホランド・ドライヴ」。久々にリンチ節炸裂。今やお約束事と言えるシーンも多いが、でも、観終った後も巻き戻しては前半のエピソードを検証し、頭の中で物語の時間軸を一生懸命組み直したりして。ジョディ・フォスターに惹かれて借りた「パニック・ルーム」はすべてがアヴェレージ。「カンダハル」はまだ途中。
椎名林檎のアルバムがCCCDになるという発表。マキシはCD-EXTRAだった。が、もはや彼女クラスのアーティストでもCCCDを拒めない状況。そうなるであろうことは実は僕は10/28には知っていました。ここでショッキングなニュースと書いたのは、EMIの会長が来日して、残していった通達のこと。僕はその内容を聞いて、以後、CCCDに関する話を東芝EMIのスタッフとすることをやめた。現場レベル、というより日本の東芝EMIレベルではどうにもならないことですから。
以後はたった一度、電話でアルバムは12曲、75分という事務的通達をしただけ。しかし、それを事務的に受諾してくれたスタッフがいたことが、どれほど素晴らしいことだったか、をあらためて思います。
しかし、全世界的にCCCD化が進むであろう2003年は、音楽にとってどんな年になるのでしょうか? 10年後、20年後に振り返った時、今、進んでいる出来事はどう受けとめられるのだろう?
思えば、僕が長い間、引き摺ってきたのは、1975年あたりを境に、大好きだったアメリカン・ミュージックがなぜ急に変質してしまったのか?という疑問でした。こないだ萩原健太くんと対談した時にも、ジェームズ・テイラーの「ワン・マン・ドッグ」と「JT」の間には、あの時代の音楽をリアルタイムで聞いていた僕達には愕然とする程の溝があったという話になった。僕がソウルやファンクを買い漁るようになったのは80年代になってからですが、そこでも75年以前、以後のレコードの間に横たわるものを感じないわけにはいかなかった。レア・グルーヴと呼べるレコードはほぼ70年代前半にしかなかったから。
一体、何が失われてしまったのか? その疑問を解き明かしたくて、僕は音楽評論家というものになってみたと言ってもいいくらい。あるいは、40歳過ぎてレコーディング・エンジニアをめざしたのも、レコード聞いたり、ミュージシャンにインタヴューしたりするだけでは疑問が解き明かせなかったから、というところがある。そして、ようやく分かってきた。ジョン・サイモンに質問しても、彼すら答えられなかったことが。
そういえば、こないだPHATのマスタリングをしている裏で、ヌマちゃんがロビーでハース・マルチネスの「ハース・フロム・アース」を聞いていた。「健太郎さん、知ってます? コレ?」。馬鹿言うんじゃないよ、オマエが幼稚園行ってる頃に、そのチャック・レイニーのベース・リフ、コピーしてたよ。中古のアナログ、見つける度に買って、人にあげてた。発表当時はまったく売れず、すぐに廃盤になったレコードだが、でも、あの時代にしか生まれ得なかった奇跡の音楽、四半世紀後の今もこうやって僕達を狂喜させる音楽が刻まれている。僕達は今、そんなレコードを生み出すことが出来ているのだろうか? 2003年が1975年になりませぬことを。

12.08
高校でも大学でもバンドを組んで最初に演奏したのは「12月の雨の日」でした。でも、12月ってこんなに雨が多かったっけ?
ところで、一言。最近、何人かから「健太郎さん、闘ってますねえ」というようなことを言われた。でも、オレは誰かの分まで闘っているわけでは決してない。オレとオレの周りのミュージシャンのために、最も良いと思う行動を取っているだけ。足許に火がついているのは、「闘ってますねえ」などと他人事のように言ってくる人々も同じなのに・・・てなこと言うと、また反感買いそうだけれどさ。
でも、反感買うついでにもうひとつ。僕はCCCDに対して闘っているつもりはない。何度も書いているようにコピーコントロールそのものには賛成派と言ってもいい。音質劣化、再生不良の可能性のある現行のCDSをレコード会社が採用することに対して危惧を唱えているだけ。それ以前に、不法コピーは強く嫌悪している。私的複製の拡大解釈も。友人にCD-Rを配るのもこれに当たるという考え。DJイヴェントで不特定多数に選曲したCD-Rを配るなんてのはもちろんです。
音楽ファンに配るんだから、プロモーションになるじゃないかって? なる可能性もあるだろうけれど、そこから流出した音源から海賊版が作られちゃう可能性だってある。デジタル・コピーはどのように連鎖していくか、コントロールできる人はいません。そこまで責任持ってやっているの? 同じことをコンピューター・ソフトでやったら、逮捕されるということぐらいは認識していて良いと思うけれどな。
そもそも、昨今のコンピレーションの氾濫も僕にはあまり面白く思えない。ジャイルス・ピーターソンとか、フリー・ソウルとか、そういったブランドに安心して、音楽を聞いているみたいな(ジャイルスのコンピはいつもサスガだけれど)。そうやってリスナーにサーヴィスし過ぎた結果、リスナーの能動性がどんどん失われていっているよ気がする。良い音楽を探し出して聞くのはそれなりに労苦を伴うことで、だからこそ楽しかったのにさ。レコード店で僕が試聴機に触らないのも、リスクのないレコード・ハンティングなど面白くないからで。
DJにしても、昔はターンテーブルを覗きこむ他のDJ、が、ネタを知られないようにレーベルは黒く塗りつぶしてある、みたいな図があったのに、今や、レコード店に行けば、有名DJの誰々もかけていた何曲目、とかポップに書いてある。そんなガイドに沿って、アナログ買って、オレもDJだなんてねえ。でも、そうポップに書いてあるレコードの方が売れるんだろうな。
今の僕の仕事の半分は、実質的に音楽の、あるいは音楽家のプロモーションと言ってもいい。でも、個人としては思いますね、あまりにも音楽から、あるいは音楽家からサーヴィスされることに慣れきっている世の中になっていないかと。フェラ・クティやじゃがたらはサーヴィスなんてしなかった。楽しみたければ、ここまでおいで、と言っていた気がする。来れない奴は相手にしなかった。そのぐらいの傍若無人な音楽を恋しく思う昨今だったり。